現在地 HOME > 政治・選挙・NHK9 > 1059.html ★阿修羅♪ |
|
こんばんは。今日は、足立昌勝先生が監修された『共謀罪と治安管理社会 つながる心に手錠はかけられない』(社会評論社、2005年)を読んで、私が考えたことを書きたいと思います。
第一章では、まず、何かよからぬことを二人以上で相談して意思一致したと警察がみなせば、合意したこと自体を処罰できるようにする共謀罪の新設が大きな問題になっていることが示されます。共謀罪は社会を侵害する実行行為がない場合でも相談をそれ自体として処罰する規定であり、罪を犯す遥か手前の思想や内心を処罰する規定です。
次に日本における共謀罪には国際性・組織性・重大性といった要件は必要とされず、国際的組織犯罪集団だけではなく、労働組合・株式会社・市民団体・NPOといった合法的団体も、共謀罪の対象になることが論じられます。そして共謀罪を立証するために、スパイによる捜査や盗聴といった捜査手法を行おうとする運動があることが論じられ、共謀罪の新設は、監視社会化を促進させることが示されます。
また、共謀罪の新設は、有事法制・国民総動員体制を実行性を持たせ、思想・良心・信仰の自由を侵害するものだと論じられます。そして、闘うことの自由、つながりあう自由、共鳴・共感しあいながら生きる自由を守り、共謀罪新設を阻止する必要性が示されます。
第二章では、まず、犯罪に関するデータを検証し、実質的に治安の大幅な悪化が見られないにもかかわらず、犯罪不安が増幅され、厳罰化傾向が生み出されていることが示されます。
次に警察と自治体の結びつきの強化や、警察の中央集権化が進んでいること、「テロ」の定義を曖昧にしたままのテロ防止対策が進んでいることから、警察による監視体制が強化されていることが論じられます。
そして国際的組織犯罪条約による国際的な治安共同体の形成を阻止し、市民・労働者・民衆の連帯を形成していく必要性が示されます。
第三章では、まず、「犯罪の尺度は、社会に与えた侵害である」という近代刑法の原則を確認し、共謀罪の新設や、刑罰による道徳への過剰な介入を批判していく必要性が示されます。
次に共謀罪の新設といった治安体制の強化は、戦争のための総動員体制と連動しており、異質な人間を排除しようとする運動に繋がっていることが論じられます。
そして治安・国家権力に対抗する人権の砦としての日弁連の力を高めていく必要性が示されます。
また、際限のない「対テロ戦争」を回避し、テロリズムの問題の根源である社会的不平等や文化・宗教・地域的価値観の相違を究明することが必要だということが論じられます。
第四章では、まず破防法適用や治安体制強化に対抗するための共同行動が形成された経緯が示されます。次に共謀罪の新設は、社会運動や団体の解体を狙ったものだということが論じられます。
そして、勝てるか勝てないかにかかわらず、考える・集まる・主張するという行動としての闘いを行い、弾圧をはね返していく必要性が示されます。
第五章では、各地での警察や行政の抑圧・弾圧に対する市民・労働者の闘いが示されています。
この本で展開されている議論を踏まえて、私が考えたことを書きたいと思います。
まず、治安管理社会化や、治安権力に対抗していくために、市民の批判力を高めていく必要があると考えました。私も含めて市民の批判力を高めていくために、勉強や連帯を深めていく必要性があるでしょう。
次に、戦争や治安に対抗していくために「平和」や「自由」の意義を再確認していく必要があると考えます。
最後に、戦争や治安に対抗していくために運動していく情熱と、冷静に現実を認識していく頭脳を合わせ持つ必要があると考えます。努力・勉強して、運動していく情熱と、冷静に現実を認識していく頭脳の両方をもつことによって、運動を発展させていくことができると考えます。
『共謀罪と治安管理社会』(社会評論社へのリンク)
| コメント ( 0 ) | Trackback ( 3 )|
http://blog.goo.ne.jp/ukonkmy/e/d8ef552e767d1c16a79e8d855fb8396f
▲このページのTOPへ HOME > 政治・選挙・NHK9掲示板