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◇人の痛みにどこまで思いを
人の痛みにどこまで思いを馳せることが出来るか
4月1日から、「メディアの裏読み」から「メディアを創る」と題名を変えて新しく出発する。その最初をこの拙文から始めたい。
我々が毎日を平凡に暮らせるのも平和があってこそである。しかしいくら平和であっても、自分の力ではどうにもならない不条理な境遇で懸命に生き続けなければならない人達がいる。そういう人達の人生に他人は何も出来ないけれど、少なくとも思いを馳せる心を持ちたい。自分ならばどう生きるか考えてみることも必要だ。そんな気持ちにさせてくれる記事を、私は3月31日の新聞で見つけた。
3月31日付毎日新聞、「発信箱」で上村幸治記者が「悲しくて美しい」という小文を書いていた。かつて上村記者が目の不自由な17歳の女子高生が地下鉄の駅のホームから転落した事故を取材した時の記事である。運良く高校生はかすり傷だけで助かった。記者が病院に駆けつけた時にはその高校生は簡単な治療を済ませて受付の長いイスに座っていた。そこへ両親らしき中年の夫婦がやってきた時の光景を次のように思い起こしているのだ。
「・・・娘さんとひとしきり言葉を交わした後、夫婦は娘さんを間にはさんで座ると下を向いたまま黙り込んでしまった。
気配でそれを察した娘さんも黙ってうつむいた。3人は長いすの上で肩を寄せ合うようにして、いつまでも彫像のように動かなかった。両親は娘の無事を喜ぶ一方で、目が不自由なゆえに事故に遭わねばならない身の上を不憫に思ったのだろう・・・
私はその時これほど美しい光景を見たことがないと思った・・・世に『悲しくて美しい』光景があるのなら、『幸せそうで醜い』立ち居振舞いもある・・・」
3月31日の朝日新聞夕刊に、障害者の兄と健常者の妹の間で交わされた300通の電子メールから一冊のエッセイが生まれたという記事を見つけた。脳性小児麻痺の後遺症で手足や言葉が不自由な兄は、わずかに動く右手に棒を握ってパソコンのキーボードを叩き、不自由な思いをメールにぶつけた。遠慮のないやり取りは、時に喧嘩にもなった。健常者の無理解を痛烈に責める兄。妹は「狭い世の中しか知らないくせに」と応じると、兄は「その言葉をそっくり返そう。健常者こそが欠落者だ」。編集しながら妹は自分が無理解だったことを思い出す。オーディオなどの操作を頼まれて戸惑うと、「自由に動く手があるのになぜできない」と言われ、「偉そうに指示するな」と言い返してしまった。エッセイに一章を寄せた妹はこう記した。「兄の歯がゆさは身をよじるほどだったろう」
このエッセイのタイトルは「じょんならん」。讃岐弁で「どうにもならない」という意味だという。
3月31日付朝日新聞夕刊に載っていた千葉大学助教授の渋谷望氏が書いていた「日本人こそ『難民』だ」という論文も考えさせられた。
彼は、トルコからのクルド人難民の父子が東京入国管理局の手で本国へ強制送還されたことに関連して、国連やアムネステイインターナショナルから批判が寄せられたにもかかわらず難民認定をしなかった日本政府の対応とこれに無反応な日本人について、次のように書いているのだ。
「・・・人権とは『人間らしい生活をする権利』である。人権を主張するというクルド人にとって体を張った本気の主張が、日本人にはなせかスキャンダルなこととして受け止められた。思えばこれまで人権は日本人にとって疎遠なものであった。日本は高度成長を経て経済大国にのし上がったが、その陰には会社への滅私奉公や長時間労働を『美徳』として要請する構造があった。同期入社の中にも昇進の速さによる序列が設定され、気がつけば煽られてしまう自分がいる。意に沿わない転勤、配置転換、サービス残業への拒否はタブーとされてきた・・・90年代を経た今日、会社への『忠誠』は会社の側から裏切られることが多くなり、経済成長を支えた構造はその脆さを露呈し始めている・・・にもかかわらずこの状況を甘んじて受け入れているのであれば、私たち自身が、誰かが手を差し伸べてくれるのをひたすら待つ『難民』の存在に近いのではないか・・・送還されたクルド人は、日本の自殺者の多さやホームレスの増加に言及しながらこう言っていた。人権の主張は自分たちだけのためでなく、日本人のためでもあると・・・彼らの活動への日本人の反発の底には、日本と言う社会の理不尽さが暴露され、自己の姿を見ることへの抑えがたい恐怖があるからかもしれない・・・日本のシステムの破綻を隠そうとする側にとって、『主張する難民』という他者はいっそう厄介な、自己を映す鏡となるのだろう・・・」
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