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2005年6月18日発行
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JMM [Japan Mail Media] No.327 Saturday Edition
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http://ryumurakami.jmm.co.jp/
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▼INDEX▼
■ 『from 911/USAレポート』 第203回
「いじめ」との戦い
■ 冷泉彰彦 :作家(米国ニュージャージー州在住)
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■ 『from 911/USAレポート』 第203回
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「いじめ」との戦い
日本の山口県で、高校生が自分の通っていた高校の教室に手製の爆弾を投げ込んで
爆発させ、負傷者を出した事件は、AP通信が送った第一報がアメリカのメディアに
も載りました。扱いは結構大きかったのですが、論評などは冷静でした。日本を「異
文化」として見ながら「爆弾テロ」と「校内暴力」を結びつければ、衝撃的な記事に
仕立てることはできたはずです。ですが、そうならなかったのは、第一報の中の、犯
人は「いじめ」の被害者であると示唆する部分が、妙に納得されてしまったからだと
思います。
日本では、この問題は長く続いており、今回の事件がそうかもしれないように深刻
化も進み、また対策も取られてきています。日本としては学校での「いじめ」という
問題との格闘には、長い歴史があると言わざるを得ないのでしょう。ですが、アメリ
カでは、ちょうど今、急速に問題が拡大しているところです。日本に比べて現象とし
ても対策としても時間的にズレがあるようです。
日本で「いじめ」の問題が深刻な社会問題になっていた90年代には、まだアメリ
カでは「ブリング (=bullying, いじめ)」という言葉はあまり一般的ではありません
でした。教師によるクラス運営は上手くいき、公教育への信頼が崩れるようなことは
ありませんでした。小さな子供を中心に善悪の判断パターンがうまく教えられていた
のと、汚い言葉に対して厳しい姿勢を学校や社会が取っていた、それが機能していた
ように見えたのです。
問題といえば、ひたすら暴力事件でした。例えば、1999年のコロラド州のコロ
ンバイン高校での銃撃事件のでは、自殺した犯人2人が「いじめ」の被害者という認
識はあまりなく、銃規制の問題や暴力の問題、あるいはインターネットと若者文化の
問題に議論が集中したものです。
この事件を契機に暴力への「ゼロ・トレランス(非寛容)」というのが、全米の教
育現場でのスローガンになりました。状況の深刻な学区では金属探知器が導入されま
したし、そうでない地区や、低学年の学校でも「暴力の追放」へ向けてやや神経過敏
というような状況も出てきています。
例えば、私の住む学区でも99年の直後に、女の子のクラスメイトに輪ゴムを飛ば
した小学生の男の子(9歳)に対して、厳しい措置が取られるという事件がありまし
た。学校側は男の子を即停学にして、メンタルな鑑定をしないと復学させないという
措置をとる一方で、警察が深夜に自宅を捜索して事件性を調べたのです。この問題は
少年が黒人だったということで、学校の過剰反応に差別性があるのではと、民事法廷
に持ち込まれ、最終的には和解となりましたが、全米の判例集にも出てくる有名な事
件になりました。
その後もこうした事件は後を断たず、最近でも今年の2月にフロリダ州で、「手首
に巻き付けた輪ゴムを外すように」と教師に注意された高校生が、その輪ゴムをパン
と教師の机に飛ばしただけで校則違反の「危険行為」とされて、10日間の停学に
なっています。そんなわけで、保守派の若者たちの間などでは「ゼロ・トレランス」
は「ゼロ・インテリジェンス」だ、つまり形式的で厳格な暴力規制はナンセンスとい
う声も上がっています。
私は、この「ゼロ・トレランス」は決して無意味ではないと思います。この考えは、
子供同士だけでなく、教師の体罰や、親の子供に対する虐待、更にはNLBやNBA
のプロスポーツ選手による馬鹿馬鹿しい暴力沙汰に至るまで、アメリカ国内における
「暴力反対」のスローガンとして機能しているからです。勿論、大前提として国内の
暴力には敏感でも、国外では先制攻撃や劣化ウラン弾などの暴力や、テロ計画を告白
させるための虐待まで正当化しようというので、全く矛盾した話なのですが、そうし
た内外の矛盾は別として、国内での「暴力追放」は一定の効果はあったと思うのです。
ですが、心理的な「いじめ」に対する問題視はなかなか進みませんでした。例えば、
コロンバイン事件の際に、コメディアンのジェニーン・ガラファロが「彼等はいじめ
られていたんです。そしていじめられていた人間には、高校というのは地獄と同じに
なるんです。私もそうだけど、自分の高校時代を振り返って幸福な時期だったと思え
る人は少ないんじゃないかと思う。そして、これは深刻な問題なんです」というよう
なアピールをしていたのですが、社会的にはほとんど無視されました。
このコロンバイン事件をモチーフの一つとした、マイケル・ムーア監督の『ボウリ
ング・フォー・コロンバイン』は、犯人の2人の置かれた位置に関して丁寧に迫って
はいました。彼等が影響を受けたといわれるロック歌手のマリリン・マンソンがイン
タビューの中で語っている「彼等の居場所のなさ」というのは鋭い指摘だったと思い
ます。ですが、この映画にしてもメインテーマは「恐怖心と暴力」の象徴する「銃」
への告発でした。「いじめ」はメインのテーマにはならなかったのです。
そんな「いじめ」が社会的に一気に認知されたのが、2004年にヒットした青春
コメディ映画 "Mean Girls" です。私は本編は見ていないので批評は控えますが、女
子高校生同士の「いじめ」を含むグループ行動の争いなどを生々しく描いたことも
あって、興行成績は89ミリオンと大ヒット、主役を演じたリンゼー・ローハンは一
気に女性アイドルとしてトップの位置に躍り出ました。
この映画の主人公は、アフリカの自然の中で育ち、初めてアメリカの高校に転校し
てきた、いわば「帰国子女」なのですが、学校の生徒仲間を支配している「派手な女
生徒グループ」のいじめに遭いながら、彼女らをやっつけてしまう、という筋書きに
なっています。タイトルの「ミーン」というのは「いじわる」という意味で、主人公
はアフリカで学んだ「動物生態学」を応用して「いじわるな」仲間の行動パターンを
読み、最終的に知恵の力で「権力闘争」に勝つ、という展開が高校生たちに大受け
だったようです。
一応ハリウッドのメジャー作品ということで、最後には勧善懲悪になるのですが、
「いじわる」グループの言動が生々しいのと、主人公が健気に「戦う」というのが人
気の秘密で、これまでのアメリカの青春映画にはなかったパターンです。「いじめ」
といえば、2002年に大ヒットした『スパイダーマン』でも、高校生の時の主人公
ピーター・パーカーは明らかに「いじめ」の被害者という設定でした。どうやら、
「いじめ」が社会の表に表れ出したのは、この頃からのようです。
私の住むニュージャージーは、中でも問題の顕在化も、対策も早かったようで、
2002年の5月に「反いじめ法」とでもいうべき州法が成立、あらゆる「いじめ」
行為の根絶を各教育委員会に義務づける内容となっています。この法律に従って、私
の住む学区でも昨年あたりから小中学校の校内に「いじめをなくそう」というような
スローガンを多く見かけるようになりました。
このニュージャージーの「反いじめ法」の特徴は、匿名での告発を奨励しているこ
とです。それだけで加害者の断定や、強制力の発動ということになっては行き過ぎと
いうことで、「匿名告発+何か別の証拠」があって初めて教育委員会が動くというこ
とになっているのですが、いずれにしても「匿名での告発が可能」というのは大事な
ポイントだとして、他の州でも取り入れるようになってきているそうです。
問題の顕在化が比較的新しいこともあって、法制化はともかく、各州、各学区での
対策はまだまだ試行錯誤というところのようです。TVのローカル局が、特集番組に
してシリーズで取り上げるというようなことも、つい最近の状況です。ですから、メ
ディアも教委のレベルでも「男子中心の殴る蹴るのいじめから、女子も加わった心理
的なものへ変化している」ということを認識するのが精一杯というのが現状です。
勿論、熱心な啓発活動を行っている団体もあり「青少年暴力防止資料センター」な
どではきめ細かな啓発活動をしています。例えば、
「調査によると全米で88%の子供がいじめを目撃している。いじめの周囲にいる子
供たちも、心理的なダメージを受ける。いじめを救えない罪悪感の行き場がないため
に、自尊心が崩壊したり、あるいは罪悪感に耐えかねて被害者には相応の理由がある
のだと納得して加害者に転じる危険もある。また、被害者の友人関係を維持すると、
自分も被害者になるのではと恐れて、被害者との関係を絶つこともあり、この場合も
罪悪感から心に傷を負う」
などという記述は、生々しいだけでなく、子供たちの心理をきめ細かく分析した
「言葉」として説得力があるように思います。この団体、あるいは多くの州の教委が
アピールしているのは「いじめは個別の問題ではなく、学校全体の環境の悪化として
とらえるべきで、学校全体の雰囲気の向上をきめ細かく行うことでしか事態は好転し
ない」という認識です。
では、どうして2000年あたりから突然「いじめ」が流行し出したのでしょうか。
私には、日本の状況と似ているように思えてなりません。日本では80年代の好況に
拝金主義が流行する一方で、親の労働時間が長くなり、家族はすれ違いになって行き
ました。同時に共通テストなどによる学歴の序列化が進み、いわば、物質的な価値観
の流行、親の子供への保護の総量の低下、更に単純すぎる競争システムによる若年層
へのプレッシャーが一気に押し寄せたと見ることができます。更に、90年代不況は、
この三つの問題を更に深刻化させながら子供を含めた社会に不安感を与え、事態を悪
化させたように思います。
アメリカの場合は、それがずれています。90年代の好況が拝金主義をもたらす一
方で、進学熱も高まりました。一方で、親の労働時間は長くなり、子供への保護の総
量は低下、こうした問題を抱えたまま2000年のITバブル崩壊により社会不安が
拡大、更にテロや戦争による不安感や社会の分裂が追い討ちをかけている、時系列で
整理するとそういうことになるのではないでしょうか。こう考えると、アメリカで起
きつつあることと、日本で起きたことはほとんど重なってきて見えるのです。
いじめの背景を一言で言えば価値の相対化です。善悪のような抽象的な価値に一貫
性を持たせることができず、したがって判断の基準として使えないという状況がそこ
にはあります。ですから、個別の行動パターンは好悪や損得といった反射的あるいは
打算的なものが中心になります。その結果として人間関係とは支配・被支配だという
貧困に至ります。これでは子供の「いじめ」を止めることはできません。
そう言えば、最近は町を歩いていると、人々の表情が年々冷たくなってきているよ
うに思うのです。「お先へどうぞ」的な普通の親切も少しづつ減ってきているのを感
じます。子供の野球などでも、「10点もリードしていたら相手を白けさせないよう
に盗塁は控えよう」とか「敬遠は卑怯だからダメだ」というような「精神的な野球文
化」は年々弱くなってきています。TVでは相変わらずリアリティ・ショーと言われ
る視聴者参加の「競争」企画が人気ですが、これはこれで単純な価値観による勝ち負
けの人生観を広めていると見ることもできます。そんなことも、「いじめ」蔓延と関
係があるのかもしれません。
アメリカの教育というと、漠然とキリスト教的な倫理が残っていて、善悪の概念は
日本ほど相対化されていないのでは、90年代にはそんな見方もできました。ですが、
今はもう時代が違うようです。学校現場が、教委が、そして心理学者などの専門家が
必死になって「いじめ」の問題と格闘し始めていますが、そこには「キリスト教的博
愛主義」などといった神話の介入する余地はないようです。正に専門家による、粘り
強い戦いが始まったばかりだと言えるのでしょう。
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冷泉彰彦(れいぜい・あきひこ)
作家。米ラトガース大学講師。1959年東京生まれ。東京大学文学部、コロンビア
大学大学院(修士)卒。著書に『9・11(セプテンバー・イレブンス) あの日か
らアメリカ人の心はどう変わったか』、訳書に『プレイグラウンド』(共に小学館)
などがある。最新刊『メジャーリーグの愛され方』(NHK出版生活人新書)。
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4140881496/jmm05-22
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