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(回答先: 女性国際戦犯法廷の猿芝居とイラク3人質事件の共通点は日本赤軍の関与情報である。 投稿者 木村愛二 日時 2005 年 1 月 27 日 21:03:08)
博 士 論 文 審 査 要 旨
http://www.soc.hit-u.ac.jp/thesis/doctor/00/exam/yun.html
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論文題名:日本の軍隊慰安所制度及び朝鮮人軍隊慰安婦形成に関する研究
論文提出者:尹明淑 (Yun, Myoung Suk)
論文審査委員:糟谷憲一、吉田裕、坂元ひろ子、中野聡
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1.論文の構成
本論文は、日中戦争期・アジア太平洋戦争期における日本の軍隊慰安所制度の実態を究明するとともに、朝鮮人軍隊慰安婦が形成された背景としての植民地朝鮮の経済的・社会的要因を検討した研究である。本文及び注の部分だけで400字詰原稿用紙に換算して約1,100枚に及ぶ長大な労作であり、その構成は次のとおりである。
はじめに
序論
第1部 軍隊慰安所制度に関する考察
第1章 軍隊慰安婦形成問題の経過と論点
第2章 軍隊慰安所設置の背景
第3章 軍隊慰安所政策における日本政府・軍の監督の実態
第2部 朝鮮人軍隊慰安婦の形成における考察
第4章 朝鮮人軍隊慰安婦の被徴集における植民地朝鮮の経済的要因
第5章 朝鮮人軍隊慰安婦の被徴集における植民地朝鮮の社会的要因
第6章 軍隊慰安所の関連業者及び徴集業者の排出要因
―朝鮮国内における接客業の動向を中心に―
第7章 朝鮮国内における徴集の仕組み及び徴集業者の実態
終章
文献目録
2.本論文の概要
序論では、まず著者による軍隊慰安婦の定義(「日本政府・軍の統制監督及び協力のもとに、徴集及び移送されて、軍上層部が政策的に開設・運営・統制監督していた軍隊慰安所に拘束され、性奴隷となることを強要されたすべての女性」)が示され、ついで本論への導入部として慰安婦の徴集形態、慰安所の三つのタイプ、日本軍の性暴力の一形態としての軍慰安所、軍隊慰安所政策に関与した機関について説明される。最後に、本論の主論点(1)軍隊慰安所の実態の究明、(2)朝鮮人軍隊慰安婦の形成過程を植民地朝鮮の経済的社会的要因と関連づけて検討することであることが述べられ、論文の構成が示される。
第1部は、軍隊慰安所制度設置の前史と、同制度への日本政府・軍の関与の仕方を分析している。
第1章では、1990年代に入ってから日韓両国の間で政治問題化した軍隊慰安婦問題に関する論争の経緯と論点が丁寧に整理されている。そして、当初は軍や政府の軍隊慰安所制度への関与を全面的に否定していた日本政府も、内外の世論の高まりと新史料の発見などに押されて、しだいにその関与を部分的にせよ認めるようになったこと、さらに1965年の日韓基本条約によって補償問題はすでに決着済みとの立場をとっていた韓国政府も、国連人権委員会などの見解を根拠にして、元慰安婦個人の請求権を必ずしも否定しないようになったこと、などが詳細に論じられる。また、この章では、国際法の解釈からみても、軍隊慰安所制度それ自体が、違法な存在であることが指摘されている。
第2章では、軍隊慰安所設置の前史として、日本の陸海軍における性病対策の歴史が分析される。戦前の日本社会では壮丁の性病感染率は無視しえぬ水準にあり、軍隊内における感染率も決して低くなかった。このため、性病の発生による入院患者の増大が、戦力を減耗させ、軍隊教育にも支障をきたすことを恐れた軍中央は、性病対策に大きな力を注いだ。その結果、軍は性病感染の原因が公娼制の下での性病検査の不充分さや私娼に対する取締りの不徹底さにあるとの認識を深め、公娼の性病検査や登録制、遊廓地の限定などを通じて、国家による統制をいっそう強化しようと意図するようになった。
また軍関係者の一部の間には、地方行政機関が管轄する従来の公娼制度に対する一つの代案として、軍が認可し、軍医による性病検査を義務づけた軍指定の売春施設構想すら浮上してきた。著者は、日中戦争の勃発以降、慰安所制度が急速に拡大していった背景として、こうした前史を重視する。
第3章は、日中戦争以降、軍隊慰安所制度が確立していく要因と、この制度への日本国家の関与の仕方とを具体的に解明した章である。
まず前者に関しては、著者は、日中戦争の勃発以降、日本軍将兵による強姦事件が多発し、中国人の反日感情をたかまらせていたこと、さらに戦争目的が不明確な下での長期戦への以降が日本軍の軍紀を退廃させ、軍隊内部の秩序を揺るがせていたことを明らかにしている。その結果、強姦防止や将兵への慰安の提供、無軌道な性行動の結果としての性病の増大防止、といった観点から、管理された売春施設としての軍隊慰安所制度が導入されたとする。
後者に関しては、日本内地、台湾・朝鮮での事例分析に基づいて、軍隊慰安婦の徴集、戦地への移送、戦地での慰安所の運営に、軍中央、外務省、内務省、さらには朝鮮・台湾の総督府と駐屯軍がさまざまな形で関与し、とくに軍が慰安所に対する統制・監督の中心となっていた事実を克明に明らかにしている。また元慰安婦の証言にも依拠しながら、慰安所内部の非人間的な実態を生々しく描き出している。
この日本国家の関与という点に関して重要なのは、次の二点である。一つは、「婦人および児童の売買を禁止する国際条約」に違反するとの非難を恐れて、外務省や内務省は、自らの関与を隠蔽して、民間の徴集業者を極力前面に出しながら、統制・監督の実質を確保しようとしていたことである。そして、もう一つは、日本政府が植民地を適用範囲から除外するという留保条件を付してこの条約に調印していることなどから、朝鮮における徴集・移送には、総督府や軍がより露骨な形で関与している可能性が高いことである。
第2部は、朝鮮人軍隊慰安婦の形成が植民地であった朝鮮の状況と深く結びついたものであることを明らかにし、そのことを通じて朝鮮人軍隊慰安婦の問題は日本の植民地支配のあり方をも問う問題であることを論じている。
第4章では、1930年代の朝鮮の経済状況の検討を通じて、朝鮮人軍隊慰安婦がつくり出された経済的背景を明らかにしている。まず朝鮮総督府の植民地農業政策の結果、農村において小作農・貧農が増加したこと、農村過剰人口の流入によって都市でも貧困層が増大したこと、農村・都市を通じて失業率が高かったこと、女性が就職できる職種は限られていたことにはが指摘される。ついで元慰安婦の証言の検討を通じて、彼女らの多くは貧困家庭の出身であり、また片親家庭など家庭環境が不安定であった場合が多かったことが明らかにされる。そして、彼女らが置かれた貧困状態は、軍隊慰安婦徴集業者の就業詐欺や職業斡旋という形態での徴集を容易にしたのであると、著者は論じている。
第5章では、朝鮮人軍隊慰安婦が徴集されることに直接的・間接的に作用した植民地朝鮮の社会的諸要因を明らかにしている。その第一は、戦時労働動員体制の構築である。1938年以降の女性に対する戦時労働動員体制の形成・展開過程を詳述し、女性の勤労動員は法令上は志願とされたものの、官主導でおこなわれ、事実上は徴用と受け取られた。このような状況のなかで、民衆生活全般を統制していた警察、行政の末端組織(区長や班長)の「介入」による慰安婦の徴集は、民衆に対して強制力を有しており、逃亡などの消極的抵抗すらできずに、徴集されざるを得なかったと、著者は論じている。第二は、接客業婦を調達した周旋業の存在である。周旋業には、警察の許可を得た業者と不許可の女衒があったが、ともに詐欺や誘拐などの方法による女性の身売り、接客業者からの前借り金の一部しか契約者に渡さない形での身売りなどの不法行為が横行していた。このような接客業婦の調達方法は、慰安婦の徴集の際に利用されたのであると、著者は論じている。
第三は、家父長制とその下での女性差別意識の存在である。著者は、元慰安婦の証言の検討を通じて、父親による娘の身売り、夫による妻の身売り、接客業者に「養女」の名目で身売りする「収養女」制度の存在などを指摘し、これら家父長制の弊害は結果的に慰安婦の徴集につながった場合があることを明らかにしている。第四は、日本本国で徴集事情の影響である。1938年2月の内務省警保局長通知によって、日本本国における慰安婦の徴集が制限された結果、制限措置のとられなかった朝鮮は格好の徴集地になったのである。
第6章では、1930年代初頭以後の朝鮮における接客業者の実態を検討し、接客業者が軍隊慰安所の管理者・経営者に転じるようになった要因を明らかにしている。ここでいう「接客業」は、貸座敷業、料理屋業、芸妓置屋業、飲食店業などを総称したものであり、公娼制度の下での売春業よりも包括的な用語として、著者が採用したものである。植民地朝鮮の接客業者には取締規則を根拠にして警察の強い統制が及んだこと、業種別業者数の推移を指摘したのち、著者は次のように述べている。1930年代初頭以後、接客業は不況の嵐をまともに受けて、経営不振が続いたが、不況や経営難から脱出するために「満州事変」後には満州へ移住する朝鮮人接客業者が増大した。日中戦争勃発後の1938年には接客業者は軍需景気によって繁昌したが、カフェー・バー、飲食店など小規模業者(朝鮮人業者が多い)は「非常時局」下の享楽排斥の名のもとに、営業時間短縮などの取締を受けて、営業不振に陥った。この状況のなかで、中国の日本軍占領地に渡航する朝鮮人接客業者が増大した。1940年になると、遊興飲食税賦課対象の拡大、遊興制限、違反業者への営業停止処分、酒税率の引き上げなど課税・取締強化によって、遊郭を除いて接客業全体の経営が圧迫されるようになった。経営不振に陥った朝鮮人接客業者のなかには、日本軍占領地に渡航する者が一層増え、そのなかには軍隊慰安所の経営者となる者も出た。
第7章では、朝鮮における軍隊慰安婦徴集の仕組みと徴集業者の実態を明らかにしている。まず1938年2月以降も、朝鮮では「婦女売買」「略取」「誘拐」に当たる徴集が継続し、徴集業者による徴集の比率が高かったことが確認される。ついで新聞報道をもとに、女衒による営利誘拐や身売りの手口が具体的に明らかにされ、こうした女衒の営利誘拐による接客業婦供給のメカニズムが慰安婦の徴集にも利用されたのであると論じられる。さらに元慰安婦の証言の検討を通じて、朝鮮内の徴集業者は大きく選定業者、下請業者、女衒に分けられるが、下請業者による徴集がもっとも多かったこと、徴集業者の根拠地として旅館が利用されたことなどの特徴が明らかにされる。最後に、著者は営利誘拐による徴集の形態が継続したことは、植民地警察のあり方に一因があったと論じている。すなわち、植民地警察は選定業者の営利誘拐による徴集を取り締まらず、むしろ徴集に積極的に協力し、渡航に必要な身分証明書を発行し、下請業者に対する取締りもしなかったとして、植民地警察の果たした役割と責任の大きさが指摘されている。
終章では、本文を要約し、あわせて今後の研究課題が述べられている。
3.本論文の成果と問題点
本論文の第一の成果は、軍隊慰安婦の問題を、徴集形態における「強制的連行」の有無といった狭い範囲にとどめることを批判し、軍隊慰安所制度が設置された要因、軍隊慰安婦がつくり出される過程、その境遇全般を広く考察の対象とし、そのことを通じて軍隊慰安婦問題における日本国家・軍の関与、植民地支配や戦時労働動員という構造的要因の所在について、深く究明しようとした点であり、この問題を検討するための新たな視点と方法とを提示したものとして、高く評価できる。
第二に、従来、歴史学の分野ではまったく注目されてこなかった『軍医団雑誌』などを体系的に分析することによって、慰安所制度の直接の前史をなす軍の性病対策の実態を明らかにしたことは、研究上の大きな貢献である。
第三に、慰安婦の徴集・移送、慰安所の運営に軍や政府がさまざまな形で関与していた事実を、広範囲な史料収集に基づいて克明に明らかにしたことも、高く評価できる。
第四に、慰安婦がつくり出される背景となった朝鮮の経済的社会的要因、なかでも膨大な貧困層の存在、貧困家庭女性の境遇の劣悪さ、それにつけ込んでの周旋業者による詐欺・誘拐、少額の前借金支払いによる女性の身売りの横行などを明らかにしたことは、慰安婦問題を植民地支配下の朝鮮民衆の社会状態と関連づけて把握するきっかけを切り開いた貴重な成果である。
第五に、戦時労働動員政策が法令上の動員形態の違いにもかかわらず、朝鮮民衆には一般に徴用、強制的動員と受け取られていた状況と結びつけて、慰安婦の徴集への対応を考察すべきことを問題提起していることも、慰安婦問題はもちろん、朝鮮における戦時労働動員体制・政策を研究する上での方向を提示したものとして、意義深いものである。
第六に、1930年代以降の朝鮮における接客業の推移を、主として新聞史料に基づいて克明に明らかにし、経営不振に陥った朝鮮人接客業者が中国や東南アジアの日本軍占領地に渡航し、そのなかには軍隊慰安所の経営者となる者も出たことを明らかにしたことは、新分野の開拓という点においても、また植民地支配下の朝鮮人の行動のさまざまなあり方についての具体的把握という点においても、重要な成果である。
本論文の問題点としては、第一に、史料上の制約から、朝鮮における慰安婦徴集・移送への総督府や朝鮮軍の関与の実態の解明は、まだ不充分である。比較的史料が残されている、同じく植民地である台湾の事例の分析から可能な限りの傍証を引き出しているとはいえ、この点は今後の大きな課題であろう。
第二に、1930年代の朝鮮民衆の貧困についての考察は、既存の研究の水準を大きく抜け出るものではなく、新聞・雑誌史料などを利用して、より具体的に究明する必要が残されている。この点は同時期の朝鮮女性の置かれていた状態の解明に関しても、言えることである。
第三に叙述の仕方に関してであるが、第1部から第2部へのつながり方にややぎこちないところがある。軍隊慰安婦・慰安所制度自体についての考察から、軍隊慰安所が設置されるに至った日本軍内部の要因、ついで朝鮮軍隊慰安婦が形成された背景の考察というように配列すると、本論文全体としての論旨展開は、より明快となったと思われる。
しかし、これらの点は、一つには史料公開の進展に待つところが大きなものであり、一つには今後の研究において新たな展開を期待すべき点であって、本論文の達成した成果を大きく損なうものではない。
以上、審査員一同は、本論文が当該分野の研究に寄与する充分な成果をあげたものと判断し、一橋大学博士(社会学)の学位を授与するに相応しい業績と認定する。
2000年7月12日
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学位請求論文最終試験の結果の要旨
2000年7月12日
2000年6月21日、学位論文提出者尹明淑氏の論文についての最終試験を行った。試験においては、提出論文「日本の軍隊慰安所制度及び朝鮮人軍隊慰安婦形成に関する研究」に基づき、審査員から逐一疑問点について説明を求めたのに対し、尹明淑氏はいずれも適切な説明を与えた。
以上により、審査員一同は尹明淑氏が学位を授与されるのに必要な研究業績及び学力を有することを認定し、合格と判定した。
http://www.soc.hit-u.ac.jp/thesis/doctor/00/exam/yun.html