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『主文に関係ない判断は違法』
現役判事が批判本
http://www.tokyo-np.co.jp/00/kakushin/20050513/mng_____kakushin000.shtml
「判決文は蛇足だらけ」。今春、現役の判事が出版した一冊の本が、裁判官の間で物議を醸している。題して「司法のしゃべりすぎ」(新潮新書)。判決の主文には直接関係しない判断を述べることを違法と痛烈に批判した内容だ。同僚の間では「極端な見解」と冷ややかにみる向きが多いが、売れ行きは好調で、波紋は確実に広がっている。(社会部・鬼木洋一)
著者は横浜地裁の井上薫裁判官(50)。東大理学部大学院を修了後、いったん民間企業に就職した後、裁判官になったという異色の経歴を持つ。著書は今年二月の発売後、三カ月近くで一万八千部まで増刷された。「司法分野の本としては上々の売れ行き」(新潮社担当者)だという。
井上氏が「蛇足判決の典型」と断じるのが昨年四月の福岡地裁判決。二百人を超す市民が小泉純一郎首相の靖国神社参拝は憲法違反だとして慰謝料を請求した。判決は市民側の訴えを退けたが、理由の中で「参拝は公的なもので、憲法が禁止した宗教的活動にあたる」と述べ、違憲判断を示した。
■覆せない“敗訴”
井上氏は「被告側に晴らすことのできないぬれぎぬを着せた。蛇足判決による弊害だ」と語る。民事訴訟法では、勝訴した側の控訴や上告は「上訴の利益がない」として認めていない。首相側は「靖国参拝は違憲」とした一審判決を覆す機会が得られず、“実質敗訴”で判決が確定した。
首相の靖国参拝をめぐっては、全国六地裁で計七件の訴訟が起こされているが、先月の東京地裁判決をはじめ、福岡を除く六件は、憲法判断をせずに原告側の訴えを退けている。
福岡地裁判決のように「判決に蛇足を加えることは、裁判官の越権行為で違法」と井上氏は断じるが、法曹界ではあまり受け入れられていないようだ。
ある裁判官は「何が蛇足かを規定する法令はなく、判断は個々の裁判官に委ねられている。しゃくし定規にしか判決が書けないとすれば、裁判官の思考停止を生み、法理論の発展にマイナスだ」と否定的だ。
元最高裁判事の深沢武久弁護士も「蛇足論を突き詰めれば、パソコンでも判決が出せる。裁判における人間性を否定するに等しい主張だ」と批判する。
■「明らかな越権」
一方、元最高検検事の河上和雄弁護士は「裁判官は国民から選ばれたわけではなく、法律の技術屋にすぎない。判決に自分の思想や信条を盛り込むのは、明らかな越権だ」として井上氏の考えを支持する。
「どこまで判断する必要があるかは事件を担当する個々の裁判体(裁判所)が決めること。長官としてどうこう言えない」
三日の憲法記念日を前に行われた記者会見で、町田顕・最高裁長官は、蛇足論について静観の姿勢を見せた。
だが、あるベテラン裁判官は「仮定の話」とした上で「政治家が蛇足論を盾に国会などで判決批判を始めたら、最高裁としても黙ってはいないはず。司法権への介入だと猛反発するだろう」。
井上薫氏は自らの理論について次のような所感を寄せた。
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裁判の判決に、主文を導いた「理由」を付さなければならないことは、民事では民事訴訟法が、刑事では刑事訴訟法が定めています。一方、主文に影響を与えない「蛇足」を付す権限を裁判所に与えている法令はありません。だから、判決に蛇足を書くことは越権で違法なのです。
たとえば、ある申込書の氏名欄に、その人の趣味も記入してあったら、だれだっておかしいと思うでしょう。同様に蛇足は判決理由でない以上、判決の理由欄に書くことは許されません。主権者である国民一般のこの常識的判断をないがしろにしてはいけません。
蛇足には訴訟の遅延やそれに伴う訴訟費用の増大といった弊害もあります。蛇足を書くため、証拠調べなどの審理が余計にかかるからです。
私の蛇足判決理論は数学の議論と同じです。正誤(適法か違法か)のいずれかがあるだけで、水掛け論に終始することはありえません。靖国参拝訴訟の福岡地裁判決に象徴されるような、残存する抵抗勢力の理論的誤りはもはや明白です。
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