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今や、天皇制は制度疲労をおこしている
神州 一
http://www.bund.org/opinion/20050425-3.htm
1、天皇制存亡の危機
昨年来、皇室制度崩壊の序曲が始まった。その第1楽章はいうまでもなく昨年5月、ヨーロッパ訪問前の皇太子浩宮の「人格否定」発言である。
「それまでの雅子のキャリアや、そのことに基づいた雅子の人格を否定するような動きがあったことも事実です」 この発言には「雅子妃は海外旅行よりも男子出産に専念してほしい」という宮内庁の圧力に対する深い憤りが込められている。宮内庁どころか日本中の天皇制論者に激震が走った。「浩宮の乱」と言われたこの発言は、皇族が公式の場で自分の意見を主張したという点では画期的だった。「雅子妃の外交」と「世継ぎ問題」の狭間で追い詰められた浩宮の最後の選択は、メディアを通して国民に直接訴えることだったのだ。
天皇主義者は驚愕し、「皇太子殿下として政治に容喙(ようかい)される御発言は、お慎みになられるべきである」(加瀬英明)と諌言した(出典は『世界』岩波書店ほか)。しかし皇太子発言はポピュリスト的国民感情を刺激し、多くの人が浩宮の「愛と勇気」を称賛したのである。篠沢秀夫(学習院大学名誉教授)は問題は皇室典範をそのままにしてきたことだと指摘し、「例外的女性天皇を是とするにはどうしたらよいか」を考えるべき時と論じた。
「女帝容認」「皇室典範改正」論議に拍車がかけられることになったのである。 第2楽章は昨年10月の秋の園遊会、棋士の米長邦雄に対する天皇発言だった。東京都教育委員会委員でもある米長が「日本中の学校に国旗を掲げ、国歌を斉唱させることが私の仕事でございます」と述べたところ、天皇は「強制になるということでないことが望ましいですね」と応えたのだ。平成11年「国旗及び国歌に関する法律」の制定後、東京都では平成15年から「入学式、卒業式等における国旗掲揚及び国歌斉唱に関する実施指針」を通達した。この職務命令に従わなかった200人以上の現場教員を処分した矢先の天皇発言だった。石原東京都知事など旧来からの天皇制論者たちは、自ら担ぎ上げてきた当の天皇陛下自身によって、「国旗、国歌を強制してほしくない」と、思ってもいなかった発言を突きつけられたのだ。
この天皇発言の背景には、1992年の明仁天皇の中国訪問、そこでの「深く悲しみとする」発言以来の平和天皇としての問題意識が大きく関与している。2001年暮れの「皇室と韓国のゆかり」発言にもあるように、未決着の韓国訪問を視野にいれた平成天皇の宿命である父裕仁の代の「戦争責任」とどう向き合うのか。この難問を前にした天皇にとって、米長らの「国旗掲揚及び国歌斉唱の指導」は余計なお世話に映ったのである。
第3の「皇室崩壊」劇は、翌11月、浩宮の弟秋篠宮の誕生日会見だった。秋篠宮は5月の皇太子発言を「コミュニケーション不足で残念」と批判したうえで、「自分のための公務は作らない」「公務というものはかなり受け身的なもの」だと、自分なりの解釈を語った。ここでの「公務見直し」論は、兄皇太子が昨今会見の度に「時代の変化にあわせて、自分たちの公務が変わっていくべきだと思う」と述べ、皇太子妃のキャリアを生かした「新しい皇室外交」を追求する考えを真っ向から否定するものだ。
高橋紘(静岡福祉大学教授)は「私が出過ぎてはいませんか。皇室の伝統とは違ってますよ」という「秋篠宮の諌言」を支持している。しかし工藤雪枝(拓殖大学客員教授)は、今の情報化社会に「閉じられた皇室のままでよいという議論はナンセンス」「今回の秋篠宮殿下のご会見を見て、これは『戦争の始まりだ』という認識さえ覚えた」と論じている。「新しい皇室」を展望する皇太子側と、「皇室の伝統」を重んじる秋篠宮側に皇室が分裂しているのである。
秋篠宮発言の背景には、平成天皇と皇太子の下で進められている「開かれた皇室」路線に対する、天皇主義者たちの根底的な危機感が存在している。それは「女帝容認」論議を突き詰めていけば、「万世一系イデオロギー」の存在が危うくなるからだ。八木秀次(「新しい歴史教科書をつくる会」理事)は「なぜ、女性天皇では駄目なのか」と『WILL』2005年2月号に書いている。「今上天皇に至るまでの百二十五代の皇統は、(中継ぎの女性天皇は8人いたが)一貫して男系で継承されてきた」「しかし男系継承されてきたこの血≠違えると、もう天皇は天皇でなくなってしまいます」
つまり八木たち天皇主義者にとって「万世一系」が尊いのは、男性天皇の血統がつながっているからであり、美智子、雅子と民間人の血が入り続けている皇后の下、新たに女性天皇が入り込む余地はそこには無い。「女帝容認」になれば、男系・男子主義を根幹とする天皇制イデオロギー成立の根拠は無くなるのである。今や皇室制度は戦後最大の危機を迎えている。
2、「開かれた皇室」の論理矛盾
昨年は皇室をめぐる激震の1年だったが、特徴的な事態は、天皇と皇太子の両者が公に対する私見を初めて提出し、しかもその私見が今日の国民的感情に受け入れられていることだ。私はこれは大変よいことだと思う。5月の皇太子発言は、有り体に言えば「妻を愛し守る」個人的意志を表明したものである。10月の天皇発言も、「日の丸」や「君が代」に拒否反応を示す人にまで強制できないだろうという、市井の人々の感情に配慮を示したものだ。
国民的常識を反映する皇太子と天皇の発言が「異例」とされるほどに、今日の皇室制度=「象徴天皇制」は現実にそぐわなくなっているのだ。国民感情から離れた皇室制度の空洞化こそが問題にされるべきなのである。
元はといえば「象徴天皇制」は、GHQの占領政策と旧来の天皇主義者たちの妥協の産物として成立した。そこでの憲法における「象徴天皇制」の基本的な性格付けでは、「日本国民統合の象徴」という抽象的言辞以外に、固有独自な哲学を持ってはいない。
この点を奥平康弘(東京大学名誉教授)は、「暫定制度としての天皇制」(『世界』8月号)と説明している。象徴天皇制は占領軍と日本支配層両者の呑める線で妥協する、暫定性の強い取り決めだったというのだ。それゆえ細部の取り決めとしての皇室典範は、暫定性の強い妥協的性格のものになり、新憲法の男女平等原則と皇室典範の女帝否認の男系・男子主義が、矛盾的に同居するアクロバットが生じてしまったというのだ。
GHQは「天皇の戦争責任」を不問にすることと引き換えに、「天皇の人間宣言」をプロデュースし、皇室を民主化するために宮内省に干渉した。皇太子の家庭教師にキリスト教クエーカー派の米国人女性バイニングを選んだのは、そこでの象徴的な人選だ。
この流れを戦後の皇室に定着させたのは、英国流の王室を理想にしていた東宮職教育参与の小泉信三である。彼は仕来たりにとらわれず、民間の女性を宮中に入れることに情熱を傾けた。香淳皇后らの反対を押し切って実現された皇太子と正田美智子の成婚は、一つの「宮廷革命」だったのである。
この結果、平成天皇の代から自分の子供を手元で育てることが可能になり、「幸福な家庭」を演じる「開かれた皇室」像が普及した。象徴天皇制の内実は曖昧模糊としたまま、制度としての天皇制は延命を遂げたのである。
しかし象徴天皇制は世襲に基づく特権と義務という身分制の残滓であり、「法の下の平等」を掲げた憲法体系に馴染まない構成のまま今日まである。今の皇太子が考えている「開かれた皇室」は民主的な体裁を表向きは成しているが、誰もが天皇になれるわけではない封建的身分制の上に天皇制は成り立つのだから、そもそも論理矛盾を内包しているのだ。
皇太子浩宮のように「時代に合わせて」と考えれば考えるほど、封建遺制の例外規定である天皇制は二律背反の袋小路に入ってしまうのである。そもそも選挙権もなければ被選挙権もなく、職業選択の自由も、移動の自由もないのが天皇家なのだ。皇太子妃雅子に男の子が生まれないからといって、好きな外国旅行にも行けない人格否定が常態化しているのである。個人の幸福を無視した非人間的な制度は、今の日本の国民統合にとり果たして必要なものなのだろうか?
3、身分離脱の自由が必要だ
1月25日には「皇室典範に関する有識者会議」(首相の私的諮問機関)の初会合が行われた。以降月1回のペースで3回女性天皇容認のための皇室典範改正が話し合われているが、民主主義と天皇制は両立するのか、するというなら日本文化とは一体何なのかという議論は回避されている。逆に、民主党小沢の改憲私案にあるような天皇元首化論などが、そこでは見え隠れしている。その結果、問題は一層混沌とするばかりだ。
そもそも「近代天皇制」は、薩摩・長州倒幕軍が徳川幕府に変わる「錦の御旗」として、京都御所の天皇家を引き出したところから始まる。明治維新政府が天皇家を国制上基礎付けるにあたって採用した真髄が、男系・男子主義を根幹とする「万世一系」イデオロギーだ。明治憲法制定の担い手となった伊藤博文、井上毅たち法制官僚は、近現代天皇制を正当化する論理を「皇統神話」の作成で補完しようとした。江戸末期の国学思想を肥大化させたのである。
しかし女帝容認論議によって、国家をそもそも作ったという記紀神話以来の大和朝廷の純血主義はますます影がうすくなってしまう。結局、天皇制イデオロギーが駆逐される呪縛におちいるのだ。天皇家は徳川幕府のときと同じように、京都御所で神道の神主に戻るしかなくなってしまう。アメリカ占領軍と帝国主義旧支配層の妥協の産物としてあった「象徴天皇制」は、ますます空洞化していく。
今や日本民衆には、占領軍やアメリカのお膳立てではなく、「アジアの中の日本」として、自主的に「近代天皇制」を清算しなければならないときが来ているのである。「万世一系」イデオロギーで突き進んだアジア侵略の近代史を、日本文化のありかたから見直すことにそれは連なる。そこでは天皇制は日本の文化遺産の一つとして相対化される。大和朝廷をつくったのは帰化人ではなく渡来人である。大和朝廷は百済系で出雲の新羅系とは対立したなどが、新しい歴史の事実として書き加えられていくだろう。そこで日本人のアイデンティティが東アジアと共通のものであることが明らかとなるのだ。
「東アジアサミット」創設決定をもって、「東アジア共同体」構想がその第一歩を踏み出している。3年後の「北京五輪」に向う今日にあって、日本のナショナル・アイデンティティが戦前と同じ「天皇」や「日の丸」「君が代」では、とてもアジアの人々に受け入れられないことは、韓国や中国の対日抗議デモが示している。アメリカがつなぎ止め、日米同盟の証として機能した「象徴天皇制」。これとどう決別し「アジアの中の日本」の新しいアイデンティティを構築していくのかが、対外関係でも今や求められているのだ。
つまるところ、国民世論の大半が女性天皇容認で固まっても、法律論議は複雑きわまりないものになる。歴史的遺物としか言えない「皇室典範」と、憲法等現行法規との整合性はどうするのだ。日本を真に民主化するなら、幾つかの基本的人権条項、とりわけ皇族の「身分離脱の自由」こそ「皇室典範」に取り入れられねばならない。憲法学者の奥平康弘は「脱出の権利」保障は「究極の人権」と表現している。天皇と皇太子が皇室から脱出する基本的人権を確保した時に、初めて象徴天皇制は憲法との整合性を確保するのである。
それを回避するため逆に、憲法そのものを明治憲法に引き戻そうとする天皇制論者もいるが、今おきていることはその狭間で皇室が内部イデオロギー闘争に入ったということである。私は皇室崩壊劇の最終章は、皇太子が雅子さんとともに皇室離脱を宣言することによっておきるのではなどと予想する。
(フリーライター)
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改憲試案では元首、女性天皇はどう位置づけられているか
編集部
現行憲法の第1条は次のような一文である。「天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であって、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基づく」。今、この一文に対し各種の改憲案が出されている。
自民党新憲法起草委員会(委員長・森喜朗前首相)は4月4日、党本部で小委員長会議を開き、4月末にまとめる森委員長試案のもとになる「要綱」をまとめた。その中での天皇に関する記述はこうだ。
まず前文で「日本国民は国民統合の象徴たる天皇とともに歴史を刻んできた」と、象徴天皇制の継続が言われる。現行憲法の前文には天皇に関する記述はないから、天皇を憲法の精神にまで昇華させようという意図はみえみえだ。天皇条項では象徴天皇制は維持としつつも、「元首」と明記せよとの意見があったことを併記している。皇位継承と継承順位については皇室典範で規定するとしている。
天皇を「元首」と明記すべきとの意見には次のようなものがある。例えば衛藤晟一衆議院議員は、「憲法には天皇が君主であり元首であることが明記されていないために、天皇を君主や元首と呼ぶことには無理があるとする否定説も存在し、様々な混乱を招いてきた」と言う。君が代斉唱の際に起立を拒否する教職員がいるのも、元首と明記されていないためであるというのだ。
また、自民党橋本派の「憲法改正案」(2000年12月)では、「天皇は対外的にわが国を代表する『元首』であることを明記すべきである。現在でも実態としては『元首』であり、外国からも『元首』として扱われているが、『元首は内閣総理大臣』と解釈する学説もあり、解釈上の混乱を払拭する必要」としている。
一方、読売新聞の憲法改正2004年試案では、第1章を「国民主権は、国民に存する」との宣言にあてている。第2章では天皇条項を設け、「天皇は国民統合の象徴」「皇位は世襲のもの」と象徴天皇制の維持を主張している。国事行為等についての記述も存続させているが「元首」と明記せよとは主張していない。
広く知られているように民主党の小沢一郎衆議院議員は、1999年に文藝春秋に「日本国憲法改正試案」を出した。この中で現行憲法でも第1条の天皇についての記述が、天皇が「元首」であることを示していると主張している。小沢議員は天皇元首論者だが、現行憲法でもそれは明らかであるというのだ。
憲法学者には、現行憲法では天皇は「元首」にあたらないという意見のほうが多い。元東大教授の宮澤俊義は「国家元首は内閣総理大臣である」と主張している。この種の主張があることから、「元首」と明記し混乱した解釈をなくそうとの議論が出ているのだ。
女性の天皇を認めるかどうかも、改憲論議の中ではいろいろな意見が出されている。現在の皇室典範第1条では「皇位は、皇統に属する男系の男子が、これを継承する」と定めている。だが現在の皇族では男系の男子が将来いなくなってしまうことが予想される。
過去の天皇には女性もいたということで、女性天皇を認めるかどうかが議論になっているのだ。民主党の鳩山由紀夫元代表は憲法改正試案をまとめ、「新憲法試案」として出版したが、その中で天皇については、「日本国は国民統合の象徴である天皇を元首とする」と明記したうえで、女性天皇も認めている。
自民党の憲法調査会の中では、女性天皇を認める以上女系女子まで認めるべきだという意見もある。だが女帝は歴史的にいっても緊急避難的にのみ認められたもので、男系を基本とすべきであるという意見が多い。歴史上10代8人の女性天皇がいた。在位中は未亡人か独身で、女系女子の例はないのである。雅子の生んだ愛子が天皇になった場合、民間・皇族から夫をむかえることになるが、そこで生まれた子が女子であった場合が女系女子にあたる。
島善高早稲田大学教授は「歴史を踏まえ、やはり現在の男系男子を維持する道を徹底的に探ってほしい。皇統の断絶を避けるために、養子を認めるのも一案だ。戦後、大正天皇の直宮を残して11宮家が皇籍を離脱したが、その子孫には男性がおり、そこからしかるべき人を養子に迎え、女性皇族との間に生まれた男子に皇位継承資格を与えることも考えられる」と主張している。
そのほか、女性天皇に宮中祭祀ができるかどうかの議論もある。11月23日の「新嘗祭(にいなめさい)」や、1代1度の「大嘗祭(だいじょうさい)」には、「女性が出席できない」とする研究者もおり、女性天皇を否定する論拠の一つになっている。
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(2005年4月25日発行 『SENKI』 1176号5面から)
http://www.bund.org/opinion/20050425-3.htm
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