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→ 無論、危機意識は必要だろう。
ただ、そうはいっても結局は長いものに巻かれて甘い汁を吸うのが今の日本の“第四権力”。
記者クラブ制度の談合で官報化した紙面作りを進め、外国紙、週刊誌など雑誌メディアを排除する特権意識は離さない。
官憲になめられるのもむべなるかな。
メディア規制の是非はともかく、矛盾を放置して奇麗事を言うのはいかがなものか、といってみる。
■[特報]特捜部長文書に波紋 メディア規制 流れ反映か【ChuunichiWebPress東京新聞】
<http://www.tokyo-np.co.jp/00/tokuho/20050204/mng_____tokuho__000.shtml>
[特報]
「マスコミはやくざ者より始末におえない悪辣(あくらつ)な存在」という東京地検の井内顕策特捜部長の文書が波紋を広げている。
国会でも取り上げられ、南野知恵子法相も「穏当さを欠いた」と陳謝した。だが、本質的な問題は、強制捜査など着手前の報道を中止
するよう求めている点だろう。公権力が「これこれは報道するな」というのは、メディア規制、国民の知る権利の侵害にあたる。行き
着く先は「大本営発表」だが…。
■年賀状送った記者数人に配布
「特定の記者に対し、捜査する上で障害となる報道は避けていただきたいという趣旨で出した文書。報道機関の活動を不当に制止し
ようとするものではないと理解している」
一日の参院予算委員会。文書について「表現の自由に対する規制とはならないか」と追及した社民党の福島瑞穂党首に対し、南野法
相は防戦に終始した。
文書はA4縦書きで四枚。表題は「東京地検特捜部長に就任して」で、その横に「某受験生及び修習生向け雑誌の原稿抜粋」とある。
年賀状を送った複数の記者に配られたという。
メディア批判は一枚目後半から延々最後まで続く。
「マスコミの取材と報道は捜査にとって有害無益だ。マスコミが無闇(むやみ)に事件関係者に取材したり、いわゆる前打ち報道を
したりすることによって、事件関係者に捜査機関の動きや捜査の進展具合を察知され、関係者が否認や黙秘に転じたり、口が固くなっ
たり、証拠隠滅工作がなされたり、関係者の逃亡や自殺に至ることが少なくない」
こうした報道は「捜査妨害」であり、「犯罪者及び犯罪組織を支援しており、マスコミが犯罪者そのものに成り下がっている」と言
い切る。
特捜部経験のある検察OBは、文書について「日本歯科医師連盟の事件も結局、竜頭蛇尾に終わってしまった。次の事件を何とかし
たいという強い思いの表れではないか」と忖度(そんたく)する。
■「調活費疑惑になぜ襟正さぬ」
これに対し、司法記者として、リクルート事件などの取材に当たったジャーナリスト魚住昭氏は「特捜部長が『捜査妨害だ』と言っ
て、報道機関に八つ当たりするのはまったくおかしい。マスコミの目をかいくぐって事件を仕上げるのが捜査だ。さらに、調査活動費
の裏金疑惑など、自ら襟を正さずに、どうして正義を振りかざして、報道を規制できるのか。特捜検察に大衆が拍手、喝采(かっさい)
したのはロッキード事件、リクルート事件までだ」と手厳しい。
ちなみに、法務省関係者がメディア規制を示唆する言動をして問題になったケースは初めてではない。
一昨年、元北朝鮮工作員の難民に認定される見通しを報道した読売新聞に対し、法務省は当時の入国管理局長名で「今後このような
誤った記事を掲載することのないよう」などとする抗議文を送った。
この問題も国会で追及され、局長は「報道機関への事前抑制的なものと受け取られない疑義を生じさせたことは遺憾」との釈明文を
提出する事態になった。
法務省は「法の番人」そのもの。なのにしばしばメディア規制が口をついて出てくるのはなぜなのか。
「酔った上での放言でないことから考えれば、常に考えていた本音が出たものだ」と話すのは喜田村洋一弁護士だ。同弁護士は昨年、
田中真紀子元外相の長女に関する記事をめぐり田中氏側が「週刊文春」に出版差し止めを求めた問題では、文春側の代理人を務めた。
「何を報道すべきかの判断は、捜査中であろうがなかろうが報道機関が自主的に行うべきであり、誤報をした場合の責任も自らとる
というのがメディア本来のあり方だ。検察官が決めることではない」とメディア規制の風潮を強く憂う。
田島泰彦・上智大教授(憲法・メディア法)は「強大な権力を持つ検察や警察のチェックができないと、独善的な捜査や職権乱用、
あるいは必要な捜査の手抜きや失態隠しが起こりうる。だから報道機関が捜査機関を監視し、報道するのは捜査妨害ではない。国民の
自由と人権を守るため、国民の側にとって必要なことだ」とした上で、続ける。
「注目しなければいけないのは、常軌を逸したメディア規制が検察幹部から平然と出たこと。ちょっと前なら、報道を苦々しく思っ
たとしても口に出せなかった。メディア規制が次々と打ち出されている時代状況こそ見過ごせない。こうした流れは米中枢同時テロで
強まったが、それ以前に一九九九年以降、メディア規制をめぐる一連の論争に始まり、二〇〇三年に個人情報保護法、さらに有事法制
が成立する中で、政府によるメディア介入が進んだ」
実際に、特定の報道に対して、政府や政治家が「気に入らない」と口にする事態が増えている。昨年五月の小泉首相の北朝鮮訪問に
ついて、日本テレビが事前に「北朝鮮に二十五万トンのコメ支援を実施することで最終調整をしている」と報じたことに対し、飯島勲
・首相政務秘書官は日本テレビの同行取材を拒否する意向を伝え、問題になった。
さらに、国民保護法では、東京の民放キー局五社やNHKをはじめ放送事業者二十社が指定公共機関に指定され、有事の際に報道機
関が政府の一角に組み込まれる体制が整った。
今回の事態は、今国会に再提出される見通しの人権保護法案とも通底しているという見方もある。
同法案は「政治家や官僚への取材が妨げられる恐れがある」などと野党や法曹界、メディアが強く反対し、廃案になった。再提出さ
れる法案はメディア規制の部分を当面凍結させた形になる見通しだが、公権力の乱用問題にも取り組む清水勉弁護士は「今回の文書は、
結果的に世間にメディア批判を広め、人権擁護法案再提出の雰囲気づくりに一役買っている」と見る。
そのうえで清水氏は言う。「埼玉・桶川市のストーカー殺人事件でもメディアが報道したことで、警察もようやく動いた。内部調査
の結果を待っていたら、警察の怠慢はその後も続いたはずだ。自己規制できない権力がメディアを縛るのは根本的に間違っている」
メディアが旗印にしてきた表現の自由と自主自律の根幹を脅かす規制に対し、メディアとジャーナリストが毅然(きぜん)と対峙
(たいじ)するよう求めるのは、前出の田島氏だ。
■「規制する側も増長している」
「メディアの側が必ずしも権力に対峙してこなかった結果、規制する側が増長している。いまは、集団的な過熱取材やプライバシー
侵害などで市民のメディア批判も強く、政府は国民のプライバシー保護、個人情報保護といった口当たりの良い言葉で、メディアに介
入してくる。しかし、メディアはたたかれるかもしれないと躊躇(ちゅうちょ)してしまってはいけない。今回の文書は、NHK番組
への政治介入問題に匹敵する重要な問題だ。メディアで働く人が、自分の仕事に誇りを持つのであれば、特捜部長に辞任を迫り、法務
大臣の責任を問う姿勢があっておかしくない」