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(回答先: Re: 東洋思想ももっと勉強したいと思います 投稿者 スパルタコスポノ 日時 2005 年 2 月 24 日 00:25:58)
スパルタコスボノさん、(多分)はじめまして、こんにちは。
上の愚民党さんによる転載にもありました荒岱介氏のエルンスト・マッハに関しての基本認識となっていた“生態史観”に惹かれるものがあり、しばらくやり取りを眺めていましたが、スパルタコスボノさんの応答に何かしら接点があるかも知れないと思い立ち、レスしたような次第です。
政治(論)とは少し外れるかも知れませんが、私はこのところ思想の原点もしくは思考の原風景について彼是思索していました。それは主にユダヤ教やキリスト教や仏教等の宗教が生まれた背景(空間的・環境的・風土的な要因)についてです。
時期を同じくして、鈴木秀夫著『森林の思考・砂漠の思考』(NHKブックス)と吉本・梅原・中沢著『日本人は思想したか』(新潮文庫)を手にしました。前者は森林に生まれた仏教的な多神教的世界観と砂漠の縁辺に生まれたユダヤ・キリスト教的な一神教的世界観の由来について触れ、歴史的に両者が如何に出遭い、どのように侵蝕し合っていったかを考察しています。著書では結論づけてはいませんが、どうやら人類が誕生した第一期の地球では砂漠化が免れ得ないようなのです。要するに砂漠の思考が席巻し、行着くところまでいってしまうだろうという観測です。後者では、布教と云う点でユダヤ・キリスト教的な一神教的世界観は然程浸透化が進んではいないものの、文明的には砂漠の思考で覆われつつある状況にあって、それを日本(アジア)がどのような思想的営みによって受けとめるべきかといった問題が提起されていると思います。
>東洋思想も学ばないと物質主義に偏ってバランスが取れないと言えるでしょうか。神道は深くは知りませんが、道教の「無為自然」の思想と関係があるのでしょうか。日本人だけど、あまり詳しくないので、掘り下げた方がいいかも知れません。
短い周期の中でできるだけ多くのものを回収しようとするPathosを比較的長いレンジの中で帳尻を合わせていこうとするEthosで受けとめることがどうしたら可能かというのがテーマの一つであると思っています。東洋思想や神道にどのくらいの大いさ(懐の深さ)があるのか即断はできませんが、唯一の利点は多神教的世界観が“生態史観”の傾向を有することでしょう。そして、人類第一世紀の時間のどの辺りで砂漠化が食い止められるのか、予断は許されませんが、しかし、全人類による“生態史観”にたいする気づきと依拠がそのモメントになり得ると考えています。
まぁ、限りなく幻想に近い夢想です。荒岱介氏が全SENKIを代表するわけではないでしょうが、随分エコロジカルになったものだと感慨深いです。でも、“生態史観”をどのようにして運動理論の中に組み入れ、あるいは指導理念として昇華していくのか未だ判然とはしません。
大層な標題とは不釣合いに貧弱な内容で心苦しく思っています。したがって、スパルタコスボノさんにとって、多少なりとも刺激となるレスになったのかどうか、大へん心配しています。どうかご容赦のほど、お願いします。
また、会いましょう。