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成田滑走路北延長決定へ
成田空港の「完成」を意味する暫定滑走路の延長問題は、本来計画とは逆の北延長へ踏み出した。成田国際空港会社(黒野匡彦社長、旧・新東京国際空港公団)による地権者七戸との用地交渉が進まなかったためだ。交渉行き詰まりの原因として、国と旧公団の対立や地権者の立場を考慮しない一方的な条件提示、成田問題に背を向けてきた政治家たちが浮かび上がる。 (成田通信部・宮本隆康、経済部・村上豊)
「ここまで完成したんだから、空港の存在自体は否定しない。でも、国がどけと言ったら、どかなきゃいけないのか」。未買収地の七割を所有する最大地権者の男性は、用地売却に応じない理由をこう話す。
一九九一−九四年、一部反対派と国、県が話し合いの席に着いたシンポジウムと円卓会議で、国は強制的な手法を謝罪した。参加を拒否した農家にも国側は議事録などを毎回届けて内容を説明し、その後の多くの農家の移転につながっていった。
しかし、参加を拒否したこの男性に議事録は届いていないという。当時の話し合い解決の流れから取り残された格好だ。円卓会議の参加者は「国と公団は当時、交渉方針をめぐって激しく対立していた。男性(の交渉)は公団の担当だったから、国による一連の動きの情報が遮断されてしまった」と明かす。
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これまでの交渉では金銭や職業などの補償条件が用意されたが、男性は「金の問題ではない」と受け入れていない。騒音対策で暫定滑走路の早朝深夜の運用制限に踏み切ったことも、男性を軟化させられなかった。
「彼にとっては、まだ誠意ある謝罪はされていない。『空港は必要だから移転してくれ』という論理は、玄関を飛ばして家に入るような無理な話。その前に過去の問題を決着しなければ」。かつて反対派農家と交渉した関係者はこう分析する。
また、一部地権者は農作物を購入してもらうなどの形で、反対運動の支援者と関係が築かれている。それだけに、こうした地権者の一人は「自分だけではなく、支援者も納得させる解決でなければならない」と訴える。「航空需要を理由に交渉をせかし、ただお願いします、では…。あまりにも無策だ」と、交渉相手の事情に配慮しない姿勢を批判している。
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成田問題が長引いた理由に、当初の強引な空港建設だけでなく、旧公団の用地交渉を挙げる声は少なくない。「高圧的な金と脅し」と、多くの関係者が指摘する姿勢は、一部農家の怒りをあおってきた。九一−九四年のシンポ、円卓会議も「公団の交渉を見かねたためだった」と、旧運輸省(現国土交通省)のあるOBは振り返る。
しかし、当時の公団総裁は、円卓会議が終わると交渉窓口の一本化を理由に、国、県の関与を排除。反対も出たが、旧運輸省もこれを認めた。
「国が公団に押しつけたからまた話が進まなくなった。県も何もしないまま、本来計画断念とは…」「やれるというから任せたのに、できないから北延長で済むのか」と、当時の関係者らはこの決定を今も嘆く。
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政治の“不在”も続いた。旧運輸省の元幹部は「歴代の担当大臣には、羽田に目を向けるばかりで、成田を知ろうともしない人さえいた」と振り返る。
関係者によると、小渕政権時代、首相自ら地権者に電話をかける計画があった。日程など調整が進んだが、官邸サイドが「ほかの公共工事でも電話しなければならなくなる」と反対。直前に中止になり、関係者の政治決着への期待は裏切られたという。
http://www.tokyo-np.co.jp/00/kakushin/20050716/mng_____kakushin000.shtml