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意見コーナー:ただの庶民だが私にも言わせてほしい (SENKI)
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投稿者 愚民党 日時 2005 年 4 月 19 日 17:11:05: ogcGl0q1DMbpk


意見コーナー ただの庶民だが私にも言わせてほしい

戦後平和主義は終焉した

本コーナーの文責は投稿者にあります(編集部)

http://www.bund.org/opinion/20050425-2.htm

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「平和主義」は日本の常識、でも世界の非常識

多賀 実

 今、日本は戦後初めて、本格的に軍隊を海外に派遣するという歴史の転換点にたっている。国連加盟国の中でも30数カ国しかアメリカの占領政策に協力していないのだから、日本も派遣しないという選択肢もあったわけだが、小泉政権は戦後史の精算をかけて自衛隊をサマワに送った。  

 これに対し反戦運動の中では、自衛隊派遣を「平和憲法」や「憲法9条」に反するといって批判するのが多いが、迫真に欠けていると私は思う。自民党と連立を組む公明党は、イラクの復興支援として100万人の雇用が見込まれる「メソポタミア湿原」の復元事業などを提案している。「とにかく戦争はいやだ」という平和主義では、「人道支援」を標榜する自衛隊派遣という論理に抗していくのは難しい。戦闘が継続されているイラクから自衛隊を即刻撤退させるということは、イラク特措法に照らして当然だが、平和憲法を守れ一辺倒の社共の主張はもう聞き飽きたものだ。  

 半世紀前までは日本も戦争に参画する一国であった。それが第2次世界大戦後、アメリカの占領政策によって平和主義を最大の価値であると教え込まれ、戦争状態に対する国民の感覚的リアリティーが大きく後退していった。廣松渉著『〈近代の超克〉論』(講談社学術文庫)には以下のような件がある。「平和ボケ≠フ昨今では、つい20数年前の1950年代まで、米ソ戦争(第三次世界大戦)は不可避だというのが世人一般の確信的な既成観念であったことすら忘れがちであるが、昭和の初年には日米戦争の将来的不可避性ということが絶対確実な規定の事実として人々に意識されていた。……日本の敗戦を認めたがらない心情があった以上は、恒久世界平和を確立し、全世界の安寧と秩序を確保するためには日本は戦争に勝ち抜き、最終戦に勝ち残ることが絶対の要件として意識される」(P157〜P158)。  

 こう著わした廣松自身1950年、朝鮮戦争がぼっ発したことに反応して、朝鮮半島に近い福岡に住んでいたこともあって、様々な実践に参加し、反米ビラを撒くことで高校を退学処分になっている。第2次世界大戦が起きる過程や朝鮮戦争ぐらいまでは、大部分の日本人は戦争に反対するにしても賛成するにしても、人生をかけた命がけの問題として行動していたのである。  

 日本や天皇の戦争責任を加藤典洋と橋爪大三郎との対談形式で扱った『天皇の戦争責任』(径書房)では、司会役の竹田青嗣が以下のように戦争問題をとらえている。「『日本は戦争したこと自体が悪い』という言い方は成り立たないと思います。その理由は、20世紀初頭のあの時代では戦争という行為はある意味で普遍的な事態だったからです」「もしわれわれが現在の時点の歴史的『善悪』の基準で戦争を考えるなら、これは文句なく『一切』が断罪されるべきことになる。……そういう考えには歴史感覚というものがないわけですね。『戦争が巨大な悪だ』というのは、戦後のわれわれの社会と人間の感覚からきている」  

 わたしは歴史に内在化すれば「欧米列強からの東亜の解放」のために、日本によるアジア侵略は肯定できるなどというつもりは全くない。言いたいのは、戦争に対する条件反射的な拒否という今の日本人の感覚は、日本の歴史からいっても、また現在の世界の常識からいっても特異な現象だということだ。  

 イラクはもちろんアフガニスタンや第3世界諸国では紛争が繰り返され、先進国でもテロの危険性を抱えながら人々は生きている。それが世界の現実なのだ。日本人だけがそのリスクに過剰に反応するか、リスクさえ感覚できないほど鈍感になって、永遠に平和が続くかのように錯覚しているのである。

左翼運動家が語り継ぐこと

 そこで言いたいのだが、戦後、日本の左翼運動は戦争や暴力を否定するよりは、積極的に担ってきた側面がある。1950年代、共産党は民族解放民主革命路線の下武装闘争に取り組んだ。52年5月に皇居前広場でデモ隊と警官隊が衝突し、催涙ガスと拳銃が乱射されて2名の死者をだす「血のメーデー」事件がおきた。  

 50年代後半に共産党と袂を分かって登場した新左翼運動も、権力機動隊との実力闘争や爆弾闘争にとりくんでいった。70年代に入り内ゲバや仲間の粛正など悲惨な「暴力の行使」も内包しつつ、80年代以降も成田空港建設反対運動を中心にして幾度も実力闘争が闘われ、新左翼活動家はそれを担い、傷ついたり投獄されたりを繰り返してきた。世間では新左翼運動のように政治的意義とは一切関係なく、暴力にさらされ投獄される人たちは極道の世界などを中心に普通にいる。  

 これに対し新左翼運動が画期的だったのは、私は戦後の民主主義教育、平和主義教育の中で育ってきた若者達、暴力行為と比較的無縁な女性達の多くを、戦争や暴力の主体的担い手として歴史に登場させたことだと思う。  

 もう過去の話だが、荒岱介著「武装を内包する革命党」(83年)、「革命戦争を生き闘う指導主体のガイスト」(84年)や「戦争論・暴力論の革命的復権」(85年)などは、そこでの導きの糸となった。そこで『破天荒伝』や『大逆のゲリラ』に見られる武装闘争が闘われた。普通の高卒現場労働者や学生活動家が多く参加する組織で、何故そんな闘争が可能になったのか。私はそれは戦争や暴力に対する考え方の妥当性だと思う。  

 というのも、それらでは、暴力でカタをつけることはできない、「その行使は結局はあらたな矛盾をつくりだすだけであり、問題を本質的に解決する力には絶対になりえない」と暴力の道具化を戒めていた。「受苦に対する抵抗、機動隊や政治警察を使った意志の強制に対する抗拒が、われわれの闘いの出発点だ」(戦争論・暴力論の革命的復権)と、防御を基軸にした民衆の抵抗の手段のバリエーションとして暴力の行使は言われていた。  

 「ゲリラ・パルチザン戦闘の遂行は、全人民的政治闘争の一環として、大衆的実力闘争を豊富化する鮮明な政治目的の下貫徹されるべき」(武装を内包する革命党)だと、少数精鋭ではなく全員の質の向上こそが党派闘争にも権力弾圧にも打ち勝つという核心を提起してもいる。この妥当性である。だからその時代状況の中で、実力闘争の歴史を刻み込むことができたのだ。  

 「戦争と暴力」を担ってきた歴史は、左翼運動を経験した多くの人間がもっているものだ。地域で交流する自称「護憲派」人たちの口からよく聞かれるのは、「かつて共産党時代には山村工作隊に参加して」とか「赤軍の人たちを支援していた」など、過去の武勇伝だ。私はそうした自分の歴史を封印して、護憲や平和主義を「政治の道具」にするのではもったいないと思う。  

 戦後の「平和ボケ」した日本で、左翼運動、反戦運動の中で得た貴重な体験を、現代の若者達に語り継ぐ義務があると思うからだ。2001年の「9・11テロ」以降、世界は再び戦争と暴力の混乱にたたきこまれている。日本も世界の常識を問題にすべきときがきているのではないか。

(41歳 団体役員)


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それは日本の重慶爆撃から始まった

岡村 彰

 中国、朝鮮、グァテマラ、インドネシア、キューバ、ベルギー領コンゴ、ペルー、ラオス、ベトナム、カンボジア、グレナダ、リビア、エルサルバドル、ニカラグア、パナマ、イラク、ボスニア、スーダン、ユーゴスラビア。何かの国際スポーツ大会の参加国ではない。これらは、第2次世界大戦後、アメリカが戦争、爆撃を行なった国々だ。これに、アフガニスタンと、2度目のイラクが加わる。  

 アメリカが平和国家ではなく戦争国家であること、これはもはや世界の常識だろう。アメリカは第2次大戦時の東京大空襲や2発の原爆投下など、実は人道などまったく関係ない国なのだ。そのアメリカの支配下、日本人は戦後60年、私達はピースな人々だなどと思いたがっている。やれ争いは嫌いだとか、平和愛好家だとかすぐに言いたがるのだ。  

 しかし日本人が知っておくべきなのは、非人道的な都市に対する爆撃など、実は日本が始めたという事実だろう。1931年10月8日、いわゆる満州事変の直後、日本軍は中国遼寧省の錦州を爆撃、病院や学校を攻撃した。この日錦州に投下された爆弾はたった75発ではあったが、日本軍による初めての都市に対する爆撃であった。それは第1次世界大戦後初めての戦略爆撃であったのだ。戦略爆撃とは従来の軍事施設を目標とした爆撃ではなく、生産拠点や民衆の住む市街地に加えられる爆撃をいう。  

 以降37年7月7日盧溝橋事件を経て、12月13日国民政府の首都、南京の占領まで、南京および周辺都市への日本軍の爆撃は続いた。南京を逃れた国民政府は長江沿いに武漢へ、さらに重慶へと逃れ、38年12月ここを臨時の首都とした。日本軍は時を同じくして、漢口を基地として5年間重慶に対するすさまじい爆撃を開始した。  

 中国側の資料により、爆撃の回数と死亡者の数を見てみると次のようになる。  1939年、爆撃回数34回、死者5247人。40年、80回、4149人。41年、81回、2448人。のべでいうと爆撃回数218回、9513機が襲撃した。投下した爆弾2万1593個、破壊した家屋1万7608棟、死者1万1889人、負傷者1万4100人にのぼる。  

 これに加えて、41年6月5日、重慶市内の大防空壕の中で日本による空爆下、1万人近くの市民が窒息死する事故も起きたという。  

 エドガー・スノーは、ルポ『アジアの戦争』の第5部「竜は自らその傷を癒す」で、″月光と爆弾≠ニ題して、日本軍による重慶爆撃に1章を割いている。  

 「日本軍は1939年5月、冬の霧と雲が去り、この市の隠れ場所が見え出すやいなや、中国の前途に対する希望が最も薄くなっていた瞬間を狙って、第1回重慶空襲を開始したのであった。……3日間にわたって、重慶は日本空軍により、世界のいかなる都市も未だなめたことのないほどの、最も無慈悲なまでに強烈な爆撃の下に曝された」  

 一般市民を空爆によって殺害することを強く非難していたアメリカも、41年12月の真珠湾攻撃をきっかけに、日本本土への爆撃を計画した。翌42年4月東京に対する初めての空爆が行なわれた。44年6月には、日本本土爆撃の専用機として大型爆撃機B29が開発され、中国成都を基地に九州八幡製鉄所を爆撃した。翌45年には、マリアナ諸島を基地としたアメリカは、1月2月と連続して東京を爆撃。しかし高高度からの精密爆撃ではなかなか成果が上げられず、低空からの焼夷弾攻撃に作戦が変更された。そのあと3月10日の東京大空襲の夜を迎えるが、全体を通じ10万人以上が犠牲になった。  

 ピカソの描いたゲルニカは、今マドリードのプラド美術館別館に収められている。ニューヨークの国連本部、安全保障理事会の入り口にも、ゲルニカのタペストリーが掛けられている。2003年2月5日、米国務長官パウエルが安保理でのイラクに関する報告を行なったとき、このゲルニカが青い布で覆われた。  

 かつての同盟国であるドイツが、周辺諸国を侵略した歴史を反省し、今日EUをつうじてヨーロッパの統合に寄与しようとしているのに比して、アメリカべったりの日本外交の無力さは憂うべき事態だ。  

 私たち自身が、今問われている北朝鮮に対する外交もふくめて、アジアの一員というスタンスをどう構築していくのか。そのためにも日本がアジアで行なった戦争を真摯に捉えかえして、アジアとの信頼関係を構築していくことが求められている。

(45歳 会社員)


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東亜の新体制のためには徴兵制が必要だ

岩崎 巌

 廣松氏が亡くなって10年。「日中を軸に東亜の新体制を」の遺言がますます喫緊の課題となりつつある。今や日本はアメリカの52番目の州となり、アメリカの属国としてイラク戦争にも派兵している。それもこれも日米安保条約があるからだ。私は日米安保条約は直ちに解消すべきだと思っている。だがそんなことをしたら、アメリカで日本の自動車や電化製品が売れなくなってしまうではないか。そう危惧する財界人やふつうの人はゴマンといるだろう。心配することなかれ。アメリカは双子の赤字の一方である貿易赤字を何とかしたいと考えている。また日本も、今後はアメリカよりも中国の方がお得意様になっていくと考えている。中国人が一家に一台クルマを持つようになったら人類の破滅はすぐに来てしまうが、とりあえずはそれは考えないことにしよう。  

 アメリカは軍事部門の中枢である半導体を日本に作ってもらっている。日本は本来ならいくらでも半導体をカードとして使えるはずなのに、使ってこなかった。「日米安保条約がなくなったら核の傘のもとで、経済活動に専念するという事ができなくなってしまうではないか」という反論があるだろう。それに対する答えは「イエス」である。そもそもアメリカの核の傘の下でしか経済発展ができないというほうがおかしい。日本が独立して国連の常任理事国になるためには、アメリカとの軍事関連でのつながりをなくすべきなのだ。  

 そのためには独立した国家にふさわしい軍事力が必要だ。日本はすでに世界第2位の軍事力を持っている。憲法第9条を改訂するべきときがすでに来ていると私は思うのだ。多くの日本人は有事にはアメリカに守ってもらえると考えているが、日本の米軍基地は日本を守るために存在するのではない。現にアフガニスタンやイラクへ日本から軍用機を出しているではないか。あくまでもアメリカの極東から中近東までの支配を貫徹するために、日本に米軍基地が置かれているのだ。これは常識だろう。  

 以上から言えるのは、日本はアメリカとの軍事協力を解消し、新たにアメリカと友好条約を結ぶ必要があるということだ。そこでもしアメリカが日本に戦争をしかけてきたらどうするという問題が生じる。日米安保条約を解消したら日本の最大の敵はアメリカになるからだ。その場合は「日中(韓)」を軸とした東亜の軍事同盟が必要になる。スローガンとして言えば「日中韓とASEAN諸国を機軸とした大東亜共栄圏の設立を」ということになる。

徴兵制と有事法制について

  大東亜共栄圏の設立といった場合、日本は韓国のような徴兵制が敷かれることが最も好ましい。韓国では男性は2年間徴兵される。もちろん不条理な上官からのいやがらせやいじめもある。だが「徴兵制は、国家が公権力を駆使して個人を試す制度でもある。だからこそ、若者は自分を束縛する徴兵制に対して敢然たる精神闘争を挑んでいく。初めに『絶望』があるとしても、そこから這い上がって何かをつかもうとする。その過程で、男たちは自分の内にある隠れた力に気付いていくのである。つまり精神の自立を得るうえで、徴兵制は最初にして最大の関門になるのだ」(『こんなに凄いのか! 韓国の徴兵制』より)  

 このように徴兵制は国家と国家の関係だけでなく、国家と自分との関係を知りうる制度なのである。有事法制についてはそのことを肯定的に語るだけで、「極右だ!」と言われてしまいそうだが、それは「アメリカの戦争に日本が巻き込まれてしまうから」なのであって、アメリカが日本を攻撃するというシミュレーションは考えられていない。日米安保条約の解消という目的を達することができるなら、最大の敵国になるであろうアメリカから日本を守るためには有事法制は必要なのではないか。私は現在のアメリカのための有事法制については大反対だが、有事法制そのものは必要だと思っている。以上反論は多々あるだろう。紙面を借りて徹底腹の底を出し合おう。

(38歳 食品品質管理 休職中)


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(2005年4月25日発行 『SENKI』 1176号4面から)


http://www.bund.org/opinion/20050425-2.htm

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