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(回答先: Re: 忘れられない歓声 投稿者 Narongchai 日時 2005 年 9 月 30 日 03:08:08)
日本人は小さいものを作るのが得意です。
特にもともと大きなものを小さくすることに関しては、世界一優秀なのではないでしょうか?
対して砂漠に暮らす民は、墓ひとつ作るにしても、ピラミッドなどという馬鹿デカイものを作ってしまう。
これは砂漠って、風景の中にモノの大きさを相対化できる何物も見当たらないからだと、何かの本で読んだことがあります。
そう考えると、四季折々でさまざまな色彩に彩られる日本人と、“砂の色”以外に色らしい色のない砂漠の民とでは、当然色に対する感覚もずいぶん違ったものとなるでしょうね。
ほとばしる真っ赤な血の色に、彼らは我々の想像を絶するものを見ているのかもしれない。
同じようなことを、スペインでも感じました。
まもなく日没という時刻、ラマンチャの原野を車で走っていた時、地平線から水平に射す太陽光線にあたった家々や教会が、怖くなるほどの黒い影を大地に走らせていた。
様々な意味においてスペインという国を象徴する“光と影(陰)”(ソル イ ソンブラ)を、強烈な感動とともに網膜に焼き付けました。
そしてまたほんの少し、スペインという国、スペイン人という人々への理解が深まった。
グローバリゼーションの流れに乗じ、平和主義者と称する人々は「異文化間の相互理解」を喧伝し始めた。
だが小生は、この「相互理解」という言葉も、ヒューマニズム、人権、民主主義といった言葉がそうであるように、「糖衣された毒薬」であると理解しています。
彼ら(平和主義者)が喧伝しているところのレベルにおいて、相互理解なんてできるわけがない。
だったら「相互理解は不可能だけど、お互い違うんだというところにおいて、少なくとも相手を尊重しよう」と訴えたほうがマシかもしれない。