現在地 HOME > 政治・選挙・NHK9 > 290.html ★阿修羅♪ |
|
左から故西山廣喜、総理大臣 福田赳夫、政治評論家
今井久夫、“仕置人”草野洋、日本地方新聞協会会長 中島繁治(81.12.18)
故児玉誉士夫の“後継者”と目された右翼の西山廣喜が他界
「右翼の大御所」などといわれた西山廣喜が2月24日、肝臓癌で死去した。
81歳だった。(中略)社会党青年本部役員から右翼に転職した西山は、
61年に昭和維新連盟を結成、初代会長に。大物右翼三浦義一や児玉誉士夫と
親交を結び、指導を受けた。
いくつかの企業役員にも就任。企業のトラブル、スキャンダルを処理し、
「フィクサー」としても知られていた。野村證券、ヤクルト本社との付き合いは有名。
宮崎県出身の西山は、宮崎の経済界にも大きな影響力を持っていた。
木島力也(総会屋)とは刎頚の友、松本信一(元太陽ファーマーズ社長)は門下生。
広域暴力団ともつながりがあった。
宮崎県で93年にオープンした「シーガイア」(リゾート施設)には、当時の
第一勧業銀行宮崎邦次頭取に頼んで1000億円の融資を引き出したという。(敬称略)>
こんな記事が友人の発行している『中央ジャーナル』(05.3.25)に掲載されていた。
西山廣喜といえば、児玉誉士夫亡きあとの後継者の1人に数えられ、内幸町の
“富国生命ビル”に立派な事務所を構え、都心にもいくつかのビルを所有していた。
“仕置人”が昭和56年に「カンボジア難民キャンプ訪問記」を『政界』という雑誌に
書いたのを読んでくれたり、当時「西武流通グループ」の総帥として君臨していた
堤清二が『新潮』に書いた「誤解」という小説について“仕置人”が「堤清二が
“誤解”を書いた事情」という一文を『噂の真相』に書いたものを読んでくれたりで、
知り合うようになった。
ある時「西武とのことでオレの出番をつくってよ」などと西武グループ批判をしていた
“仕置人”にもちかけてきたこともあったが、“仕置人”がその気にならなかったので
そこまでだったが、「西武」にも影響力を持っていたらしい。
ひとの評価は、“棺を覆うてから”といわれるが、ともかく“右翼の大物”として
一時代を築いた人物といえるだろう。ご冥福を祈る・・。
http://www.uwasanoshiokinin.com/kodama.html
▲このページのTOPへ HOME > 政治・選挙・NHK9掲示板