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靖国問題で妄言が流れている(「すべてを疑え!!」6月10日)【日本人の手で戦争犯罪人を裁かねばならない】
http://www.asyura2.com/0502/senkyo9/msg/934.html
投稿者 南青山 日時 2005 年 6 月 10 日 11:58:57: ahR4ulk6JJ6HU

http://www.aa.alpha-net.ne.jp/mamos/whatsnew.html
2005年1月以降の更新情報
06-10
●靖国問題で、「A級戦犯は国内ではもう罪人ではない」だから「戦前の戦争指導者たちに責任はない」といわんばかりの妄言が流れています(たとえば厚労政務次官の森岡正弘)が、何バカなことをいっているのだ?
●私の母は静岡出身ですが、その父(私の祖父)の深澤銀蔵という人は漆器をアメリカに輸出するなどして海外事情をよく知っていた。昭和の初め、静岡市一番町の家に輸出先のアメリカ人を招いたときは、家に白い布を敷き詰めて靴のまま上がらせた。つまり、当時としては開明派だった。太平洋戦争が始まった昭和16年(1941年)12月8日の朝、冷え込みで一番町の家の池が湯気を立てている(池に引く井戸水が暖かいのでそうなる)のを見ながら銀蔵はいった。「アメリカのサンフランシスコには、金門橋という鉄でできた大きな橋がかかっている。あんなものを造る豊かな国と戦ってはだめだ。勝てない」
●銀蔵は横浜で関東大震災に遭い父と妻を亡くし(会社から慌てて家に戻ると自宅が倒壊し、家族が埋まっているところに火が移って、やむなく野毛山に逃げた。私の祖母は銀蔵の後妻。銀蔵が残した膨大で詳細な震災手記が私の手元にあり、いつか世に出そうと思っています。これがまた「田中商会の金庫にダイヤモンドがあったはずというので、日本刀で武装して掘り出しにいった」とか「神戸に行く難民船に乗ったら顔なじみのマリ公がいて、煙草をもらった。マリ公が神戸で一旗挙げるのだと意気軒昂なので、こんな淫売がいうのだ、俺も頑張らねばと思った」とか、ムチャクチャおもしろい)、「人というのは熱さや痛さには耐えられない生き物だ」「大火は絶対に消せない」「焼夷弾の空襲が始まったら一目散に逃げよ」と、日頃から家族にいっていた。一番町では離れのある広い屋敷に住んでいたが、生涯、瓦屋根の家は造らせませんでした
●で、昭和20年5月か6月のある日、米軍が静岡上空で神戸空襲(3月)の様子を記したビラを巻いた。それは神戸市街地の地図で、焼けた場所に赤い斜線が引かれ、写真もついている(次は静岡だとは、書いてはなかった)。それを見て銀蔵は「アメリカ人はこういうことで嘘はつかない。これは本当だ。次は静岡の番という警告だ」といい、妻の実家のある静岡の北の麻機《あさばた》に疎開を決めた。ここは一番町から歩いて1時間ほど、市の中心部から5〜6キロの場所。妻の家の手も借りて実っていた麦畑を潰し、五番町にあった工場の庇《ひさし》を取り外してもっていき、急遽6畳2間の仮住まいを造らせた。昭和20年6月19日、馬車を3台手配して家財道具を運び出しにかかったが、2台満載にしたところで近所が「深澤さんのところは逃げ出すのか」とざわざわしはじめた。そこで2台だけ送り出し、3台目は空で返した。家族は荷物と一緒に麻機へ。その晩、私の母と妹は一番町に泊まった。母は17歳で一番町小学校の代用教員、妹は14歳の女学生で、一番町のほうが翌日近くて便利だったから
●19日の深夜、警戒警報のサイレンが鳴り、静岡駅付近に紫色とピンク色の照明弾が落ちた。「いよいよ始まる」と思った私の母は、とにかく心配しているだろう両親のところに逃げようと、妹を(自転車2台で途中はぐれるとまずいと思い)自分の自転車の後ろに乗せ、一目散に麻機の山を目指して逃げ出した。庭には防空壕があったが、それに入ろうとは思わなかったという。当時、庭のない家は畳を外してその下に、その場所もない人は道路脇などに防空壕を掘った。簀の子を敷いて布団などを持ち込み、警報が鳴れば入るのだが、銀蔵はハッキリ「こんなものは役立たない。入れば蒸し焼きになる」と断言していた
●二人は、大岩の交番まで来たところで警官に止められた。私の母は「若い者が真っ先に逃げ出すとは何事か。すぐに帰れ」と横っ面に張り手を食わされた。で、母は「そうですか。すみません」とちょっとひと角戻るふりをして回り道し、山を目指した。麻機では父が街道に出て娘二人が来るのを待っていた。いよいよ静岡大空襲が始まり、麻機の山からは米軍が市の周辺部に焼夷弾を落とすのが見えた。静岡高女(現・城北高)がまず燃えだし、やがて中心部が燃えだして、静岡市内は焼け落ちた(死者2000人前後、負傷者数千人、罹災者10万人以上、焼失家屋2万数千以上)
●【注】 米軍の爆撃にはフェーズ1とフェーズ2がある。フェーズ1は、まず市街地のぐるりの矩形に焼夷弾を落とし、火の壁をつくる。目的は、目標地区のマーキングと住民の退路遮断。東京でも4×3マイルの矩形周辺部の幅450mを、先導のB29中隊が100フィート間隔で隊列を組み、最初に焼いた。フェーズ2で矩形の中を丁寧に絨毯爆撃(低空から焼夷弾投下)していく。昔読んだが、最初に大きなX字を描くというやり方もあったはず
●銀蔵は震災の経験があるものだから、夜通し指図して握り飯を作らせ、翌朝、荷車につんで一番町を目指した。一番町小学校の先生たちはプールにつかっており、プールの水は温かかった。すっかり燃え落ちた一番町の家の防空壕からは、近所の人たちの遺体が多数出てきた。小さな人が入れるほどの重い金庫(その後もずっと一番町にあった)がすっ飛んでいたそうだから、近くに250キロ爆弾でも落ちたのかも知れません
●何がいいたいかというと、途中で警官に止められブン殴られた母親が、素直にいうことを聞いて家に戻っていたら、私はこの世に生まれていなかった。私の子どもたちも生まれていなかったし、あなたがこのホームページを読むこともなかった。ですから、私は祖父や母親の判断を100%正しいものであったと確信しています。しかし、逃げるのを邪魔した警官を責めるべきだとは思わない。彼は警官としての職務を執行しただけ。では、「その通りにしていたら、私は生まれなかったかもしれない」という圧力を、私の母親にかけた責任者は誰なのか。それは、当時の日本国の指導者たちであったというほかはない。もちろん、都市の絨毯爆撃という無差別大量殺人をさんざん繰り返したアメリカはとんでもないが、爆撃は日本もやっている(たとえば重慶爆撃。ドイツもイギリスも市民殺戮を狙った爆撃は、やっている)から、どっちもどっち。アメリカが悪いにせよ、負ける戦争を指導し、到底勝てないとわかってからも無惨な抵抗を続けさせ、空襲による死者や罹災者を増やした当時の日本国の指導者の責任は、問われて当然です
●昭和20年には首相ではなかったが、たとえば東條英機はどうか。彼は、昭和10年関東憲兵司令官、12年関東軍参謀長、15年陸軍大臣で、16年太平洋戦争開戦時の内閣総理大臣兼陸軍大臣兼内務大臣、19年には参謀総長(陸軍トップ)まで兼任した人物です。東條英機が日本国の行政責任者として多くの若者たちを戦場に送り込んだことは明らか。極東軍事裁判の結果がどうのこうのという前に、東條英機には日本の指導者として日本の国民大衆に対して責任があるのは当たり前。自決を図っただの裁判で天皇を守ろうとしただのが、免罪符になるわけもない(もっと多くの無名の人びとが自決し、命をかけて天皇を守った)。A級戦犯は戦勝国の押しつけで、その後に国会で名誉回復したから責任はないなんて、どこの誰がいえるのだ。そんなバカなこと、この前の戦争で死んだ者たちに申し訳なくて、いえるはずがないではないか
●ちなみに、私の叔父(銀蔵の、大震災で死んだ妻の子)は満州から帰還したものの戦病死し、靖国に祀られている。私の父は陸軍士官学校60期で、陸軍大将を目指し、もちろん天皇のために死ぬつもりだった。陸士OBのクーデター未遂「三無事件」の中心にいた一人は、幼い私をよく高い高いしてくれた人物です(90年以降も何度か会ったが、当時は内調=内閣調査室の仕事をしているといっていた。官房機密費からお小遣いをもらっていたんでしょう)。私の祖父も、負ける戦争とは思ったが、戦争にさんざん協力した。戦前の人びとがお国のために死に物狂いで頑張ったなんてのは、当ったり前の話。その中で軍人だけが犠牲になったと思うのは間違い。軍人がみんなひっくるめて英雄だったというのも間違い。旧軍人だけが靖国神社に祀られ敬われるべきだという考え方はナンセンスの極み。醜い戦争指導者や軍人などゴロゴロいた。戦犯に対する国会の名誉回復で、彼らの罪や責任が消えたわけでは断じてない
●そもそも連合国側が戦犯を断罪しなければ、日本人の誰が、誰の責任を問うたというのか。あの大戦争で何百万人か死んで、責任者がいないなんて話がどこにある? じゃあJR西日本の責任なんて放っておけばよいではないか

★日本の無責任体制の象徴が、天皇の戦争責任論であり、東京裁判だ。すべてはお上のやったこと、責任は彼らにあり、と責任を転嫁し、お上(官僚)の方は、法に則して任務を遂行しただけで、自分たちに責任はないと主張する。誰も責任をとらない。みんなが悪いとかなんとかで、責任追求をせず、責任の所在を曖昧にしたまま、次に向かう。それでいい場合もあるが、日本の財政赤字問題、対米従属問題、対アジア外交問題では、そうしたなあなあ主義は通用しない。
この文章の前段にドイツ行きを決めた日本サッカーの論評があるが、日本サッカーが思ったような成績を挙げられなかったり、選手のできが今ひとつだと、ジーコ監督の責任にする論調がファンの間で目立っている。これも日本型責任転嫁の典型だ。アジア的風土の日本版ともいえるが、歴史的に根付いたものであり、一朝一夕に変わるものではないが。

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