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2005年5月30日 朝日新聞 夕刊 文化欄より引用開始 -----
橋爪 大三郎 東京工業大学教授(社会学)
「万世一系」というトリック
皇室の人権尊重を
わが国の天皇システムは、王建の一種である。
王権とは、王がいて、人びとを(たとえ名目的にでも)統治し、その地位を血統によって世襲するものをいう。世襲はそれなりに厳格なルールに従う。
なぜだろう。それは、つぎに即位できる人間を、王の近親者ごく少数に限っておかないと、人びとが納得しないからだ。王の血統は尊い、だから王子は次の王にふさわしい(誰でも王になれるわけではない)、という観念がこれを補強する。
この結果、王の血統は、しばしば断絶する。
即位できる人間の範囲を広げても、女性の継承を認めても、断絶を防ぐことはできない。そもそも、王位を継承できる人間を、王の近親者ごく少数に限るのが、王権だからだ。
イギリスを例にあげても、王朝が何回か交代した。これは、人びとが王権をないがしろにしたからではない。むしろ、王権を継承し、王の血統を尊いものと考えた結果だ。王の血統を尊いと考えるから、普通の誰かを王にできないのである。
では、王朝が断絶したら、どうすればよいのか。
よくある方法は、よその国の王(または王族の誰か)を連れてきて、新しい王になってもらうことである。あちこちに王家があった時代は、こういうことがやりやすかった。国内にやんごとない血統の貴族がいたら、貴族に頼んでもよい。
王朝の連続性が途絶えても、統治される側の国民の連続性が保たれていれば、問題ない。これも王権のあり方なのだ。
柔軟性持つ継承ルール
さて、これらを踏まえて、天皇システムを考えてみると、どうなるだろうか。
まず、明瞭な王朝の断絶(交代)がない。これは、継承のルールがかなり「柔軟」に適用されてきたことをいみする。たとえば、天皇にはふつう妻にあたる多数の女性がいて、誰が産んだ子も皇位を継承できた。教会が認めた正式な結婚の子でないと、王位を継承できないキリスト教圏とは違う。また女帝も決して一時しのぎでなく、皇位継承の選択肢のひとつだった。
王朝が断絶しないのは、誰が天皇となるべきかについて、厳格な原則がないこと、つまり、誰であれ天皇が続いてほしいと人びとが願ってきたことをいみする。裏を返せば、天皇の血統そのものを尊いと考えているわけではないのである。
この伝統を、明治政権は「万世一系」とよび換えた。皇室典範では女帝も禁じた。継承のルールがあいまいでだらだら続いてきただけのものを、あたかも西欧の王家のような男系の血統が伝わってきたと見せかけるトリックである。日本人自身もこれを真に受けてしまった。
いまの皇室典範は、ルールが明確だ。だから、適当な皇位継承者がいなくなる「お世継ぎ問題」が起きる。では女帝を認めることにしようかと、人びとはあわて始めた。「誰であれ天皇が続いてほしい」という、昔ながらの発想である。
共和制移行の選択肢も
天皇の血統が断絶して何が問題なのかと、私は言いたい。
天皇システムと、民主主義・人権思想とが、矛盾していることをまず見つめるべきだ。
そもそも皇族は、人権が認められていない。結婚は「両性の合意」によるのでなく、皇室会議の許可がいるし、職業選択の自由も参政権もない。公務多忙で、「お世継ぎ」を期待され、受忍限度を超えたプレッシャーにさらされ続ける。こうした地位に生身の人間を縛りつけるのが戦後民主主義なら、それは本物の民主主義だろうか。皇位継承者がいなければ、その機会に共和制に移行してもよいと思う。
日ごろ皇室を敬えとか、人権尊重とか主張する人びとが、皇族の人権侵害に目をつぶるのは奇妙なことだ。皇室にすべての負担を押し付けてよしとするのは、戦後民主主義の傲慢であろう。皇室を敬い人権を尊重するから、天皇システムに幕を下ろすという選択があってよい。
共和制に移行した日本国には天皇の代わりに大統領をおく。この大統領は、政治にかかわらない元首だから、選挙で選んではいけない。任期を定め、有識者の選考会議で選出して、国会が承認。儀式などの国事行為を行う。また皇室は、無形文化財の継承者として存続、国民の募金で財団を設立して、手厚くサポートすることを提案したい。
----- 以上、引用終わり。
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