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「機会不平等社会」がもたらす絶望と怒りをどうつかみとるか
かけはし2005.3.14号
青年の未来を閉ざす資本主義
「自滅」する普通の若者たち
十七歳の少年が卒業した小学校で殺人事件を起こした。少年は、その小学校時代「いじめを受けていた」と述べているということ、また「池田小学校事件」から影響を受けていたらしいとマスコミが報道している。十七歳、自分の将来が未来に向かって開かれていると実感していたら、小学校時代にどんなにひどい体験をしていたとしても、自らの未来を閉ざすような行動には出なかっただろう。未来が閉ざされていると感じていたから、自分の未来を潰してしまった原因を「小学校時代のいじめ」に見てしまったのだろう。
介護施設に働くパート労働者の二十八歳青年が、認知障害の入所者を虐待して殺害した。介護は、非常に専門性が要求される仕事であるが、その社会的評価は低くヘルパーの処遇は劣悪である。彼の月収は十三万円だった。
事件の背景には入所者との関係のこじれがあったと報道されている。介護のように人と関わる仕事では、対象者とのこじれは日常的に生じる。正規雇用労働者で雇用が保証されていれば、入所者との「こじれ」は介護の専門性を高める糧となったかもしれない。しかし、現場のヘルパーには常に使い捨て圧力がかかっている。
介護施設の経営者にすれば、経験を積んだ高賃金のヘルパーを雇用する理由は何もない。一年有期雇用で安いヘルパーを使い捨てた方が経営的にも安定する。ヘルパーの将来の不安定さと低い処遇は入所者との「こじれ」を将来の糧ではなく、弱者である入所者への敵意へと瞬時に変える。
日本社会から未来を閉ざされた青年が自滅させられているのが、インターネットで知り合った人たちの集団自殺。未来を閉ざされた青年の暴発が今回の二つの事件である。十七歳の少年も二十八歳の青年も、自殺してしまった青年たちも、きっとどこにでもいるような普通の青年に違いない。そんな普通の青年たちがある日突然、自滅・暴発するこれらの事件は、日本社会が青年の未来を閉ざす、不平等で不安定な社会になったことを象徴している。
好転しない若年雇用環境
三月の卒業シーズンを苦い気持ちで迎えている十八歳や二十二歳が日本中にいる。昨年十一月時点での高校生の就職内定率が「六七・七% 前年同期を六・三ポイント上回った」と報道されている。景気がこのまま回復すれば若年者の雇用環境が改善するような報道がされている。しかし、様々なデータは景気が回復しても若年者の雇用環境が好転しないことを示している。
高校への求人は一九九二年の百六十七万人から二〇〇四年度二十二万人へと約八分の一まで激減している。同時に就職を希望する高卒者も減り続けている。一九九〇年度では、高卒者の三四・四%が就職したが、二〇〇〇年度は一八・二%と率にしても半分、実数では六十万人から二十四万人へと六割近く減少している。
十年前に比べると高卒で就職する学生は実数で半分以下(今年度は十九万四千人)になったが、そのうちの「六七・七%」しか就職できないのである。今年も就職活動の厳しさに数万人が就職希望を撤回したことが予想される。二〇〇二年では七万人、就職希望者の約三分の一が就職希望を撤回した。途中で就職希望を変更した場合、家庭の経済力が許せば専門学校などに進学することが可能だが、家庭の経済力が許さない場合はフリーターになるしかない。現に毎年就職撤回者の約半数がフリーターになっている。
四二〇万人の「社会的弱者」
原因は、日本企業がグローバル化し高卒者の主な受け入れ先となっていた製造業が海外に生産拠点を移し、国内では付加価値の高い労働への需要が高まったからである。そのため高校への求人は、大規模事業所とホワイトカラーを中心に大きく減少している。従業員数千人以上規模への事業所への就職は、一九九二年には二九%だったが、二〇〇二年には一五%に減少している。それに代わり二十九人以下の事業所への就職が一一%から二二%へ倍増している。二〇〇〇年に都内で行われた調査では、四七%の企業が高卒採用を中止しており、その理由を「経営環境の悪化」(48%)、「専修学校卒・短大卒・大卒の各学卒に当該職務を代替して充当」(42%)、「該当業務を非正規従業員に移行」(19%)と答えている。これらは構造的変化であり、もし仮に景気が上向いたとしても高卒求人の増加は見込めないことを示している。つまり今まで高卒者が担ってきた業務は非正規雇用に置き換えるか、高度化のため大卒者等に任せたため、高卒者には仕事が残っていないというのが現実である。
そのため求人の質も劣化している。日本高等学校教職員組合の行った「高校生の就職問題110番」では、「内定をもらったが『数カ月アルバイトをしてもらって、働きぶりを見て正式採用するかどうかを決める』と言われた」など深刻な相談が寄せられている。
四月「学校から仕事へ」一斉に移行する雇用慣行が破壊されつつあるが、それに代わる制度はない。その結果、四月に「正規の移行ルート」からはじき落とされたものは、そのまま正規就労から締め出され続けてしまう。そのため不安定雇用の若年者(34歳以下)が急増している。二〇〇二年フリーターは二百二万人。完全失業者百五十九万人、NEETと呼ばれる無業者が六十数万人。日本社会は四百二十万人を超す青年たちを、アトム化、無力化し「社会的弱者」に突き落としている。
世代を超えて伝播する貧困
フリーターが急増しているからといって、すべての青年が等しくフリーターになるリスクを背負わされているわけではない。明らかにフリーターになりやすい層が存在する。ジェンダーによる差別は深刻である。女性は常に男性よりもフリーターになりやすく脱出しにくい。
ジェンダー以外では、学歴が低いほど不安定雇用が増大する。大卒・高専卒・短大卒の約八〇%が正規雇用に就いているのに対して、中卒では二七%、高校中退では二九%しか正規雇用となっていない。したがって高等教育を受けることは不安定雇用に陥るリスクを軽減する一番確実な手段である。しかし、ここに世界一高額な高等教育費が立ちふさがる。物価が下がっているといわれているが、教育・医療など人が生きていくために必要な費用は上昇を続けている。
現在日本では年収四百万円では進路決定が極めて限られてしまう。国立大学の初年度納付金は、一九九〇年度に比べて一・四七倍、年収四百万円世帯の五分の一に相当する八十万二千八百円。そしてこの十年一貫して勤労者家庭の年収は低下し続けている。
実際フリーターになった者と、正規雇用に就いた者の間では、生家の経済的豊かさへの認識の違いがある。フリーターとなった者のほうが生家を豊かでないと感じている割合が高かった。フリーターに付きまとう「豊かな親世代に寄生するパラサイトシングル」というイメージは現実とかけ離れている。実際フリーターに行われた聞き取り調査では、高校時代からアルバイトをして生活費を親に渡していた、経済的理由で進学を断念した、など生家の困窮がフリーターへのきっかけになった例が多数報告されている。
親の経済力で受けることができる教育が決定されてしまう現実がある。東大医学部入学者の七七・八%が私学の中高一貫校の出身者で占められている。このような学校に進学させることが可能な経済力を持つ家庭は限られる。一方階層化された「底辺校」では、「真面目に勉強しても就職できない」現実が学校への求心力を失わせている。
その結果アルバイトが高校生活の中心となり、高校在学中からフリーターのような生活実態の生徒が増えている。見かけは「遊ぶ金のためのバイト」だが、しかしこのような高校生の多くは「遊ぶための小遣い」を親からもらっておらず、在学中から「経済的自立」を要求され、一部の生徒は親に生計費を渡してさえいる。親世代の困窮が、子どもを高等教育から疎外しフリーター化を促進している。困窮世帯の子どもは、より不安定なフリーターへ。
正規雇用されたら安泰なのかというと決してそんなことはない。正規雇用が減っている分だけ、正規雇用労働者への負担は増大し、長時間労働と不払い残業が拡大している。三十代労働者の四人に一人は、週に六十時間以上働いている。年収四百万円世帯の子どもがフリーターになった場合、その平均年収は約百二十万円。親よりもさらに困窮の度は深まる。貧困が世代を超えて伝播する「機会不平等」社会に日本はなってしまっている。
「悪いのはあなたじゃない」
企業主義的国家統合から弾き出された四百万人を超す青年。「競争」からふるい落とされた青年たちの組織されることのない無自覚な「怒り」は、自己に向けられた場合は「集団自殺」や様々な「嗜癖」となる。他者に向かった場合は、より弱い者へ向けられた「ゲームの様な暴力」となる。競争が徹底された社会では、敗者ほど容易に不当な競争のルールに取り込まれてしまう。そして高校では「産業社会と人間」という新科目で「自分でインプロイヤビリティ(企業に雇用されうる能力)を高めること、チャレンジ精神を持たせ」ようとしている。高校はもはや授業を通じて、十七歳の胸に諦めと絶望を刻み込む場所に成り果てている。
「新時代の『日本的経営』」と成果主義賃金制度は正規雇用労働者の賃金をバラバラにして春闘の基盤を解体した。個別賃金管理にと不正規雇用で人件費率を下げることにより利潤率を回復しようとする資本の試みは、逆に一律「八百五十円」という基盤から団結して職場要求をあげる可能性のある労働者層を作り出した。
不安定雇用に突き落とされ傷ついた青年たちが求めるものは、将来をかけたい「本物」である。それ故に彼らは「自分の天職」を求めて漂流する。漂流の果てに「失うべきものをもたない」四百万人は、国粋主義者の「突撃隊」になるかもしれないし、企業の枠にとらわれない産別労組の萌芽になるかもしれない。
時給八百五十円。年収三百万円のためには、年間三千五百時間以上働かなくてはならない。年間三千時間を超えると過労死が多発しはじめる。まず何よりも傷ついている青年たちに、「間違っているのはあなた達ではなく、社会のシステムなのだ」という実感できる明確なメッセージを送る必要がある。資本主義がもたらす「商品を購入する癒し」は青年たちを「癒す」ことはない。四百万の青年たちの胸に火をつける、小さな火花を。
「本物」を求める青年たちに、「本物」の反資本主義左翼の旗を掲げよう!
(矢野薫)
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彼には二つの名前があった
藤井 保
私の友人、在日朝鮮人の李君のことである。彼は日本名も持っていた。李君と同じ在日のA君は日本名を使っていた。これは私が中学時代の話だから古いことです。
彼は体も大きく勉強も良くできた。スポーツも万能で彼は投手、私は捕手で地区の試合では結構の成績を上げた。相手チームが一塁に出て、「リー、リー、リー」と言うと彼はムキになり良い投球ができない。
このような口での言い合いなら大したことはない。学校帰りに日本人と朝鮮人、体が触れると組になってケンカになる。いろいろなことがあったが子どもだからすぐ仲良くなった。
彼は工業高校に進学したが朝鮮人であったため就職できなかったらしい。
私たちが三十歳位になった時、偶然駅で会った。明日東北のB市に行き、パチンコ店をやるのだと言った。
私が育った環境は「朝鮮人朝鮮人とバカにするな! 同じメシ食ってどこ、違う」、こんな歌を私も歌ったのです。クズ鉄のおじさんがリヤカーで来る、あれが朝鮮人だと言われた。
さて私たちは学校で朝鮮史を教えてもらわなかったから、創氏改名や就職差別が日本のアジア侵略のためだったとは知らない。戦後六十年のいま、子どもの教科書から「戦争」がなくなる。
創氏改名も朝鮮人からの要望だったと一部の人が言う。歴史問題、日本もドイツのように罪を反省しなければならないでしょう。
【訂正】前号6面「世界社会フォーラム社会運動団体の呼びかけ」末尾の日付、「二〇〇一年一月三十一日」を「二〇〇五年一月三十一日」に、同8面「韓国はいま」見出し、「民主労組イ・カンビョン前委員長」を「民主労総イ・カビョン元委員長」に訂正します。前々号(2月28日号)6面「投稿『パッチギ!』を見て」1段右から22行目「楽器店で」を「康介は楽器店で」に訂正します。
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