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『海舌』
http://kaisetsu.ameblo.jp/entry-83b524868f17b365fdd811f80cb0be10.html
阿南中国大使は、阿南惟幾氏の実子である。
町村外相が、独断決定した対中国ODAの北京五輪後の廃止について、中国は、表向きは、了解しているが、本心は、継続を望んでいるだろう。
さらに、経団連の奥田氏も、日本国内の重工業・自動車等工場、建設土木業、日本工営、パシコンなどのコンサルタントから、継続志向を持っている。 環境などでの中国に於けるODA需要に言及していたと思う。
そこで、阿南氏など対中ODA継続を目論む日本側の事情と、中国政府との利害が一致した、と考えられもする。
今朝のニュースで、奥田氏が、工場は平穏で、今後に支障は無いと胸を張っていたのは、どうも、臭い。
通常であれば、工場のサボタージュこそ、中国の常套手段であり、最も恐れることで、それに、言及して、自信を持った発言が出来るとは、余程の根拠があるのだろう。
さらに、毎日新聞で、北京では、グループ・リーダーは公園に行こうとしていたが、一部が、日本大使館を目指したと書いている。これは、公園に行くというシナリオが不自然であったからだ。わざわざ、標的を外して、反対に行くデモ行進のシナリオに、無理があり、学生・大衆は、常識的な行進を選びたかっただけだろう。町村氏は、訪中を予定通り行うと言う。
町村氏の中国訪問で、『対中国ODA継続・増額』、『扶桑社の教科書容認』、『より規模の大きい対中ODA計画発表とのバーターによる日本の常任理事国(拒否権なし)賛成』などのシナリオが動き出したら、これこそ、阿南中国大使の『謀略的自作自演』である。
阿南中国大使は、自己の任期中のODA将来停止決定と言う『官僚的汚名』を返上でき、奥田氏など、重厚長大、メーカーの利益重視の経済界リーダーにとっても、道路の整備や工場団地の整備など、今後の自社に有利な投資環境が整う。
町村氏は、飛んで火にいる・・・か? 踏んだり、蹴ったりは、民主党の支持基盤である、第三次産業や進出中堅企業である。さらに、日本国民にとっては、まさに、ブラック・ユーモアである。悪夢だ。 これが成功すれば、第二、第三の謀略が開始されるだろう。そのトップに、阿南惟茂氏が座る。
歴史は繰り返されるのか?
ODA ウォッチャーズ
あなみ これちか
1887(明治20)〜 1945(昭和20)昭和期の陸軍軍人(大将) http://www6.plala.or.jp/guti/cemetery/PERSON/A/anami_k.html
多磨霊園 埋葬場所: 13区 1種 25側 5番 1
906(M39)歩兵少尉となり、以後累進し多くの局長を歴任。39(S14)陸軍次官。 43陸軍大将。45年4月、鈴木貫太郎内閣の陸相となり、本土決戦論を主張。ポツダム宣言の受諾をめぐる御前会議では国体護持の立場から条件付き受諾を主張し、東郷茂徳外相らと対立した。敗戦の日に自決。
阿南中国大使関係
阿南惟敬あなみ これひろ
?〜 1975(昭和50) 昭和期の軍事史学者 http://www6.plala.or.jp/guti/cemetery/PERSON/A/anami_ko.html
東京出身。祖父は政府軍警部などを務めた阿南尚(同墓)、父は陸軍大将の阿南惟幾、母は阿南綾子(共に同墓)、その長男として出生。 陸軍士官学校(56期)。結核療養のため留年。 1945(S20)6月に陸軍士官学校(58期)を卒業したが、同年8月15日に終戦を迎える。戦後は防衛大学教授。軍事史学界の中心人物として機関紙『軍事史学』を刊行するなど、軍事史学の研究で功績を残した。著作に『清初軍事史論考』などがある。 弟(次男)の阿南惟晟(同墓)は陸軍砲兵少尉として太平洋戦争に出陣したが、1943(S18)11月20日中支常徳作戦で戦死した。弟(三男)の阿南惟正は富士製鉄勤務後、新日本製鐵副社長を経て、1995(H7)6月太平工業株式会社代表取締役社長に就任、後会長(H11〜13)。日本柔道連盟理事など歴任した。弟(六男)の阿南惟茂は戦後外務省に入り外交官として活躍。アジア局長などを歴任。 2001(H13)退官。妻の阿南ヴァージニア史代は歴史家として活躍。
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