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記者の目:
NHK特番問題 実はくせもの「公平・公正」
旧日本軍の従軍慰安婦問題を取り上げたNHK特集番組「問われる戦時性暴力」をめぐり、朝日新聞とNHKとの間で続いている対立は、自民党の安倍晋三幹事長代理(当時は官房副長官)が松尾武放送総局長(当時)らNHK幹部と放送前日に会い「公平・公正な報道をしてほしい」と要望したことについては本人を含め異論はないだろう。
そこで安倍氏の発言に番組改変を求める意味合いがあるかどうかだが、政権与党の要人から出た言葉には何らかの政治的メッセージが込められていると考えるのが自然だ。受け取る人によっては「圧力」と映るかもしれない。私は、有力政治家が最近とみに使う「公平・公正」という言葉こそ、実はくせものなのだと思う。
「公正な報道を心がけなければならないテレビ局が一方に加担した」。自民党幹事長だった安倍氏は04年2月の記者会見でテレビ朝日をそう非難した。自民党は、テレ朝の報道番組「ニュースステーション」が03年11月、衆院選投票日を間近に控えて民主党政権が誕生した際の閣僚名簿を詳細に紹介したことに対し、「不公平だ」などと反発。同局番組への出演拒否は、党幹部から一般議員へと拡大した。同党は、テレ朝から謝罪と関係者の処分を引き出したことで拳を下ろしたが、政治問題化したことで総務省も乗り出し、「適正な編集を図る上で配慮に欠けた」と行政指導するなど、テレ朝の完敗で終わった。しかしメディア界では、自民党や総務省の対応について、報道の自由を侵害するおそれが強いとの批判は根強い。
安倍氏は「偏向的、不公正な報道が行われた時は当然、出演自粛を再開することもあり得る」とも語っている。また昨夏の参院選で年金問題などで劣勢に立たされた自民党は「公平な放送が行われることを強く望む」とする文書を内外の報道各社に送り付けた。「公平・公正」という言葉をメディア批判の材料として意識的に使っているようだ。NHK問題で政治的圧力を否定する安倍氏の口ぶりからは、NHK幹部とのやり取りは和やかだったような印象を持つが、政治部出身者が重要ポストを握り永田町言葉にたけたNHKが安倍氏の使う「公平・公正」の意味を理解していないはずがないと私は思う。
政府・与党によるメディア規制は90年代末に活発化したが、日本は表現の自由が保障された民主国家である以上、戦前のような露骨なメディア介入ができるとは、政府も与党も思っていない。思想を取り締まる特高警察も検閲にあたった情報局も今はない。
◇「錦の御旗」に政治的色彩
それに代わって登場したのが「個人情報の保護」「人権救済」「青少年の健全育成」といった、誰もが正面からは反対しづらい理由を掲げて、取材や報道活動を制限しようという方法だろう。最近はこれに「治安」「有事」が加わった。「安全」や「安心」を前面に出し、個人の思想・信条の自由より、社会秩序の安定を優先させる手法である。
一方、政治的公平をめぐる露骨なメディア介入は、93年にテレビ朝日の椿貞良報道局長(当時)が日本民間放送連盟(民放連)の会合で「反自民の連立政権を成立させよう」などと発言したことに始まる。自民党が求めた椿氏の国会証人喚問が実現。これ以降、放送界で不祥事が起きると報道人を国会に呼ぶ声が頻繁に上がるようになった。
「公平・公正」は選挙の際の世論調査報道にも及び、99年4月の東京都知事選では、当時の森喜朗自民党幹事長が、同党推薦候補に不利な結果が出た毎日新聞を批判。選挙予測報道の禁止を内容とした公職選挙法の改正に言及し、検討に乗り出したことがある。最終的に法規制は見送られたが、同党検討会は公示(告示)2週間前から投票日までの報道の自粛を求める中間報告をまとめている。
東洋大の大石泰彦教授(メディア倫理)は「公権力を監視する役割を担うメディアの報道内容を、『公平・公正』を口実に、監視される側の政治家が判定しようとしている。それは、民主主義国では政治的圧力介入であり、国政調査権の乱用だ。現在、与野党から声が上がっている参考人招致を朝日新聞もNHKも拒むべきだ」と指摘する。
最近の自民党幹部の手法は、一連のメディア規制の流れの中にあると思う。「公平・公正な報道」という錦の御旗(みはた)を掲げている以上、メディア側は反論しにくい。言うまでもなく、私個人も公平・公正な報道に努めている。しかし政権与党がそれを口にする時、一定の政治的色彩を帯びることを見過ごすわけにはいかない。
【社会部・臺宏士】
毎日新聞 2005年2月3日 0時23分
http://www.mainichi-msn.co.jp/shakai/wadai/news/20050203k0000m070176000c.html