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(回答先: 分霊ができるのでしたら分霊すれば良いでしょう。 投稿者 考察者K 日時 2005 年 5 月 29 日 20:57:49)
信仰の対象である「神様の一部を取り出せ」というのだ。
しかし、もともと靖国神社は戊辰戦争での戦死者を慰霊するため、明治天皇がじきじきに命じて作った神社・東京招魂社だった。
だからきわめて政治的な神社であることに間違いはない。
そもそも神道の伝統では、朝廷が滅ぼした相手を鎮魂することであったのに、明治天皇は伝統を「政治的に」ねじまげて味方の戦没者のみを神にまつりあげる神社を創設した。
敵を祀る伝統に背き、神道の伝統にも背くこの神社は「おかしい」。
さらに靖国神社は国家管理下におかれてきた歴史的経緯もある。
国家管理の時代なら、合祀したうちの何人かを「国の都合」で分祀をするのは簡単だ。国の管轄下にあるのだから国が勝手にやるだろう。
しかしその時代と現代との間には決定的な断絶がある。
宗教法人靖国神社は、日本国家とは別の、独立した集団であることを忘れるべきではない。
これまで何度かの靖国裁判で、裁判所が「違憲」を認定したのは、日本国憲法20条3項の政教分離原則に触れたからであった。
国は宗教的活動を禁じられているのである。
「分祀」は宗教行為である。
国が「分祀」に口を出すことすら禁じられているというべきだ。
靖国を国家管理する法律を作ろうとした時期(1969年 - 1974年)があった。
靖国神社法案を五回にもわたって国会に提出。
五回目には自民党が衆議院で単独可決したが、参議院で否決され、その後政府は靖国神社の国家管理を断念した形になっている。
そして「私人」か「公人」、「私的参拝」か「公的参拝」が問題となった。
1978年に突如、秘密裏にA級戦犯を合祀。
翌年、合祀の事実が発覚した2日後、キリスト教徒の大平正芳首相が靖国神社に参拝するという奇妙な構図が生まれた。
そういった事情から、分祀に関してひとつだけはっきりしている点がある。
分祀するかどうかの決定権は、宗教法人靖国神社にあるということだ。
その限りにおいて町村信孝外務大臣(「政治権力者が『分祀しなさい』というのは信教の自由に対する権力、政治の介入になる」)や小泉純一郎(「一宗教法人に政府が関与すべきではない」)が、そういう趣旨の発言をするのは正しい。
分祀を声高に唱えたのは中曽根康弘首相であった。
元エリート軍人の中曽根が、靖国神社は国のものだと思い込んだのかもしれないが、それはアナクロニズムの極致というべきだ。
山崎拓は中曽根康弘が総理大臣であった当時の官房副長官で、それ以来分祀論議にかかわってきたとされる。
その当時、彼らは本気で分祀する意図はあったのか。
靖国神社からは「とんでもない」「それは無理だ」とする回答があったことは確実だ。神社側は「神霊」の一部を切り取る「分祀」など教義上、はなから認めていないからである。
野中広務官房長官も1999年、個人的な見解として、「A級戦犯を分祀し、靖国が宗教法人格を外して純粋な特殊法人として国家の犠牲になった人々を国家の責任においてお祀り」する旨の発言をしている。「
個人的な見解」であったのは官房長官という公的立場からは許されない発言だったからだ。
中国の政治家が分祀をうんぬんするのは、「可能なら、その『分祀』とやらをやってみせてくれ」、と言っているだけであってそれ以上の意味はない。
したがって「分祀」論争に口を挟むのは意味がない。
読売の社説「『BC級戦犯』をも忘れまい」(2004年8月15日)などという屁理屈も、ここに端を発した言い掛かりなのである。
憲法20条3項で必要十分なのだ。
もちろん改憲されてしまえば話は別だが。
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