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「幻想民主主義の国」日本(閉塞感が漂う日本社会の深層)
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投稿者 鷹眼乃見物 日時 2005 年 5 月 11 日 17:36:40: YqqS.BdzuYk56

「幻想民主主義の国」日本(閉塞感が漂う日本社会の深層)

<注>
 この内容はBlog記事のB/N(posted 2004.1.5 News-Handler)ですが、大幅に書き換えてあります。約1年数ヶ月前の自分が書いた記事を読んでみると、日本の社会・経済状態が以前より良くなるどころか、ますます後退しており、もはや大方の日本国民は上か下かの区別も覚束ない空間識失調状態に入っているようです。ただ、その五里夢中の靄々の上に浮かび上がり上機嫌の様子で世界を股にかけたパフォーマンスの日々を楽しむ人影らしきファントム(Phantom/幻、幽霊、外見だけで実績がない人、錯覚、架空やデッチアゲの仕事で高給を食む人/典拠:大修館ジーニアス英和辞典)が見えるだけです。

 ところで、このような自分のBlog記事の往還の中から新たな問題点に気づくこともあります。そこで、今回気づかされた、社会が虚構化(幻想化)しつつあるという意味を込めて表題を「コピー民主主義の国」(上っ面だけの民主主義の国)から「幻想民主主義の国」へ変えてみました。

 ・・・・・・・・・・・・・ここから記事内容に入る・・・・・・・・・・・・・
 
 分子生物(生命関係)学者・清水博氏の著書『生命を捉えなおす』(中公新書/1978年、初版刊行)が出版されてから、早いもので、もう20年以上の歳月が経ちます。そこで提唱された「関係子」という言葉が、今、再び注目を集めているようです。清水氏の提唱は、それだけ時代を先取りしていたといえるのかもしれません。関係子はメディオンと呼ばれることもありますが、これは哲学者・中村雄二郎氏が名付けたものです。中村氏は氏自身が提唱してきた「トポス論」(場の理論)、「リズム論」との関連性を考えていたようです。また、リズム論といえばクラーゲスの『リズムの本質』(1971年刊、みすす書房)という名著があります。

 現代は、コンピュータのめざましい発達によって「高度情報化社会」と呼ばれますが、その名声の割には、あまり高度で“賢い”時代ではないようです。それどころか、「戦争・テロリズム・宗教原理主義・市場原理主義・弱肉強食・自己責任・誤った歴史認識・過剰な民主主義・過剰な人権」などの恐ろしげな言葉が、権威を持って、威圧感タップリにマスコミや世論を牛耳っています。技術が発達してコンピュータそのものが賢くなるのとは正反対に、それを利用する人間の方がどんどんバカになっているようにさえ思われます。だから世相が暗くなるばかりで、本当に明るい未来は見えてきません。そして、つい最近は、養老孟の『バカの壁』が、自称180万件の小泉メールマガジンに迫る勢いでバカ売れするような珍現象が起こりました。バカがお目出度い時代でもあるようです。その理由は色々あるでしょうが、一ついえることは、現在のノイマン型コンピュータによる「情報化」の限界が近づいているのではないか、という問題があります。ともかく、今のノイマン型コンピュータが未来社会の人間を本当に幸せにできるのか、別にいえば、それが人間を含めた広い意味での生命(いのち)のために役立つのか、という根本問題をもう一度シッカリ考えるべき時かもしれません。

 清水氏は、人間の存在を広範な生物界全体に位置づけて捉えなおし、生命の働きについては、その全体とのかかわりの中で生成的、関係的、多義的に理解すべきだと考えているようです。そのためのキーワードが「関係子」であり、関係子が発生させるリズムの「引き込み現象」に生命の秘密を発見しようとしているように思われます。例えば、サッカーの観戦などで実感されることですが、微粒子(選手)が沢山集まってできる激しい動きには一種のチーム力のような、個々の粒子の能力を超えた、次元が異なる力が発現することがあります。その時の“協働的な動き”を個々の微粒子(選手)が明確に意識しているかどうかは定かでありませんが・・・。

 一方、医学の最先端では人間の全遺伝子解析プロジェクトが一応終了したことで、「遺伝子アルゴリズム」なる用語が生まれ、恰も人間が遺伝子の設計図から立ち上がってくるようなイメージが喧伝されています。しかし、果たして機械を部品から組み立てるように、理解された遺伝子の組み合わせから人間やその他の動物を意のままに創ることなどできるのでしょうか? 清水氏によると、「関係子」が作用する「生命の場」ではフィード・バックだけでなくフィード・フォワードと呼ぶ循環ループが形成されているそうです。フィード・フォワードを比喩的に言ってみると“まず個々の粒子(分子)が自律的な個々の立場(一定のルールに従う動作の仕方)を守りながら全体の目的のために“協働”して未来の「場」を創り出して、その未来の「場」から現在へ向けてバック・スキャンの光が当てられる”というような循環ループのイメージです。

 清水氏が、初めて「関係子」の着想を得たのは、筋肉(骨格筋)におけるサルコメア(筋繊維の一単位となる筋節)の立体構造がミオシン分子(繊維の単位となる蛋白質の一種)の運動に与える影響を研究している時でした。大雑把にいうと、筋肉の中にあるミオシン分子が、アクチン分子との空間関係から、それぞれ差異がある場所に置かれており、そのために却って全体として筋肉を効率よくスムーズに収縮させているということです。ミオシン分子は、それぞれが差異を認め合った上で互いに協力し合い、全体としてサルコメアの秩序の高い動きを自己組織化しているのです。

 このように、それぞれ自律的に働いているミオシン分子が集まり、全体の中で適切な役割を担い合っていくためには、まずその集まりであるサルコメア全体(これが「場」に相当する)の運動に関する情報が各分子に伝えられ、各分子がその情報に基づいて自らの態度(協働のための意志決定に相当する)を決めることになるのです。この全体の状態に関する情報こそが「場の情報」または「位置の情報」です。つまり、これは筋肉システムのフィード・フオワード制御に必要な「操作情報」なのです。そして、このような「場(位置)の情報」は、一般に位置と時間によって変化することが分かっています。このような「関係子」を媒介とする生体内システムの着想は、近年の人口知能や認知心理学の分野で注目されつつある、生物個体間における「クオリア」による表象伝播、及びそれを支える「脳内ニューロン・クラスターの発火」理論との近似性が注目されます。

 次に、問題は、どのようなメカニズムで「場の情報」が創りだされるか、ということになります。一般に環境は複雑であり、その変化を事前に規定することは不可能です。このため、総ての操作情報(ここではフィード・フォワード制御に使う情報)を予め用意することはできめせん。そこで、状況に応じた適切な「操作情報」を「自己組織」する必要が出てくるのです。一般に「場の情報」は環境・システム・関係子の順に上から下へ流れて、環境やシステムの状態を要素である関係子へ伝え、今度は関係子群からの情報創生によって、関係子の状態が上から下へと逆行する状態で運ばれ、全体として「情報の循環ループ」が形成されることになります。これまでのシステム論では、環境はシステムに対する固定された境界条件であると仮定され、その中でシステムと要素の関係、、そして要素と要素の関係だけを論じてきたのですが、それは、環境とシステム、そして環境と要素の関係を意味的な面も含めて議論する方法を持っていなかったからです。今後は、環境の複雑さを前提として、環境・システム・要素の三者の関係を取り扱うことができる新たな科学の視点を創造し、環境の方から「関係子」的なものを介して人間に送られてくる「場の情報」を読み取ることが重要になると思われます。

 ともかくも、このような研究のフィールドから、生体内における生成の相互関係を創造する“生成的単位プロセッサ”としての「関係子」という概念が誕生したのです。この場合、相互関係によって、ある状態が選択されるためには「関係子」が多様な内部自由度を持っていることが必要になります。このような運動要素間の動的協力性とシステムの立体構造(環境)による「場の情報」の生成原理は骨格筋の収縮だけに限られることではなく、生体運動一般に見られる特徴のように思われます。現在、それぞれ専門の研究者たちによって、昆虫の飛翔筋・精子の鞭毛運動・原生生物の繊毛運動・バクテリアの鞭毛運動などが研究されています。ここでも、それぞれの運動要素には動的な協力性があり、さらにその集まりにはそれぞれの目的にかなった環境としての「特有の立体構造」があって、骨格筋の場合と基本的には同じ原理で、様々なタイプの特徴的な運動が生成(創生)されていることが分かってきています。

 大脳における「関係子」の働きについては次のようなことが分かっています。大脳新皮質の一般的な特徴として、ハイパー・コラムと呼ばれる自律的な「ユニット・プロセッサ」(一定の情報処理を受け持つニューロン・クラスタ)を単位とする複雑な構造があります。そして、他の様々な生命システムの中にも、論理的性質という点でハイパー・コラムと共通性のある要素が存在することが分かっています。このため、改めて、この論理的な相似性を持つ“生物・生命的な要素”のことを「関係子」と“定義”することが可能となります。つまり、骨格筋でサルコメア全体の運動に関する情報が各分子に伝えられ、各分子がその“情報”に基づいて自らの態度を決めているのも同じ論理構造を持つ一定の「場」の中における「関係子」の作用だと考えることができるのです。このように、生命体の中の「関係子」はそれぞれ自律性と個性を持って活動する能動的な要素ですが、その集まりが創り出す「関係の場」の中で、今度は「場の情報」としての情報が生成されることになります。そして、特に脳の場合、この「関係の場」として重要な役割を担っているのが、主に古い皮質の部分にある「無意識の場」(華厳宗でいう「無分別な智/阿頼耶識」/法相宗の無意識世界に相当する)だと考えられるようになっています。

 ところで、脳の働きに関する研究で、新たに重要なことが分かってきました。それは、既知の知識を柔軟に応用するためには「概念の不完全性」が大切だということです。一般に「知識システム」というものでは、新しい知識を次々と獲得するに従って、そのシステムがその知識によって自己規定をどんどん進め、次第に応用力を失っていく「自己完結システム」が生成される場合が考えられます。一方で、新しい知識の獲得によってシステムが応用力を広げ柔軟性と想像力を高めつつ「発展的システム」が生成される場合も考えられます。前者のタイプのシステムは、知識の獲得によって自由に書き込める情報空間が減少していることを意味します。後者の場合は、知識の獲得によって自由度がかえって増加し、情報空間が実質的に拡大します。このように考えてみると、前者がノイマン型のコンピュータ・モデルに対応し、後者が「脳の情報処理システム」に近いことが理解できるはずです。後者のシステムでは新たな知識を媒介として新しい動的なコネクションを自由に創ることができる上に、それまで不要だった様々な情報空間を統合して使うこともできるようになる、と考えてもよいでしょう。

 また、前者では情報空間が細分化されており、相互にわたる協働的なコネクションを創造できないが、後者では、広い情報空間が“融通無碍”に使われるので、規定されていないだけに自由度が多くなるということもできるでしょう。それは自己の内部情報空間そのもが拡大すると考えてもよいのです。特に、人間の脳の新皮質で顕著に観察される科学的、仮説的な現象である「関係子」の働きを簡潔に説明すると、“人間の脳は部分的な機能の分担に満足する働きをしているのではなく、それは脳全体の諸機能との相互連関的なネットワーク構造の中で絶えずフィード・バックとフィード・フォワードの情報伝達を繰り返し、情報を循環させながら脳全体を活性化させつつ新たな発見を創造し続けている”働きだということになります。つまり、大脳は、このような働きを担う、きわめて多くの「関係子」の複雑なネットワークだと考えられるのです。また、大脳は、この複雑なネットワークを内外の様々な表象(文字、イメージ、概念などのエクリチュール情報)やトランスミッター(化学伝達物質)で変化させ活性化させることで、比較的似たような、そろったリズム(または、ニューロン・クラスタの発火(興奮)が形成するクオリア)が「互いに引き込み合う状態」を創ったり、あるいは逆にカオス性が高い状態を創ったりすることができる、と考えられています。

<注>「ニューロン・クラスタの発火」と「クオリア」については下記Blog記事(●)を参照。

●アーカイブの役割とは?
http://blog.melma.com/00117791/20050302093459

 このような「脳」の働きに関する新しい知見から分かることは、“今や全世界を覆いつつあるアメリカ発のモノカルチャー・グローバリズムと原理主義的な思考(宗教原理主義、自由原理主義、市場原理主義、規制緩和原理主義、消費原理主義、利益原理主義、民営化原理主義など)は、本来的に多様性(マルチチュード/multitude)を必要とする「生命の本質」という観点から見ても、やはり不健全きわまりない政治・経済・文化の姿だ、ということです。先制攻撃的な武力行使の危険を冒してまで、画一的にマニュアル化された「アメリカ型の経済・文化及び民主主義の形」を世界の隅々まで強引に押しつけることは、フィード・フォワード的な「活力」をもたらす「脳の古い皮質」に比肩できる全地球上の「古いローカル文化」(個性的な歴史と伝統を誇る地域文化)を根こそぎ破壊する懸念があります。また、「場の情報」と「関係子」の協働的な作用の重要性から分かることですが、「生命」は一定のセマンティック・ボーダー(意味論的な区画・区切り)の中に閉じ込められることを最も忌み嫌う存在なのです。このように考えると、新自由主義(自由原理主義、市場原理主義)を大義名分として、強引に押し進められつつあるアメリカ型のグローバリズムは、正に、このような意味で「生命」(生命活動)が最も忌み嫌うことの押し付けに他ならないのです。

 このようなグローバリズムに侵された将来の日本に出現するものは、日本固有の文化(これは権力側が上から押し付けようとする愛国心などとは無関係である)や個性的な地域経済が生きいきと発展する姿ではなく、また、生命感あふれた人々の活躍する姿でもなく、そこにあるのは人間本来の意志と自由を剥奪され、空疎で無意味な情報空間と汚染された環境の中で繰り返し大量再生産される「ステロタイプなコピー情報」と「化学汚染物質&産業廃棄物」の巨大な山塊に押し潰されようとする、まるでボッス(Hieronymus Bosch/ca1460-1516/ネーデルラント初期ルネサンスの画家/宗教的・比喩的なテーマの絵が多く、空想的な妖怪や地獄の刑罰の様子などの描写で、時代を遥かに飛び越えた比類のない批判精神を見せてくれる/
http://masterworksartgallery.com/Bosch-Hieronymus/)の絵に描かれているような薄汚れて退廃し憔悴しきった、しかも「我欲と煩悩」(金銭欲、食欲、性欲、権力欲、名誉欲など)だけが肥大化した人々の恐ろしくも憐れで、おぞましい姿です。

 それは、いわばアメリカ型グローバリズムに汚染された結果としての全地球的な思考停止状態の結末であり、未来への夢と希望を完全に喪失して、ひたすら自失呆然とする人々の姿です。どのような贔屓目で見ても、この半ば痴呆化したような、あるいは妖怪化したような社会の姿が、健全な「資本主義」と「民主主義」の将来像が実現した姿だと言い張ることはできないでしょう。つまり、我われ日本国民が希求すべき理想の「民主主義」は、一方的に暴政を牛耳る権力側から与えられる「お仕着せ民主主義」ではあり得ず、まして他国をあんちょこに真似ただけの「コピー民主主義」などの類ではなく、我われ自身が、自分たちの「意志と希望」によって勝ち取ってゆくべきものなのです。(今、声高に進められつつある我が国の構造改革・民営化・規制緩和なるものは、すべてアメリカ政府が日本政府へ要求したプログラムを忠実に実行しているだけです。具体的な根拠は、下記URL(▲)を参照してください。さながら、日本国の首相は「米国植民地日本・総督」といった位置づけのようです)

▲日本政府に規制改革要望書を提出/米国通商代表部(米国大使館HP)
http://japan.usembassy.gov/j/p/tpj-j20041015-50.html

▲日米規制改革および競争政策イニシアティブに基づく日本国政府への米国政府要望書
http://japan.usembassy.gov/j/p/tpj-j20041020-50.html#mineika-s(米国大使館HP)

 2003年の衆議院議員選挙の時に、約1億の有権者総数の4割に相当する約4千万人が棄権したという「日本の民主主義」の無残で嘆かわしい姿こそ、このような薄っぺらな日本の「コピー民主主義」を象徴するものではなかったでしょうか? そこで見られたのは大脳の「関係子」に相当する、自律した「責任感ある市民意識」の不在という悲しむべき現実です。そこに見られたものは先進民主主義国家の市民(国民)に相応しい政治意識(民主主義についての正しい理解)の欠如です。もはや、この選挙の結果については、後から如何様に言い訳ができたとしても、絶対に否定できないことは、恐るべき現実(ボッスが描いたような世界)が、必ず、そこからもたらされるだろうと言うことです。それが一国の政治が選択したことについての「冷厳なる結末の姿」であり、恐るべき現実です。しかし、これら棄権した多くの国民は、現在に至っても、未だに、そのことの深刻さを理解していないようです。それどころか、本年4月24日に行われた宮城と福岡の衆議院議員補欠選挙でも恐ろしく低い投票率(福岡2区45.99%、宮城2区36.75%)が出てしまいました。そして、事前の世論調査どおりに自民党候補者が2議席とも獲得して民主党は2議席を失うということになりました。

 ここにみられるのは、相変わらずの一般国民の選挙に関する希薄な権利意識です。また、国政に対する恐るべきほどの無関心と民主主義国家の市民(国民)としての批判精神の欠如です。つまり、このような日本では、いわば国家側からの適切な「場の情報」(例えば、将来の日本が国家としてあるべき理想像)の提供も、民主主義社会のガバナンスに責任のある国民自身が、自分の意志と責任において選挙権の行使によって定義すべき「関係子」に相当する共通概念の構築(理想像に照らした戦略プロジェクトの選択)も殆んど機能していないということです。これは、日本という国家の生命力、つまり未来に向かわんとする日本国民の総体的な活力という観点からすると、とても心配なことです。(なお、各国の国政選挙と比べて、どれほど日本の国政選挙の投票率が低水準であるかを論じたBlog記事(下記■)がありますので参照願います)いずれにしても、このような一向に改善しない国政選挙に関する投票率の現実を見ただけで、日本における民主主義の現状と国民一般の政治意識は改善するどころか、ますます退行し、悪くなりつつあることが分かります。

■「低投票率56.6%」が暗示する日本の危機とは?
http://blog.goo.ne.jp/remb/e/4d88664a380ca983ffd4eec0b087ba0b

 ところで、下に並べた数字は、今年1月〜5月までに発表された「NKH世論調査」の小泉内閣支持率調査のデータです。これを眺めて胸にこみあげてくるのは、どのような具体的成果(実績)があって、右肩上がりで支持率が50%を超えるまで回復したのか?という疑問です。成果どころか、現実には「年金問題」の抜本改革など最も肝心のことは放り投げたまま、多少目先の明るさは感じられるものの景気回復の長期見通しは相変わらず五里夢中であり、目的が分からない(肝心の簡保・郵貯原資の財投融資問題にまったく触れぬままなので)「郵政改革」のドタバタ紙芝居劇(内容は道路公団問題と同じ骨抜き状態)が演じられているだけです。一方では「人権擁護法案」、「混合診療の導入」、「サービス残業の合法化」、「小額医療費免責制度の検討」等々、国民の基本的人権を侵すような政策が鉄砲玉のように連発され、周知のとおり財政改革の根本方針が示されぬまま小手先の増税策だけが次々と発表されています。(これらの詳細については下記Blog記事(★)、参照)そして、目立つのは“自称テレビ映りが良い男”、小泉首相を筆頭とする各閣僚・国会議員たちの派手な外遊パフォーマンス・オンパレードばかりです。

★『日本ファシズム化法案』が再提出?
http://blog.goo.ne.jp/remb/e/05db151175d2d0d2e628a08fee282bd5

★「サービス残業の合法化」(等)に関する情報が錯綜してきたので現況をまとめました
http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20050505/p2

★「貧富差拡大時代」招来の上に、国の「社会保障的義務」も放棄するのか?
http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20050319/p2

★高すぎる日本の「民主主義のコスト」    
             
[1月]42 (41)  [2月]46(40)  [3月] 46(37)  [4月] 45(40)  [5月]52(35) 
<注>(  )内の数字は支持 しない。(単位:%)

 他方、この間にクッキリと姿を現してきたのが「憲法改正」の問題です。各マスコミの調査によると、もはや憲法改正の方向は既定路線となったような感があり、マスコミ各社のアンケート調査によれば国民の過半以上が「憲法改正」に積極的になっているように見えます。支持率調査にせよ、憲法問題のアンケート調査にせよ、ここで暗黙にすべての人々が前提として了解している内容は、これらの調査結果が「世論」を間違いなく反映しているという、喩えれば信仰心に近いとすら言えるようなドグマ(思い込み、固定観念、先入観、偏見)です。ここで、敢えてドグマと言い切ったのは次のようなことが考えられるからです。

 つまり「本当の民主化が実現されていない社会で実施されるアンケート調査は、あまり意味がないということ」が言えるのです。(参照、http://wwwsoc.nii.ac.jp/ssst/annual/0002/01sato.html)日本の社会が本当に民主化していないなどと言うと、大方の人々から大きな反撃を喰らいそうです。しかし、この点については、先ほど触れた国政選挙における異常なほどの低投票率という日本の現実があることを指摘すれば十分だと思われます。更に言うなら、「憲法」が持っている「政治権力に対する授権規範性・制限規範性」の意味を、ほとんどの日本国民が理解していないと思われることも、未成熟な日本の民主主義の証なのです。ただ、この点に関しては、憲法学者等の専門家やマスコミにも、かなりの責任があると思われます。つまり、憲法の正しい意義についての国民一般に対する啓蒙活動を積極的に行ってこなかった、という意味です。

 また、「日本国憲法」の先進性の象徴が「平和主義と第9条」にあり、それが世界中の人々から高く評価されていることは多言を要しない程に明らかな事実です。現在、イラクで英国の警備会社に所属する日本人社員が武装勢力に拘束・拉致される事件が起きています。このような会社は、いわゆる「戦争の民営化」(市場の社会的深化の典型例)の流れの中で生まれたものです。現在の世界では、このような「民営化」路線で戦争を戦うのが当たり前のことになっており、だからこそ日本のように「平和主義」を掲げて戦争とビジネスの間に厳しい一線を画す国は、むしろ珍しいのです。しかも、どちらがノーマルで、かつ望ましいことかと言えば、日本の在り方の方が明らかにノーマルなのです。だからこそ、日本の「平和主義」は世界に先駆けており、そのモラル・ハイグラウンドが世界中の多くの人々から高く評価され、信用されているのです。従って、マスコミの支持率調査の結果だけで、このように世界でも稀少な優れた憲法を改正するべきだと安易に主張するのはまことに愚かなことです。(なお、これらの点に関する詳細は、下記のBlog記事(*)を参照してください)

*「軍事的国体論」を超える日本国憲法の先進性
http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20050419/p1

*シリーズ「民主主義のガバナンス」を考える(2/4)
http://blog.melma.com/00117791/20050325211319

  ところで、既述のURL記事(http://wwwsoc.nii.ac.jp/ssst/annual/0002/01sato.html)で引用されている、旧東京大学社会情報研究所の小山栄三教授(http://www.artdai.com/mon/econ/archives/2005/05/post_86.html)が、かつて“世論というものは、基本的にはメディアが媒介項となって、国家と国民の関係性のなかでつくられるものだ”という名言を述べているそうです。(姜 尚中、テッサ・モーリス-鈴木共著『デモクラシーの冒険』(集英社新書))どうやら、我われが暗黙の前提で存在を確信している「世論」なるもの正体は、実は掴みようがない幻影(ファントム)だと言うのが現実であるようです。このように考えれば、メディアコントロ−ルを持ち出すまでもなく政治権力とメディアが協同して「政治的なファントム」を創ることなどは造作も無いことのように思われてきます。そもそも、マスコミ等によるアンケート調査の結果がどこまで信頼できるかは疑わしいところがあります。こんなことを述べると統計の専門家からお叱りを受けそうですが、質問項目の設計と回答者の選び方しだいで、アンケート調査の結果については、かなりの確度で誘導することが可能だと思われます。

 話題は冒頭へ戻りますが、大脳の働きに代表されるような生体内における「関係子」の作用は確かに仮設的な概念に過ぎません。しかしながら、この「関係子」の概念が生物個体内の膨大な細胞群のネットワークを基盤とするニューロン・クラスターの発火という、現実に客観的に観察される生理学的な現象に裏付けられています。乱暴に言ってしまえば、「関係子」の作用は、シッカリと生物固体に脚がついている(つまり、地に足がついている)ものです。他方、「世論」や「支持率」などのファントムは、どのように科学(統計)的手法で装ったとしても、地に足がついたものであることを論理的、観察的、客観的に説明できません。人間社会の未来、日本の未来を左右するための社会操作概念に求められるものは、限りなく「関係子」のような性質であるべきで、「世論」のようなファントム(幻想概念、あるいはメディアコントロールのようなご都合主義による政策決定で右往左往するもの)であり得ないことは分かりすぎるくらい当たり前のことです。

 例えば、ある人物に関するアンケート調査では、「その人物を支持する理由についてお答えください・・・・(1)人間的に信頼できそうだから、(2)仕事の実績があるから、(3)他の人より良さそうだから、(4)他に適任者がいないから・・・」という項目が必ず出されます。この場合、(2)はともかくとして、果たして我われは(1)、(3)、(4)をどのような手掛かりに基づき評価することができるのでしょうか? このように、あるものごとや人間についての質的な評価や判断を求める質問に対しては、よくよく現実の姿や行動・言動などを身近な場所で見た上で考えなければ、あるいは、その人物とたまたま知り合いであったり、一緒の生活や一緒の仕事を経験したことがあるというような場合でもない限り、簡単には答えられないはずです。

 プロセスをブラック・ボックスにして、結果だけを統計的に処理した数字ほど危ないものはありません。たとえ、数字で如何に精緻な理論が構築されたとしても、現実との接点が希薄であるに任せて、そのように矢鱈と数理的に複雑怪奇化した表現世界だけで満足する人は、喩えれば「数学の美学」に耽溺し自己満足するナルシスティックなディレッタントと同類です。人間社会の未来を語る道具として、商品モニター調査や市場調査(マーケティング・リサーチ)のような調査手法にだけ頼るのはきわめて危険です。数字ほど、人を誑かすのに都合がよいツールはないことを想起すべきです。

 ともかくも、このような訳で日本の民主主義社会は、これからも「偉大なるファントムさま」のパフォーマンスに拍手喝采を送りながら、まるでテレビの「お笑いバラエティー・ショー」のような「共同幻想の世界」を浮遊し続けることになるのです。       
 

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