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第二次大戦での敗戦から60年経つ。
若い時に安吾さんの「堕落論」を読んで引き込まれた事を、最近になって思い出した。
私の記憶では、次のような事が書いてあった。
日本は敗戦によって堕落したが、もっと深く堕落しなければならない。
そうでなければ、再起する事は出来ない。
私は、読んだ時に、この様な彼の主張に納得した。
納得はしたのであるが、同時に次のように思ったのである。
一向に、より深く堕落する兆候が見えないではないか。
堕落も出来ず、再生・再起も出来ぬままで行くのではないのか。
60年安保騒動の政治行動から生じた挫折感を引き摺ったままの当時の私は、その様に思ったのである。
この挫折感に似たところの閉塞感によって、三島由紀夫氏はあのような突飛な政治行動による自殺を選んだのであろう。
しかし、ここにおいて、2005年において、敗戦から60年経って、
日本は、安吾さんの考えたように「堕落しきった」のである。
日本の政治は、国民から全く遊離してしまって、無いに等しい。
日本の政治家は「堕落の結晶であり、精髄」である。
閉塞感から無気力が漂っている。
物品があふれて、失業者も自殺者も犯罪も溢れて、
「堕落しきった」のである。
いや、正しく言えば「しきってはいない」。
さらにもう少し堕落するだろう。
やがて、再起するだろう。
この事は、疑いないことと考えられる。
やはり、坂口安吾は時代を見通す事の出来る天才であった。
堕落論を読んだ時の私の年齢が高かったならば、
その事は解かったかもしれない。
日本の堕落とは、青年の堕落に等しい。
脱皮と例える事も出来よう。
古い殻は脱ぎ捨てられて、逞しい身体が登場してくる。
帝国主義と戦後日本よサラバ。
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