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歯止めなき政治家発言の深層
中山成彬文部科学相の「従軍慰安婦」発言ではないが、このところ再び、閣僚クラスから、乱暴な発言が相次いでいる。かつてなら“レッドカード”ものの発言も、慣れっこになったからか、国内ではリアクションすらほとんどない。近隣諸国との関係や時期、状況も考えず、ある意味、“自由闊達(かったつ)”な物言いが飛び交う、その背景とは−。
今月十一日、中山文科相は静岡市のタウンミーティングで「そもそも従軍慰安婦という言葉が、当時なかった。なかった言葉が歴史の教科書に出ていた。間違ったことが教科書に載った、それがなくなってよかった」と発言をした。
文科相は昨年十一月にも同趣旨の発言で批判を浴びており、「確信犯的な主張」だが、「歴史的事実を公然と否定するもの」(中国外務省)、「極めて不適切」(韓国外交通商省)といった非難が相次いだ。発言が、日韓両首脳の会談日程を決める最中だったため、韓国側からは「会談延期論」まで浮上したという。
今回の件で、「発言は慎重にした方がいい」とアドバイスした小泉首相も、「A級戦犯の問題がたびたび国会でも論じられるが、そもそも罪を憎んで人を憎まずは孔子の言葉だ。(靖国神社には)いつ行くか適切に判断する」(五月十六日)と、いつもの「小泉語」を発揮。中国の呉儀副首相の「ドタキャン事件」の引き金ともなっている。
■『いい答弁』と開き直りまで
「加害国のトップが言うべきせりふではない。あまりに無神経だ」(福島瑞穂社民党党首)との批判もあったが、小泉首相は今月二日、「(罪を憎んで…は)これがいい答弁なんですよ」と開き直って見せた。
王家瑞対外連絡部長と会談した武部勤自民党幹事長の靖国問題での「内政干渉」発言(五月二十一日)や、今月六日、訪中した野田毅元自治相の「キャンセルは日中外交当局間では前から分かっていたはず」との発言に絡み、「不愉快な話だ。ああいう形で中国に無用にごまをする人がいるから日中関係がおかしくなる」とかみついた町村信孝外相など、閣僚クラスも同様の発言が相次ぐ。
もちろん「確信犯」といえば、安倍晋三自民党幹事長代理は代表格。首相に靖国参拝自粛を求めた河野洋平衆院議長を「元外相だが現在は三権の長。外交権は行政の長にあるのだからもう少し慎重に考えていただきたい」と批判。これには森喜朗前首相が「先輩の非難は避けよ」とクギを刺した。
その森氏は首相時代の二〇〇〇年五月、「日本は天皇を中心とする神の国」と発言し大問題に。支持率の超低空飛行につながった。
それ以前を振り返れば、一九九四年には「侵略しようとしてやった戦争ではない。日本だけが悪いわけではない」と発言した桜井新環境庁長官は解任、「南京大虐殺はでっち上げ」と発言した永野茂門法相が辞任した。九五年には江藤隆美総務庁長官が「植民地時代に日本はいいこともした」と発言し辞任。九九年には「軍隊も持てないような憲法を連合軍に作られ、改正もできず…」と発言した中村正三郎法相が辞任した。
ある民主党国会議員秘書は「昔ならクビが飛ぶような発言をしても、小泉首相の支持率は下がらない。野党にもあきらめに似た感じがある。民主党内にも靖国問題とか戦争観では自民党よりタカ派の議員もおり、うかつにつつけない事情もある」と嘆息する。
■故岸氏から続くタカ派のDNA
小泉首相を筆頭に、政府首脳、与党幹部の発言は“自由闊達”だが、どうやら問題発言をする政治家の母体は森派が中心のようだ。
政治評論家の森田実氏は「森派の源流は、A級戦犯から復活を果たした故岸信介元首相だ。この系列の政治家は戦争について何の反省もしていないし、露骨なアジア蔑視(べっし)主義者が多い。小泉首相が近隣諸国に配慮しない突っ張った発言をするので、町村外相らも心の中の意見を表明するようになった」と分析する。
信州大学経済学部の都築勉教授も「旧竹下派など現在、抵抗勢力といわれる政治家たちは半面において、戦争経験があって人の痛みが分かる人がいる」とし、タカ派主導の政界の勢力分布が、背景にあるとみる。「小泉首相が非常にきわどい発言をしても、批判はされるもののまかり通るようになっている。当初は首相のキャラクターで見逃されていたのが、エスカレートして他の人も同様の発言をするようになった」
一方、一橋大学名誉教授の田中克彦氏は「断定的な言い方を喜ぶ日本人も多い。もやもやしていることを、すぱっと言い切ってもらうと、もやもやがなくなってうれしくなるのだろう」と問題発言を吸収する土壌を指摘したうえで、野党側にも矛先を向ける。
「野党の攻め方もパターン化しているため、同じような応酬を繰り返すうち、どんどん単純化してしゃべってしまうという側面もあるのではないか。野党はもっと丁寧に深い切り込みをすべきだ」
「戦後政治家暴言録」(中公新書ラクレ)などの著書もある作家の保阪正康氏は政治家の歴史観に言及し、「日本では歴史を歴史とみようとする。加害国だから過ぎ去った史実だとして終わらせたいという心理がある。しかし、被害国である中国や韓国にとって歴史は政治だ。ここに大きなズレがある。日本も政治で応えなくてはならない。だが歴史に無知だから感情的な発言や行動しかできない」と分析する。
保阪氏は、国際連盟脱退、五・一五事件被告の減刑嘆願運動などが起きた一九三三年に日本にファナティックな攘夷(じょうい)感情が広まったと指摘した上で、「現在は当時と違って、表現の自由、職業選択の自由など市民的権利を与えられているのに、ファシズム的な感情が広まっている。本来の市民とは、深い考えを持った自立した存在であり、市民であることは面倒くさい。だから感情的な発言にひかれてしまう。今、この瞬間だけをストップモーションで見たら中国や韓国に対して腹が立つ。だがその前には歴史がある」と話す。
「小泉首相が続けていけるのは、言葉の持つ哲学や思想ではなくキャラクターに国民がごまかされているだけだ。テレビを中心に社会が本質に立って物事を考えることを避けている。今はじっくりものを考える人には生きづらい世の中になってしまった」
グローバリゼーション(国家間の垣根が低くなる動き)の潮流も影響していると分析するのは、前出の都築教授だ。「日本に限らずグローバリゼーションの動きの中では、対抗概念として国家という意識、ナショナリズムが台頭しやすい。政治家はナショナリズムで有権者との結びつきを強めようとする」
都築教授は「日中関係が微妙になっている中で、町村外相などの発言は率直な国民感情としてはあり得る。強硬な言説が受ける土壌があり、計算して言っているのだろう」としてこう続ける。「しかし、計算の基準や根拠が違っている。本来はナショナリズムのぶつかり合いを和らげるのが政治家の役目だ」
http://www.tokyo-np.co.jp/00/tokuho/20050616/mng_____tokuho__000.shtml
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