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http://www.ne.jp/asahi/nd4m-asi/jiwen/maruyama/file01.htm
丸山眞男
「『現実』主義の陥穽」
『政治家にしろ、学者にしろ、評論家にしろ、昨日の言動を翻して平然たる風景が我が国ほど甚だしく見受けられるところがあるでしょうか。…変説改論がそれ自体悪いというのではありません。…しかし、変説改論にはそれだけの内面的な必然性がなければならず、また本人からそれについてハッキリした説明があるべきです。ズルズルベッタリの転向や三百代言は一番卑劣です。』p.206
『私達にとって大事なことは、以前の争点を忘れたり捨て去ったりすることではなく、むしろそれを新しい局面のなかで不断に具体化することでなければなりません。その基本的態度を誤ると、結局いつしか足をさらわれて気がついた時は自分の本来の立場からずっと離れた地点に立っているということになります。これこそ満州事変以後、何千人何万人の善意の知識人が結果においてファシズムに一役買うようになった悲劇への途ではありませんか。…一たびは悲劇といえましょう。しかし再度知識人がこの過ちを冒したらそれはもはや茶番でしかありません。』pp.202-3
「ある自由主義者への手紙」(1950年)
『現在知識人は好むと否とに拘わらずそれぞれの根本的な思想的立場を明らかにすることを迫られていると思う。…真に自由の伸長と平和の確保とを願う人々の間に出来るだけ広範かつ堅固な連帯意識を打ちたてる前提としていうのだ。もはや平和や自由というそれ自体誰も文句のつけようのない『言葉』の下に、それぞれ『下心』を秘めた人々を結集させて表面のつじつまをあわせるのが『共同戦線』を意味した時期は過ぎた。それぞれの思想の人々が自分の考えをふせたり避けたりしないで、ギリギリのところまで見解を語り…合ってこそ始めて、どういう人間乃至グループとはどの点で一致し、どの点で分かれるかということが各自にハッキリする。こうしてつぎつぎと直面する現実の政治的問題に対してどのひろがりとどの深さで連帯が可能かということが可測的になる。…それでないと、例えば共産党がいい出したというだけで、きわめて事理明白な事柄に対してもただ尻込みするだけに終わったり、或は逆に共産党のいうことなすこと何でも『先天的』に弁護する文字通りの『同伴者』になったりして、いずれにしても知識人の生命である自由な批判的精神を喪失するような結果になってしまう。』317-8