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月28日 05年第19号 ◆ 検察庁と裁判所の癒着を2月1日の大阪地裁で目撃することになる ◆ これが今の外務省の外交なのだ
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◆ 検察庁と裁判所の癒着を2月1日の大阪地裁で目撃することになる
◆ これが今の外務省の外交なのだ
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◇◆ 検察庁と裁判所の癒着を2月1日の大阪地裁で目撃することになる ◆◇
権力に楯突いた市民を検察庁と裁判所が結託して弾圧しようとすればどういうことになるのか。考えただけでもぞっとする。このような前時代的なことが21世紀の日本で行われるのか。日本の国家権力の正体を我々は2月1日の大阪地裁で目撃することになる。
1月28日付の毎日新聞が、元大阪高検公安部長、三井環被告(60)の判決公判が大阪地裁(宮崎英一裁判長)で開かれることを報じていた。三井環被告は、捜査情報を流す見返りに元暴力団組員から接待を受けた職権乱用罪や高級クラブでの酒食やデート嬢の紹介など約28万円相当の収賄罪に問われている。しかし三井環被告は、検察庁幹部の組織的な調査活動費流用を実名で告発する矢先に逮捕されたのだった。
私はここで、検察側と弁護側の意見のどちらが正しいかを断言するつもりはない。しかし外務省の機密費横領事件にしても北海道警察の裏金事件にしても、当初は完全に否定されていた巨悪が、相次ぐ告発や市民団体の追求により、最後は逃げ隠れできなくなって罪を認めることになった事実を我々は見てきた。検察庁の調査活動費の組織的流用が慣例になっていたことや、政府首脳と検察首脳が国策操作で密約しているという推測記事も既に報道されてきた。真実は裁判の場で明らかにされねばならない。
しかし私は検察の不正は決して暴かれる事はないと悲観している。何故ならば検察の巨悪が明るみになることはこの国の根底をゆるがすスキャンダルになるからだ。その深刻さは一省庁の腐敗の比ではない。そして最後は検察と裁判がこの国の権力を守るのだ。国を守るためには国民の人権はつねに犠牲にされるからだ。
最近発行された「噂の真相」25年敗戦記(集英社新書)の中で、かつて編集長であった岡留安則氏が自らの訴訟体験を次のように書いている。
「・・・噂の真相はマスコミ・タブーである検察批判を一貫して追及してきた・・・その結果予期せぬ事態が勃発した・・・(某記事が)名誉毀損罪で東京地検から刑事起訴されたのだ・・・明らかな検察の恣意的起訴だった・・・仮にこの記事が起訴に値するとなれば、現在発売されている週刊誌記事の殆どに適用される事態になる・・・恣意的なみせしめの起訴であることを裁判所に強くアピールしていけば、検察が恥をかかざるをえないような良識ある判断が裁判所によって下されるものと信じて公判に臨んだ・・・ところが公判が進むにつれ、検察だけではなく、裁判所さえも『噂の真相』側の立証を妨害するような『裁・検一体』としか思えない訴訟指揮を執り始めたのだ・・・検察側の無責任な対応にまっとうな疑義すら呈さない問題ありの裁判官でも、破廉恥事件を起こしたり、憲法違反の超タカ派発言を行ったりするような非常識な人間であっても、法廷の場においては絶対不可侵の存在とされているのだ。とうてい納得できる話ではないがこれが司法の現実なのだ・・・さらにこうした司法の現場をウォッチして権力の行き過ぎをチェックするはずの司法記者クラブの裁判担当記者たちが・・・癒着関係下におかれている・・・」
我々は2月1日の大阪地裁の判決公判を監視する必要がある。
◇◆ これが今の外務省の外交なのだ ◆◇
ここ2年来、外務省はイラク戦争と拉致問題の対応に明け暮れてきた。しかしその対応はおよそ外交とは程遠い周辺的な雑務に奔走するものであった。
イラク戦争については、米国追従とその結果としての自衛隊のイラク派遣の弁護に明け暮れた。拉致問題については、北朝鮮側の協力をひたすらお願いするだけの、度重なる実務者協議という名の無駄足であった。
その結果どうなったか。イラク状況は混乱を極め、もはや日本の出来る事は、サマワの自衛隊支援活動を危険に脅えながら続けることしかない。そしてそれは外務省の外交ではなく防衛庁の広報活動だ。拉致問題に至ってはついに北朝鮮から交渉打ち切りの通告を受け取るに至った。
一体外務省は今何の仕事をしているのか。実は仕事は何も無い。大勢の外務省幹部が仕事も無いのに日々を無為にやり過ごしているのだ。いや、そうではない。本来やるべき外交は多くあるはずである。しかしそれをやろうとしないのだ。その能力が無いのだ。
日本の外交の無能さは、次の一例をみれば歴然としている。私はこの新聞記事を読んで、かつての古巣である外務省を悲しく思う。
昨年末の藪中アジア・太平洋局長(当時)の訪朝による実務者協議は、進展がみられなかったばかりか、偽物の遺骨をつかまされて帰ってきた。しかし外務省は責任者である薮中氏に抗議させることなく、彼を経済担当の審議官に栄転させ、抗議はわが国の在中国大使館を通じて事務的に伝達した。私はこのやる気のなさと責任回避に驚いたのであるが、もっと驚いたのはその後の対応である。
待ちぼうけをくわされても返答を迫るでもなく一方的に北朝鮮側の出方を待つだけであった。1月14日付の読売新聞は、「日朝実務者協議に出席したソンイルホ外務省副局長に、外務省幹部が電話をかけているが居留守を使っているのか、つかまらない状態が続いている」と書いている。なんという真剣みのなさか。これほどの政治的な問題を、まるで個人的な電話連絡で対応しているかのごときである。
そして1月18日には訪朝した米国の議員団から「北朝鮮は拉致問題については一切コメントせず態度を硬化させた」と聞かされても、さらにまた19日付の北朝鮮の党機関紙「労働新聞」で金正日総書記から、「日本はわが人民の百年の宿敵であり、恨み骨髄に徹する」と非難されても、ただ頭を抱えて聞き流すだけである。
そして極めつけは「鑑定は捏造」であると正式回答をしてきた、その内容と外務省の対応である。すなわち26日に在中国の日本大使館員が北朝鮮の大使館に呼び出され、すでに24日に朝鮮中央通信で発表された備忘録の内容と同じ内容を通報される。その備忘録によると、日本のDNA鑑定は捏造であると断じたばかりでなく、「遺骨は両親に渡し、公表しない」という文書に藪中局長が署名した事を暴露し、ふたたび「日本は信頼できない」と非難した。さらには「日本は正しい政治哲学や理念も無い事から、国家外交は対米追従一路に執着し、政界は派閥と権力簒奪の争いで月日を送っており、軍国主義の復活は危険度を超えている」と日本の政治状況まで批判されている。
驚くのはそれを受けた外務省の対応である。「引き続きこのような対応に終始する場合は『厳しい対応』をとらざるを得ない」とした外務省報道官談話を北京の大使館から北朝鮮大使館になんとファックスで送ったというのである(28日朝日新聞)。なぜ報道官談話なのか。どうして小泉首相から金総書記に抗議文を発しないのか。なぜわが在中国特命全権大使が面談して手交しないのか。
いまでもなお北朝鮮の出方をうかがうしか策の無いところまで、日本の外交は無気力になったということだ。
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