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意見コーナー ただの庶民だが私にも言わせてほしい
長いものには巻かれるな
本コーナーの文責は投稿者にあります(編集部)
http://www.bund.org/opinion/20050505-1.htm
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思いやり予算で日本は米軍の楽園になっている
風間紀之
イラク戦争は2003年3月にアメリカの先制攻撃ではじまり、ブッシュ政権は「大量破壊兵器(生物・化学兵器)」の開発計画と、実物があるということを戦争の根拠にした。大量破壊兵器の捜索は同年5月に始まり、昨年12月まで1年8ヶ月もの間数千人規模で行われた。しかし「大量破壊兵器」などなかったので、結局捜索は今年1月には打ち切られた。マクレラン米大統領報道官は、「危険な地域に自由を定着させることが世界をより平和にする」などと、今では戦争の目的を言い換えている。
アメリカは建国以来、自由と正義の名の下に一千万人いたネイティブ・アメリカンの95%を殺した国だ。だから、これくらいは朝飯前なのだろう。こんなアメリカにどこまでも追随していく日本の未来は明るくない。戦後60年経つが、いまだにアメリカに半ば占領されているような日本を真の独立国家にしなくてはならない。
その場合、どう考えても在日米軍の存在はネックだ。米軍再編(トランス・フォーメーション)でも、日本のポジションは「不安定の弧」とアメリカが呼んでいる地域(中東・東アジア)に、いつでも10日以内に米軍が展開できるようにサポートする役割だ。米軍再編では、自衛隊も米軍が指揮できるようアメリカ側から要求されている。
では、在日米軍の存在はアメリカではどのように思われているのか。東アジアの専門家として知られるチャルマーズ・ジョンソン(以下ジョンソン)は、その主著『帝国アメリカと日本武力依存の構造』(集英社新書)では、東アジアに展開している米軍の犯罪とトラブルが、国際問題を引き起こしかねない危険性をはらんでいる、と示唆している。
ジョンソンは日本に米軍を置き続ける理由は2つあり、「最大の理由は金だ」という。「日本政府はあらゆる『同盟』国の中で最も気前がよく、国内、とくに沖縄にいる海兵隊などのアメリカ軍に年間およそ60億ドルを拠出している」「単純にそこでの生活が気に入っているからだ。将校も兵士もアメリカでは望めないいい暮らしができる。将校クラブ、家族用の住居、プール、専用ビーチ、ジム、教会、レストラン、ゴルフ場、野球場、ボウリング場、スロットマシンのあるゲームセンター―どれも日本が金を出しているのに、米軍によって運営され、地元の司法当局は手を出せない―などは、いずれも、ここにいつづけたいと願う強い動機になっている」。なるほどそういうことなのだ。
こうした待遇のよさは、戦後まもなくアメリカ政府と日本政府とのあいだで交わされた非公式の「取引」によるものだ。アメリカは共産主義国家の中国とソ連を封じ込めるために、戦前アジアでもっとも危険な国だった日本を手なずけようと考えていた。日本政府は米軍部隊と兵器を半永久的に日本の領土内に置きつづけることを担保に、アメリカ経済からの日本経済の保護を獲得した。過去もしくは現在東アジアで米軍基地がある国はこうした取引によるものだ。
しかしこの取引がアメリカ経済の没落を作り出していった。特に日本経済の成長はアメリカにとっては予想だにしていなかった。日本経済への保護政策が、アメリカ経済にとってマイナスであることは70年代には見えだした。1971年のドル・ショック、1973年の変動相場制への移行、そして75年のベトナム戦争の終結(米軍の南ベトナムからの撤退)、1985年のプラザ合意というドルの凋落と、それは重なる。
1990年には日本のバブルがはじけるのだが、この「取引」はまったく変更されることはなかった。その結果アメリカが支払わなければならなかった代償は天文学的だった。2000年の貿易赤字は史上空前の4000億ドルを超えた。そのうち810億ドルが対日赤字だ。
ジョンソンは、アメリカが経済的な損失を抱えながらも、いまだに戦後まもなくから続いている「取引」を変更することができない理由は、第2次世界大戦以後も繰り返し行ってきたアメリカの戦争が原因だという。ソ連との冷戦構造の中で巨大に膨らんだ軍事力は、戦争をやり続けるアメリカの産業形態をつくりだした。軍産複合体である。アメリカでは、議員が政治をやりながら会社の社長や重役を勤めることができる。つまり軍事会社の社長や石油会社の社長が政治の中核を担っている場合、自社の利益になるように政治を行うことができる。
9・11以前のアメリカ政府は、ソ連崩壊後、大戦争の可能性がなくなってしまい、「世界平和」のために2つや3つの中規模な戦争が起きても同時に担えるようにすると発表していた。この「世界の警察官」を気取った態度は、実際のところは軍事産業を守るために考えついた戦略だ。9・11以後は「悪の枢軸」と戦争をするので、いろいろな理由を言わなくても戦争できるようになった。
実際に米軍を抱えている国や地域では、「テロ」よりも「米兵の犯罪」のほうがリアルな問題だ。米軍基地のある沖縄などで起きた少女暴行事件などは、米軍の中の習慣からおきた事件だ。イラクのアブグレイブ刑務所でイラク人にしていた虐待もそのひとつだろう。
韓国で2002年6月13日に起きた米軍の事故は、装甲車で13歳の少女2人が轢かれた事故だった。韓国政府はこの事故について、運転していた軍曹2人を裁判にかけるため引渡しを要求した。アメリカは地位協定を盾に要求を拒否した。それをきっかけに反米抗議行動が全土に広がり、地位協定見直しの世論から米軍撤退へと韓国民衆の要求は高くなった。この影響をうけて金大中(キム・デジュン)大統領から交代した盧武鉉(ノ・ムヒョン)政権は、ブッシュ大統領にアメリカ追随を拒否し、北朝鮮との共存を選ぶと告げた。
日本の場合は、大田昌秀前知事の代理署名拒否は大きかった。ジョンソンは沖縄ではこれまでに少なくとも3回、大規模な抵抗運動が起きていると言う。1950年代の強制収容に対して(1回目)。1970年代のベトナム反戦運動(2回目)。1995年の小学校6年生での少女にたいする暴行事件の米軍基地撤去運動(3回目)。
大田前知事は現役のときに1回土地収用のための代理署名を行っている。2回目の代理署名は少女暴行事件がきっかけとなり、署名を拒否した。米兵の犯罪が親米政治を変えてしまったわけだ。この拒否がアメリカの日本外交におおきなショックを与えた。
アメリカに追随する本土政府の工作で大田知事の再選はならなかった。その後勤めた稲嶺恵一現沖縄県知事は親米派だったが、2004年イラク戦争へ赴く米軍ヘリが訓練中に沖縄国際大学に墜落炎上した事故や、返還期限がとっくに過ぎている普天間基地が、今だ返還されていない状況などを許せず、今回の米軍再編では沖縄の米軍基地の整理縮小を日本政府に訴えている。
テロの脅威よりも、米軍のほうがもっとリアルな脅威になっているからだ。チワワのようにブッシュについていくことしかできない小泉政権は余りに無能だ。ジョンソンの言っていることからも、民衆運動で日本は変えることができるのがせめてもの救いだ。
(27才・製造業)
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普通の国になるための国民の成長
天野 雀
戦後の日本では自衛隊の合憲・違憲論争が闘われてきた。しかし現在、自衛隊を違憲であると認めても、自衛隊を廃すべきだとする国民世論は減っている。私もあからさまに自衛隊を軍隊と表現することには抵抗がある。軍隊という響きにはかつての日本軍とイメージが重なるからだ。だが、私は国防をアメリカの軍事力に依存する時代は終わりにすべきだと思う。
外交を含め日本の国防を日本自身が担うことが「普通の国」である。その意味で自衛隊を軍隊と規定する、あるいは徴兵制についても議論を行うことは、国民が自分の国の将来を自分で考える思考力が問われる問題だと思う。なされるべきは、何故かつての日本は軍国主義に染まり、侵略戦争を行うにいたったのか、その歴史を検証することだろう。
「大東亜共栄圏」「五族協和」「八紘一宇」のスローガンのもと、かつて日本が行った侵略戦争は忌むべき行為である。その元凶が日本の軍国主義、軍部の独走にあったことは間違いない。でも、すべてが軍という特殊な組織の責任だったのか。それで日本の侵略戦争を片付けてしまうべきではないと思う。軍の横暴を許し、あるいは支持をした国民自身にも責任があるのだ。
明治以来、軍の政治関与は厳しく規制されてきた。1882年(明治15年)に軍人勅諭が発布された。それは軍が天皇の軍隊であることを規定し、天皇に忠誠を誓い、天皇の命令に服従することを絶対とした。そこには政治不関与の意味も込められていたのだ。つまり天皇が認めた政府の政策に軍は従い、国家のため、天皇のために尽くすことを意味するものだったのだ。戦時中悪用された「統帥権の独立」、天皇が軍を直接統率し、その軍令機関を政府から独立させることも、軍隊を政治から切り離し政治的中立を確保するためのものであった。
まだ軍の近代化が過渡期であった時期には、軍の上層部は藩閥勢力との強い結びつきが残っていたため、政府指導層は藩閥勢力を背景に軍をコントロールすることができた。日露戦争後、藩閥勢力に代わり、政党勢力が政権を担当するようになると、藩閥政治による軍のコントロールは難しくなった。軍部の専門職化が進み、藩閥とは関係ない士官学校を卒業した軍人が主体となっていった。彼らは軍事専門職として濃厚な自意識を持ち、軍事的合理性と組織としての軍の利益を追求していく。軍事専門職として国防を担う軍人の自負心は、次第に軍の自立へとつながっていった。
1914年に始まった第1次世界大戦は、それまでの軍隊同士の戦争という常識を覆すものだった。国家のあらゆる資源を傾けての国家総力戦だったのだ。この戦争を目の当たりにした軍人たちは、国防は国民全体によって担うべきものであると考えるようになった。
日本には総力戦を戦うためにそそぐべき資源と、その資源を戦力化する工業力は十分ではなかった。とくに資源の自給自足という観点からは、大陸の軍需資源の重要性が重視された。第1次戦後の不況は、悪化の一途をたどった。1929年(昭和4年)にアメリカから始まった世界恐慌は、都市部ばかりでなく農村をも直撃した。生糸、繭の暴落から始まり、大豊作だったため米価も暴落。都市には失業者があふれ、農村は窮乏していった。
この状況に政治家は有効な手を打てずにいた。国民の目には政治家が財閥と癒着し、国家・国民よりも党の利益や自己保身に明け暮れていると映った。農民生活の救済をかかげた「国家革新」の思想が台頭し、1932年には急進的思想家による「血盟団事件」が起きる。
この事件で、前蔵相の井上準之助と団琢磨・三井合名理事長が射殺された。同年5月15日には血盟団事件を引き継ぐかたちで、海軍青年士官を中心に陸軍士官候補生らによる5・15事件が勃発、犬養毅首相が暗殺される。事件の前年の31年には満州事変が勃発。当初、人々の間では、満州事変が世の中の閉塞感を打破してくれるものと、期待を込めて迎えられたのだ。1936年2月26日。「昭和維新」「国家改造」を志向する陸軍青年将校によるクーデターが勃発。彼らもまた農村の窮乏を憂えていた。
明治初期、軍は政権を守るための治安維持部隊であった。その後、ヨーロッパの近代的軍隊をモデルとして、国土防衛軍、外征軍として成長した。その成長は列強各国による植民地支配から日本を守る上で重要であった。そのため軍は政治よりも、組織として早く成熟してしまった。軍が一個の特殊組織として政治と対立したことが、軍部の独走につながった原因である。と同時に、国民自身の政治意識の未成熟という点も大きく影響していったのだ。
政治化した軍に対し国民世論は対抗するだけの力をもてなかった。それは国民世論が気分的、感情的、そして無責任でさえあったからだと思う。国民の政治への失望は、軍への期待へと転化し、軍の暴走を止める機会を失ってしまった。国民のこの期待こそが軍の暴走を煽った面もあるのだ。
そのような国民的体質は今の日本でも変わっていない。もし仮に日本で徴兵制を行い、公然と軍隊を保有するとなれば、日本はまた以前と同じ軍国主義の国に立ち返るのだろうか?
その鍵は私たち国民にかかっている。たしかに、もし自分の家族、友人、恋人、または自分自身が徴兵されるなら、自衛隊派遣がもっと切実な問題となって、人々の関心を集めただろう。現代においては数多くの情報が容易に得られ、自国の行動が正しいのかどうかを判断することは可能である。この間のイラク反戦に見られるように、正しい判断を下し、行動しようとする人々が増えていることは確かだ。安易な力による解決を拒みつつ、自国の果たすべき役割を国民自身が考えられる国こそが「普通の国」だろう。
(30才・造園業)
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日本人は大本営発表を総括したのか?
蛭田勢二
大本営発表という言葉がある。日本政府が戦前、戦争に負けても勝っているといい続けたために、ウソの報道の代名詞に使われることが多い。『理戦』77号に二木啓孝さんのインタビューが載っていたが、国民が騙されたというよりも、むしろすすんでそのような報道を求めたのではないかとあった。大本営発表は一部の軍人と政治家の問題であって、国民が騙された被害者であると私たちは考えがちであるが、本当にそうであるのか考える必要があるのだ。大本営発表の総括を私たち日本人は行っていないのだから。
大本営発表は、陸軍、海軍の統帥機関である大本営が国民に向けて発表した戦況報告である。太平洋戦争では初期において自国の被害について比較的正確に伝えていたが、戦争の末期になると虚偽の報告を国民にするようになる。
特に昭和17年7月のミッドウェー海戦での敗戦を境にして、嘘の報道が増えてくる。空母が4隻も沈没させられているのに、実際には1隻沈没、1隻大破という形で報道を行った。帰ってきた兵士に対しては幽閉状態に置き情報の漏洩を防ごうとした。国民には徹底して嘘をつき、時には大本営の人間が直接出てきて国民にたいしてウソの説明をした。そこではアメリカは事実を知らせていないが、自分たちはきちんと正確な事実を知らせている、とまで言っていた。
さらに、陸軍と海軍がお互いにだましあった。1944年の10月に行われた台湾沖航空戦では、実際には巡洋艦を2隻しか沈めていないにもかかわらず、大本営発表では空母を11隻沈めたと報告した。本当にこれだけ船を沈めていれば、アメリカの空母は太平洋にほとんどいないことになってしまう。
その結果を陸軍が信用し、レイテ決戦を行った。ウソの結果を前提にして作戦を立ててしまい、多くの日本人兵士が無駄死にした。
最終的に大本営発表の行き着いた先は、昭和天皇がポツダム宣言の受諾を決めたにもかかわらず、国民全員が玉砕せよという内容のものであった。この報道は陸相や参謀総長が知らないのに、次官と参謀次長の決済があった。ついに天皇に弓を引く寸前までいったのだ。ウソを突き通した結果だ。戦争開始を大本営は報道したが、結局戦争終結を宣言することはないまま日本は敗戦した。
戦前の日本は意見を自由にいえない状態にあった。だが国民の一定の支持がなければ、こんな情報統制を何年間にもわたって続けられるだろうか?『理戦』77号の二木さんは、日本が戦争に突入していった際、政府が情報統制をしただけではなく、戦争をせざるを得ないような空気が存在したと書いていた。大本営発表がウソであることを国民がわかっているにもかかわらず、誰もそれを口に出して言うことができない、それが言える雰囲気ではなかったというのだ。
翻って日本の新左翼の場合、100名を越える内ゲバ死などを経て、この大本営発表のような状態になっている気がする。例えば革マル派は自派の70数名の死は、すべて国家権力による謀殺であるなどと主張している。それを自派の内部では意思統一している。神戸の酒鬼薔薇の件も国家権力による謀略であるなどといっていた。これが自派の内部ではまかり通っているのだが、構成員にそれを支持する雰囲気があるのだろう。
他方では革命軍を作って日帝を打倒せよと主張する党派が、その一方では憲法9条を守れとか、護憲平和を言っている。これは矛盾していないだろうか。新たな戦前への回帰が、反体制派の内部で起こっているとしたら問題だと私は思っている。
(30才・卸売業)
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(2005年5月5日発行 『SENKI』 1177号4面から)
http://www.bund.org/opinion/20050505-1.htm
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