★阿修羅♪ 現在地 HOME > 政治・選挙・NHK9 > 408.html
 ★阿修羅♪
次へ 前へ
靖国に眠る本当の「敵」:snobist club/靖国ー欺瞞の構図。或るナショナリストの呟き
http://www.asyura2.com/0502/senkyo9/msg/408.html
投稿者 二世乃朋 日時 2005 年 5 月 01 日 19:28:04: GlGeeOWe9Wxk.

この方の意見に双手で賛成と言うわけではありませんが、靖国をめぐる最近の似非「愛国者」たちの「ニホンはな〜んもわるくないもんね」的おだ(?)に比べれば、はるかに真っ当な論考です。特に肝の一つである、外から(東京裁判)の責任追及を否定するのならば、内から(日本人自ら)の責任追及をすべき。東京裁判の否定のみを声高に叫ぶことよって、自らは「かれら(戦争指導者)」に対する責任追及を回避するという「卑怯の構図」がそこには潜在しているという指摘などは、思わずうなずいてしまいました。(違う立場からの似たような論は見かけたことがありますが、ナショナリストの方からのものは、少なくとも私には初見だったので)。

<以下転載>
http://members.at.infoseek.co.jp/masa_n/column/041129.htm
 靖国に眠る本当の「敵」(2004/11/29)

 

 APECの首脳会談で、わが国の小泉首相と中国の胡錦涛国家主席が会談した折、胡主席はまたも靖国参拝問題を持ち出した。首相が前日の領海侵犯の件をきちんと持ち出してくれたかどうかが気がかりではなるが、靖国についてはきっちりケチをつけられたわけだ。

 ただし、である。このサイトの長い読者の方はご承知と思うが、僕は首相の靖国公式参拝に批判的だ。それはもちろん、中国に対して謝罪しなければならないからとか、もうちょっとかっこいい言い方をすると東アジアの協調のためではない。

 こうした、中国や韓国のいわば横槍に対して、日本はちゃんとした一人前の国家なんだから、毅然とした態度をとるべきだという声がある。安部幹事長代理もそう言っている。「国のために殉じた方々に尊崇の念を供するため、靖国にお参りするのは一国のリーダーとして当然だ。外国から行くなと言われる筋合いはない。」というのは、もちろん正論だ。

 が、しかし、内面を振り返ってみて、一人前の国家というに足らないのではないかと思われるところがあり、そこが靖国には問題として根ざしているように思われる。それをクリアしないと、一国のリーダー云々といわれても納得できない。一日本人として、納得できないのである。

 

 中国や韓国から文句をつけられるから靖国参拝に反対なのではないが、しかし、彼らの横槍も問題を顕在化させるという効果はある。それに即して、問題を整理しておこう。

 まず、中韓にとっては、靖国神社は日本軍国主義の象徴のひとつである。このことは仕方がない。仕方がないが、かといってじゃあ靖国をつぶせばいいかという話でもない。靖国に自分の血がつながる軍人・軍属が祀られている人は多く、その人たちにとって靖国は重要だ。また、敗戦国だから戦死者の慰霊が許されないというのもいささか暴論である。「国のために殉じた方々に尊崇の念を供する」ことは、ある意味至極当然だ。

 そこで中韓からは、靖国に合祀させられているA級戦犯の問題が出される。戦死した兵卒を悼む気持ちは理解せんでもないが、戦争を推し進めたA級戦犯まで一緒に祀られているところにお参りするのは怪しからん、というのである。

 これに対する日本の反論はいろいろある。死屍に鞭打つようなことをしないのが日本の文化だ、というのも一理ある。中国の権力闘争やヨーロッパの宗教裁判は、死体を掘り起こして磔にしたり火炙りにしたりしたが、日本ではそういう文化はない。それはそれとしてけっこうである。

 もうひとつの有力な反論は、東京裁判そのものが戦勝国による押し付けで無効である、というものだ。これは、新保守主義系の方々が好んで取り上げるインドの某判事が語ったようにそれはそれとして説得力がある。だから、A級戦犯を分祀するわけにはいかない、これが理屈だ。

 

 でも、何度も言っているが、以上の議論は重要な論点を回避している。

 確かに、A級戦犯などというものは、アメリカによって押し付けられたものであるかもしれない。しかし、A級戦犯とされている人たちが軒並み、戦争指導者であったことは間違いない。

 朝鮮人や中国人に対する非人道的な扱いを主導した指導者、とは、ナショナリストである僕はあえて言わない。ただ、日本人の同胞約一千万を死地に赴かしめあるいは内地の爆撃によって死なせ、しかも戦争に敗れ、戦後数十年を経ても諸外国の民より指弾されるような状況を作ったその政治的判断に対する責任だけは、否定しようがない。繰り返すけれども、東京裁判で戦犯に課された「人道に対する罪」とかではなく、まさに、靖国に眠る英霊たちを理不尽な死に追いやった判断に対する責任である。

 あの状況では仕方がなかったとは言わせない。政治判断はいつでも一回こっきりであり、それに対して責任を取れない政治家などというものはありえない。戦争に負け、国民を死なせ、国を焦土と化すような判断が「最善を尽くしたので責任は問われようがない」といわれたら、靖国の英霊たちも暴動に立ちかねない。

 戦争指導者の責任をまがりなりにも追及した東京裁判の正当性を否定しておきながら、その否定を声高に叫ぶことによって、みずからは、彼らの(つまりは我々の国家としての)責任を追及することを回避するという卑怯な構図がこの問題には潜んでいる。

 だから、靖国参拝は続行する、A級戦犯も分祀しない、というのであれば、東京裁判に代わる「我々の手による」責任の追及と処断を行い、それを公表するべきなのだ。それがあれば、まったく恥じることなく参拝しても構わないと考える。しかしこのままでは、日本という国は政治判断に対して責任をとらないのだ、ということを公表したままになってしまう。

 実際、東京裁判で刑を課された人たちの「名誉回復」を、この国は国会で決議しているのだ。何度も繰り返すが、それ自体が悪いことではない。東京裁判で、あるいは戦後のアジア各地で、報復的に行われた戦争裁判とその犠牲となった「戦犯」たちの名誉回復を図ること自体は間違いではない。しかし、だったら、なぜ戦争をし、大きな犠牲を出し、しかも負けたのか、ということを、我々自身で追求しなければならないのだ。

 

 この国は、無責任構造の国だとよく言われる。その構造の中心に天皇制があるということは、日本社会批判を行ってきた人々のよく言うところだ。しかしよくよく考えてみれば、千年以上の歴史を持つ天皇制の前近代性をもって、近代国家日本に巣食う無責任体質を批判することは、無意味とはいわないが、しょうがないことのように思われる。

 むしろ批判は、近代国家日本誕生とともに、伝統的装置と近代国家装置の結節点として成立した靖国(その意味では決して伝統的な日本文化の継承者などではないのだ)に対する批判であるべきだったのに、靖国論争は現在でもなお、中国や韓国の批判に対してどのように対応すべきかという矮小な部分に閉じ込められている。

 その矮小化のために、靖国構造は生き延びる。比喩ではない。米国的な、知的最新鋭の新自由主義の影響を濃厚に受けた「改革」を推進し社会と市民を切り捨てにかかっている小泉首相が、一見それに相反する新保守主義的な、ナショナリスト的な素振りを見せることははっきりと通底していて、その象徴が靖国参拝なのである。

 だから、高橋哲哉先生のように植民地支配の責任を持ち出して新保守主義を批判したりするのは、もちろん無意味ではないが、もうそういう段階ではないほどに社会が壊れかかっているのだ。あるいは郵政民営化を拒否する老政治家が靖国に粛々と参拝するのも、そういうレベルで戦っているかぎり、敵に塩を送っているのだ。

 

 我々は、敵の姿を正しく見ておこう。新自由主義と新保守主義の間に「第三の道」があるのでは決してないことを、まずは肝に銘じておく必要がある。

 「敵」を見定める策のひとつは、上の文章の中にもある。それは、権力者と、権力者に使われた一般庶民とをはっきりと区別することだ。戦場に散華した英霊たちと、巣鴨で首をくくられた責任者(ナショナリストとして僕は彼らを英霊とは決して認めない)が同じところに祀られているというのは、死後においてもなお英霊たちに一億総懺悔の共同責任を無理やりおっ被せているのである。

 だがしかし、東条英機とインド洋に沈んだまんまの僕の大叔父が責任において同等だなんて、ありえない。そんなひ弱な人間だったら最初から東条英機も責任者などになるべきではないのだ。戦死者に対しても、せめて英霊として祀られたいとは思うが、赤紙一枚で自分を戦地へ連れて行ったその当事者とともに祀られるのが、気分がよいものかどうか。

 小泉首相のパフォーマンスに象徴的な、知的新自由主義者気取りと、伝統的新保守主義者気取りに共通しているのは、権力者がみずからの判断について責任を回避する構図である。近代化が徹底されいわば現代化した社会の中では、かつてのように徴兵という装置以外にも、日常生活の中でも一般市民が代替可能なものとして理不尽に権力者に振り回され、なおかつ、権力者は責任から逃避するという構造が徹底し始めている。

 もしみずからが率先して過去の責任を(また繰り返すが、アジアに対する責任というよりも、まずは自国民に対する責任である)とることができないのであれば、いささか乱暴でも東京裁判があったほうがマシである。靖国に眠る英霊たちへの尊崇の念は人後に落ちないつもりだが、そのことと、戦争になぜ負けたのか、負けてしまったことはしょうがないとしてもそれが戦後にいかに生かされているのか、それは英霊たちに報いるかたちで活きているのかは、常に問うていくべきだ。

 次代のリーダーと目される、“戦犯”のお孫さんが「小泉首相の志を継げ」などと抜かす現在、僕は、英霊たちに恥じない社会を構築すべく戦わねばならぬ。

 

 次へ  前へ

▲このページのTOPへ      HOME > 政治・選挙・NHK9掲示板



フォローアップ:


 

 

 

 

  拍手はせず、拍手一覧を見る


★登録無しでコメント可能。今すぐ反映 通常 |動画・ツイッター等 |htmltag可(熟練者向)
タグCheck |タグに'だけを使っている場合のcheck |checkしない)(各説明

←ペンネーム新規登録ならチェック)
↓ペンネーム(2023/11/26から必須)

↓パスワード(ペンネームに必須)

(ペンネームとパスワードは初回使用で記録、次回以降にチェック。パスワードはメモすべし。)
↓画像認証
( 上画像文字を入力)
ルール確認&失敗対策
画像の URL (任意):
投稿コメント全ログ  コメント即時配信  スレ建て依頼  削除コメント確認方法
★阿修羅♪ http://www.asyura2.com/  since 1995
 題名には必ず「阿修羅さんへ」と記述してください。
掲示板,MLを含むこのサイトすべての
一切の引用、転載、リンクを許可いたします。確認メールは不要です。
引用元リンクを表示してください。