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(回答先: Re: 「固有の領土」なら韓国に分がありそうだ。半月城さんの文献紹介を読んだ感想。 投稿者 1fan 日時 2005 年 3 月 21 日 12:17:48)
>「半月城通信」ですか?
>数年前yahooの掲示板でぼろぼろに論破されていたようです。
>そちらのログもお読みになると良いと思います。
>
>http://web.archive.org/web/20030212172537/http://www.keroa.net/take/
>#981番くらいから相手のtorazoさんが登場します。
ご紹介ありがとうございます。
1000個も発言があると読み落としはありありですが、torazoさんが半月城さんを論破しているようには見えませんでした。半月城さんが論破されたという趣旨をかいつまんで紹介していただけますか?
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興味を引いたのは下記の発言です。
>992: (>>989) 半月さんへ。
>投稿者: kunitaka_ (26歳/男性/福岡) ▼▲2000年11月10日 午前12時55分
>メッセージ: 992 / 2486
>・・・
>下記は私のHPのです。一番下の段落をお読み下さい。
>http://www.geocities.co.jp/WallStreet-Bull/1002/senkaku7.html
>重要度から言うと、
>@誰が最初に実効支配したか
>A国家による領有の宣言
>B誰が最初に発見したか
で、多分の↓のサイトのことだと思うが、このサイトは写真も多くて参考になる。
http://www.geocities.jp/tanaka_kunitaka/takeshima/
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たけ(tk)思うにですね、竹島と鬱陵島との距離が92キロだとすると、鬱陵島の住人であれば当然に竹島のことを知っている。現に高台にのぼれば見ることができるらしい。100キロ以内であれば小舟でも一日の航海で渡ることができる距離。海上から島の本体が見えないとしても、島の上には特有の雲ができるので、それを目標にして進めば、到着することができるという距離です。(ただし、小さい島だと雲ができるかは怪しいので、竹島についてそれが可能であるかどうかは断言できない。)
とすると、『三国史記』(作成年:1145)に書かれている「智證王13年(AD512)」の時点で、「于山国・・別名を鬱陵島」を征服して、@于山国が最初に実効支配した、A新羅による領有の宣言、B于山国に渡った人が最初に発見した、ということを推定させる記録があることになる。
http://www.geocities.jp/tanaka_kunitaka/takeshima/1home.html の写真を見ると、当時の漁民にとってあまり利用価値がありそうにはみえないので、無人島のままに成っていた可能性はある。しかし、少なくとも鬱陵島の住人がその島を発見して、訪れた可能性が高い。また、15世紀の時点では「于山・武陵本二島 相距不遠 風日清明 則可望見」という認識があったことは確実なので、都にいた記録者が確認していないとしても、鬱陵島の住人が知っていたことは確かだろう。
それが出発点になるとおもいます。
で、その後に、「太宗時代に武陵(鬱陵)島を空島にする方針が決定」したことをどう評価するか、なども含めて、歴史的検証をしていく必要があるだろうとは思います。