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英語圏の極端と極端
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投稿者 スパルタコスポノ 日時 2005 年 4 月 29 日 22:09:39: VwFkRnCGdf9dw

英語圏って、何か保守でもリベラルでも極端になって、東洋的な中庸の精神がないね。保守になれば、ガチガチの石頭のバックラッシュになり、一方でリベラルはリベラルでカゲキであって、どっちへ行っても暴走する。極右かカゲキ・パフォーマンス派かどっちかになるしかないのか?
本来、過去の伝統が現在にそのまま通用するとは考えなくても、程ほどに伝統と革新を中庸させようとする力が日本人にはあると思う。リベラルというほどでもバックラッシュというほでもない。日本人はそこそこ保守であり、リベラルであるという人が多い。それが英語圏ではどっちへ行っても調和がない。いったん保守に行ったら、ローマ時代や中世にまで遡らずにはいられない。白黒はっきりさせないと気が済まない。やりきらないと気が済まない。日本人のような曖昧を許さない文化なんだな。日本人は保守対リベラルが文化的には、そこまではっきりさせない。
世の中は変わる。基本は無為自然だ。あちらは神学論争やりきらないと気が済まない。長い火あぶりの伝統があるからだ。
保守対リベラルの闘いには永遠に答えはない。アメリカ人よ、東洋思想に触れなさい。仏教・道教・八百万の神のいのちの伝統を学ぶべきだ。先住民に学ぶのも良い。ただの伝統的白人保守では無反省の傲慢・支配開き直りになる。アメリカ白人は先住民や東洋思想に学ぶべき。先住民には色々な意味で極端な人は少ないだろう?アマゾンの原住民にゲイが少ないのは生き方が自然だからだろう。女の格好をしてはならないなどという戒律などなくても、自然な環境ではあまりゲイにはならないものだ。そういう環境ではゲイはあっても少ない。「してはならない」という戒律があるから余計やりたくなるんだろう?精神的自由と政治的リベラルはまた違うのかもな。政治的リベラルは自由を気取っても、結局保守と同じ都会人としての気負いがある。保守でもリベラルでもアメリカのは自然か?保守かつ心が自由な生き方もある。心が聖書の型にはまっていないか?「リベラルでなければならない」なんて思ったら、もうすでに自由じゃない。

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