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エコノミスト 9月20日号
http://www.mainichi.co.jp/syuppan/economist/news/20050912-142549.html
エコノミストリポート 近代農業の環境破壊
地下水が枯渇する 米灌漑農業「危機」の深刻度
地下水が枯渇したり、塩分が集積するなど、米国の灌漑農業が危ない。乾燥地帯を農地に変貌させた灌漑が行きすぎ、環境破壊につながっているのだ。それにより、世界の16%を占める米国の穀物生産が落ち込むことになれば、日本はもちろん、世界の食糧事情に大きな影響を及ぼすことになる。
さいとう きよあき
斎藤 清明(総合地球環境学研究所教授)
大学共同利用機関法人・人間文化研究機構の総合地球環境学研究所(京都市上京区、地球研)には、中国の黄河で1990年代から頻発する「断流」をテーマにして、水利用に関わる環境問題に取り組む研究プロジェクトがある。「断流」とは、取水などが原因で、川の上流からの流れが河口にまで達しないという現象をいう。同様の問題は米国にもあるはずで、同じような大国の米国を調べれば中国での課題も見出せるのではないかと、2005年6月に米国への「水管理と環境」スタディーツアーを行った。
私も参加し、ワシントンからサンフランシスコへと大陸を横断し、各地を車で回った。コロラド州では大地下水脈のオガララ帯水層を利用した大平原の灌漑農業を見た。灌漑農業とは、河川や地下水から人工的に水を取り込んで行う農業である。西部では、コロラド川の水資源開発や、灌漑によって一大農業地帯となったカリフォルニア州の水管理問題などを視察した。
ロッキー山脈をはるか西に望むコロラド州都デンバーから東へ、ネブラスカ州とカンザス州との州境に向かう。周りは、地平線まで見渡せる大平原である。合衆国地質調査所スタッフの案内で、オガララ帯水層のあるあたりをめざした。
深刻化する地下水の枯渇
グレートプレーンズと呼ばれて放置されていた半乾燥地帯が、地球上で最大規模というオガララ帯水層の地下水を利用した灌漑によって、大規模農業が盛んになったのは、第2次世界大戦後のことだ。揚水ポンプで汲み上げ、センターピボット方式(長大なスプリンクラーが円を描くように回って散水する灌漑のやり方)など自走式スプリンクラーでの灌漑が普及した。スプリンクラーは棒状で、円を描きながら散水するため、畑は四角ではなく円状になる。上空から見ると、畑は「緑の円」のように見える。その「緑の円」が何千何万にも増え、世界の一大食糧供給地になったのである。
その現地を見ようと2時間あまり、車を飛ばした。途中、巨大な穀物貯蔵庫や何万頭も飼っている肉牛育成牧場を横目に通り過ぎ、米農務省管轄のコロラド州のアクロン農場に着いた。
この農場では、作物を輪作する組み合わせをさまざまに実験していた。地下水を有効利用するためだという。この付近では以前、秋まき小麦がもっぱら栽培され、翌夏に収穫した後は「水を溜めるために」と、次の年は休耕していたという。灌漑農業が盛んになってからは休耕せず、大豆やミレット(キビやアワなど)、トウモロコシなどの輪作も可能になった。
ここで、センターピボット灌漑の実物に初めて触れた。大蛇のような長いアームが延び、支柱の先のホースから細かな水が作物に注ぐ。巨大なスプリンクラーから、まさに「人工の雨」が降る。1分間に数十センチとゆっくり移動する。円状の畑の半径は約400メートルあり、一つの円が54ヘクタール(甲子園球場の約14倍)と巨大だ。
アクロン農場からさらに西へ1時間、コロラド州ユマの農家を訪ねた。その農場の隅に地質調査所が観測用井戸を設置してあり、オガララ帯水層から汲み上げた水を口にしたが、白っぽく砂混じりのようで、飲めなかった。
この農家の祖父母は、19世紀末にポーランドからの移民。ここで井戸を掘って灌漑農業を始めたのは1941年のことで、大がかりなピボット灌漑にしたのは68年。この時期から周辺で急に広まったという。四つの円が1マイル四方にちょうど入る規格だが、井戸は三つという規制があり、現在は五つの井戸で七つのスプリンクラーを稼働させている。しかし、井戸の水位は54年に地下100フィートだったが、現在は同160フィートで、60フィート(約20メートル)近くも下がったと、気にしていた。
灌漑の経費を聞くと、中心のトウモロコシ栽培では、1ユニット(一つの円)のピボットにかかる費用は6000ドル。そのほかの経費を差し引くと、1エーカー当たりの収入は豊作の年でも75ドルほど。全耕作地1440エーカー(父親所有の800エーカーも加えて)で年間収入は10万8000ドル(約1200万円)だという。広大な農地を持っていても、その程度なのかと驚かされた。
デンバーの合衆国地質調査所の説明では、オガララ帯水層はネブラスカ州の大半に広がり、南のカンザス州やテキサス州へと続いている。北のサウスダコタ州からワイオミング、コロラド、オクラホマ、南のニューメキシコの各州まで、8州にも分布する広大なものだ。その地上部には米国の灌漑農地の27%がある。ここで、全米の小麦の19%、綿花の19%、トウモロコシの15%を生産している。畜牛の飼育も18%を占めるという。
地下水は長年にわたって大量に汲み上げられ、食糧生産大国の米国を支えてきたといえる。登録された井戸は約13万基にのぼり、灌漑用にポンプで汲み上げた量は、49年と2000年を比較すると約5倍に増えたという。しかし、地下水位はここ半世紀の間に平均約30メートル下がるなど、オガララ帯水層の枯渇が危惧されている。とくに、テキサス州など南部での地下水位低下が大きいという。
もちろん、効率的な作物輪作や無駄の少ないスプリンクラーの開発など、対策が講じてられている。しかし、帰国後に読んだレスター・ブラウン米地球政策研究所理事長のコラムには、「目の前の食糧需要を満たすために灌漑用の水を汲み上げすぎると、やがては食糧生産の低下を招く」「現在の農民世代は、地下の帯水層の大規模な枯渇に直面する最初の世代でもある」と厳しい指摘があった。
湖が灌漑水の捨て場に
デンバーからロッキー山脈を越えると、機上からは緑のような色は見えず、荒涼たる景観となった。赤茶けた大地が広がる、乾燥しきった世界だ。ネバダ州の歓楽地ラスベガスは、砂漠のなかにあるのだが、着陸前に大きな湖が見えた。琵琶湖ほどの広さがあるミード湖だ。
この湖は、36年の完成当時に世界最大といわれたフーバーダムがコロラド川を堰き止めてできた人工湖である。ここから約3分の1の水量が、カリフォルニア州に送られる。
ロッキー山脈の雪解け水を集めて下るコロラド川は、メキシコのカリフォルニア湾に注いでいる。その流域には次々とダムや水路が造られ、まるで運河のように改造されている。降水量の比較的多い州北部から中南部へ、総延長1000キロにも及ぶカリフォルニア送水路など、州の給水事業が巨費を投じて運営されている。
今日のカリフォルニア州は、米国でも有数の農業州となっている。海岸部を除くと半乾燥地域で、州の約65%は年間雨量が500ミリ以下と、もともと農業には厳しい地域だった。そこが、灌漑によって世界で最も生産性の高い農業地帯になったのである。そのうえ、サンフランシスコやロサンゼルス、サンディエゴをはじめ、巨大都市を抱えており、カリフォルニア州にとって、水資源がきわめて重要な意味をもっている。
このため、川の水をそのままには海に流させないといわんばかりに、米国側は河川水を利用し尽くそうとしてきた。こうした水利用によって、カリフォルニア州をはじめ、西部の各州の農業が成り立ってきたといえる。
ラスベガスからメキシコ国境のアリゾナ州ユマへ飛び、巨大な脱塩処理場を見た。コロラド川で取水する米国側の農業廃水などによって水質汚染が国際問題となり、巨費を投じて92年に設置されたものだ。ところがその後、洪水がおきて流域土壌の塩分が洗い流され、現在の水質は脱塩が不要な水準に収まり、稼働していない。それでも維持費に年600万ドル(稼働すると年2000万ドル)かかり、宝の持ち腐れになっていた。
コロラド川はアリゾナ州ユマのインペリアルダムでさらに分流され、オールアメリカン送水路などで灌漑区を潤しながら、ロサンゼルスやサンディエゴに至る。私たちも水路に沿ってロサンゼルスへ向かった。灌漑区のはずれにあるソルトン湖には驚いた。琵琶湖ほどの広さで流出河川を持たない閉鎖湖だが、灌漑水の捨て場になっている。湖水をなめると、海水よりも塩辛い。湖岸には小さな貝の死骸が累積していた。
塩分集積という環境破壊
灌漑水は農地に撒かれると土の中に浸透し、やがて排水され、また川に戻っていく。そのときには土壌のミネラル塩層を透過しているので、排水には塩分が増える。米国西部の水資源開発を描いたマーク・ライナー『砂漠のキャデラック』(改訂版は93年刊、日本語版は99年刊)には、コロラド川から取水の際は塩分濃度が約200ppmだが、排水時は6500ppmになっていると記述があるほど、塩分濃度は高いようだ。
乾燥地を流れる河川水には塩分が多く、耕作に使い続けると農地に塩分が集積されていく。さらに、排水の仕組みを造らないで灌漑を続けると、作物に利用されなかった灌漑水が地下にたまり、地下水位が上がっていく。灌漑水が混じった地下水には土壌から溶けた塩分がすべて含まれており、作物の成長が阻まれてしまう。
灌漑による耕地への塩分集積は、滞水(水が溜まること)とともに起こるので、作物は塩害と湿害を同時に受けることになる。そして、いったん塩分が集積すると、洗い流すのは難しいとされる。米国では灌漑に大量の水を使用し、高濃度化する塩分を排水しているようだが、塩分が溜まったまま放置されることによる荒廃放棄地も問題になってくる。
灌漑農業の現状を、カリフォルニア州中央部のサンウォーキンバレーなどで長年調査してきた、地元のK・タンジ名誉教授(カリフォルニア大デイビス校)にチュラ湖などを案内してもらった。チュラ湖は、かつて13万ヘクタールあった閉鎖湖だった。流入河川の上流部にダムが設けられ、湖の干上がったところを農地にした。その付近でも灌漑農業が盛んになっていった。
しかし近年では、灌漑排水による塩分集積がひどくなった。春まき小麦や綿花などから耐塩性があるトウモロコシ、アーモンド、ピスタチオなど、作物を多様化させることで対応しているという。ただ灌漑排水は、近くの蒸発池に捨てるしかない。灌漑排水を流し込んでいる蒸発池も見たが、異臭を放っていた。この池には渡り鳥も来なくなってしまったという。
このような灌漑による耕地への塩分集積は、近代農業による環境破壊ともいえる。米国ではカリフォルニア州の大農業地帯サンウォーキンバレーをはじめ、西部では深刻になっている。さらに、旧ソ連のカザフスタン、オーストラリアなど、世界各地でも同様の問題が起きている。
日本、世界の食糧事情への影響
米国は世界一の農業国であり、世界の穀物の16%(トウモロコシ38%、小麦8%、大豆38%)を生産している。世界の穀物貿易に占める米国の割合は、穀物全体で31%(トウモロコシ52%、小麦22%、大豆46%)にものぼる(日本貿易振興機構04年データ)。
一方、日本は水資源に恵まれているが、食糧の自給率は4割と低い(農林水産省の8月10日の発表によれば04年度食料自給率は39・5%)。つまり、日本は食糧輸入大国であり、財務省貿易統計によれば、米国は日本の食糧輸入額の約25%を占める最大の輸入相手国である。
灌漑農業の危機によって、米国での穀物生産が落ち込むことにでもなれば、食糧の多くを米国からの輸入に頼っている日本が大きな影響を受けることは必至。日本だけでなく、世界的な食糧事情に悪影響を及ぼすことになるだろう。
オガララ帯水層
アメリカ中西部にある世界最大という地下水層。面積は約45万平方キロ(日本列島の約1.2倍)で、降雨量の少ない穀倉地帯の水源になっている。地下水は氷河期から蓄えられたもので、汲み上げられた分だけ水位は低下していく。近年、灌漑農業による過剰揚水(水の汲み上げすぎ)による水位低下が問題になっている。水位低下は農業用水不足に直結し、穀倉地帯の耕地消失が懸念されている。
食糧供給の安定性 米国依存からの長期的なシフトを
オガララ帯水層の問題は、日本の食糧問題でもある。今から、安定供給のあり方を再検討することが必要だ。
なかむら りょうた
中村 良太
(日本大学生物資源科学部教授)
オガララ帯水層は、北はサウスダコタ州から南は米国最南端のテキサス州に至るやや細長い地域で、総面積45万平方キロ。米国の農耕地全体の20%を優に占める。
主として第2次大戦以降に、この地方の各農家は競ってこの帯水層からパイプ井戸による揚水をして灌漑し、アメリカ中央部一帯の乾燥した不毛の平原を、一大穀倉地帯に変えた。円周状にスプリンクラーが回るセンターピボット灌漑などは有名である。
帯水層とは、どのようなものか。試みに、コップいっぱいに砂利を入れ、その半分まで水を注いだところを想像しよう。パイプ井戸はこのような水を含んだ砂利層から水を吸い上げる。実際は、オガララ帯水層の厚さは、平均して70メートルである。この上に数メートルから数十メートルの土壌の層が載っていて、パイプはその層を突き抜けなければならない。
この帯水層の水が減り始めていることが、最近問題とされている。年によって異なるが、年間に数十センチから場所によっては2メートルも地下水面が降下しているという。理由は、降雨がしみ込んで地下水を涵養する速度よりももっと速い、自然に涵養される速度の何倍もの速度で水を吸い上げているからである。この勢いで下がり続けると、70メートルの帯水層は数十年で汲み尽くしてしまう。
すでに、カンザス州などでは、水不足から離農する農家が出始めている。地下水の水位が下がり、揚水に要するエネルギー費用がまかない切れない。そこに、農産物の価格下落が追い討ちをかけたといわれる。
もう一つ、水質問題も抱えている。オガララ帯水層の水は飲料水としても用いられている。表層から帯水層へ浸透する水の中に、農業の肥料、農薬が混入し、健康への被害が心配される。
いうまでもなく、オガララ帯水層のことは米国にとって大問題であり、すでに公的私的レベルでいろいろな対策が取られつつある。しかし米国にとってこの処理は苦手で、手をこまねいているようにも見える。それはオガララの水は典型的なコモンズ(共有財)であるのに、一方で米国社会が基本的に個人の自由競争の市場原理を基本として成り立っているからという一面もあろう。
アジアは世界最大の食糧輸入地域(金額ベース)だが、なかでも日本の輸入額は突出している。2001〜03年の3カ年平均を取ると、日本の食糧輸入額は300億ドルで、日本1国でアフリカ全体の1.5倍に上る(『04年度食糧・農業・農村白書』、農林水産省)。
日本の食糧輸入の最大相手国は米国である。米国からの食糧輸入の中心は肉と飼料穀物で、輸入量のなかで小麦の55%、大豆の75%、トウモロコシに至っては95%以上を米国に依存している。
将来、水不足や水質規制から、オガララ帯水層の地下水による農業生産が大幅に減少すれば、米国の食糧輸出量が大きな割合で減る可能性もある。その場合、米国の穀物価格は高騰し、日本はより安価な他国に、その輸入先を急速にシフトする。その過程で食糧供給が政治・社会問題化して、思わぬ摩擦やパニックなどが起きぬよう、日本としてもオガララ帯水層を含めて、多角的な面から安定的な食糧供給の検討をしておくことが必要である。