現在地 HOME > 日本の事件16 > 942.html ★阿修羅♪ |
|
便乗・悪乗りとも言える日経新聞のすりかえ論法 2005/06/11
--------------------------------------------------------------------------------
JR福地山線脱線事故については、新聞紙上でも様々な観点から事故原因の検証・解明が進められています。このような悲惨な事故が二度と繰り返されぬよう、物理的・科学的な原因追及にとどまらず、運転手の心理的側面、はてはそれを生み出したJR西日本という会社の企業体質まで、問われるべきだと思います。
そういった一連の新聞記事の中で、日本経済新聞6月5日付け「中外時評」は、便乗・悪乗りとも言える記事で、見過ごせないものです。
記事では、まずJR西日本の経営者責任を一般論的に指摘しています。しかし次に、「ただ同情の余地もある」とし、事故に関する論議は混乱しており、「効率を追求するあまり社内に上意下達の風土ができ……などとでたらめを言う向きもある」と言い切ります。
そして記事はここから思わぬ方向に議論が進みます。「無理な収益計画によってP型の自動列車停止装置の設置が遅れたというのなら、安全志向の欠如などより、もっと重要な問題がある」「安全と都市部の事業を両立させるには非効率な赤字路線から撤退する構造改革の決断が必要だ」「赤字路線撤退を阻んだのが地域政治と住民だったことも事実だ」とし、井出正敬相談役の行ってきた効率経営を評価したのち、「JR西日本は山陽新幹線と近畿圏の都市交通だけの会社になるかもしれない。それでも惨事を繰り返すよりはよほどいい。安全には、より効率的な経営体制が必要なのだ」と結論付けています。
JRは路線ごとの細かな収支を公表しませんから詳細は不明ですが、多くのローカル路線が慢性的赤字体質なのは事実でしょう。JR西日本の経営が山陽新幹線と近畿圏の都市部路線で持ちこたえているのも多分事実でしょう。だからこそ、JR西日本は近畿圏都市部路線を「アーバンネットワーク」と命名し、重点的に効率化を進めてきました。
その効率化追求が今回の事故の一因となったことも各種報道で指摘されてきているところです。
しかし、今回の事故の原因追求の話を、いきなり大幅な赤字ローカル線切捨ての提案につなげて結論付けるというのは、あまりにも飛躍が過ぎていませんか。さらに言えば議論のすり替えと言われても仕方が無いのではないでしょうか。日経新聞という全国新聞が論説委員の署名入り解説記事として載せるにふさわしい論評とはとても思えません。
公共交通機関としての地方交通路線存廃の問題が、その路線の収支状況だけで判断されるべきものではないことは自明のことと思います。だからこそ、実際に各地の自治体及び住民が地方路線維持存続のために苦労しているのではないでしょうか。
日経の記事を待つまでもなく、目立たないところでJRはすでにあちこちで赤字地方路線切捨てにかかっています。6月4日付け毎日新聞にJR在来線3セク化に関する記事が載っています。長野新幹線・東北新幹線・九州新幹線開業に伴い、並行して走る在来線はJRから切り離され、3セク化されています。もともと赤字路線ですから、当然3セク化されても経営は厳しいのですが、なんとか公共交通機関を存続させようと、地方自治体が支援する様が描かれています。記事中にはありませんが、沿線地域住民も運賃値上げなどを受け入れ、ともに努力をしてきています。
広島県におけるJR可部線の一部廃止時に、JRの廃止表明から実際の廃止までに長時間を要したことが、この日経記事では悪しき前例として挙げられています。記事では、「地元は強行に反対し……廃止に5年の歳月が必要だった。」とされています。しかしその間、地元住民・自治体がどれだけ努力し、関係する様々な人々がどれだけ議論してきたか。地元地方紙である中国新聞が何度も特集し、追ってきました。
それは同紙HPに詳しく紹介されています。日経記事の論調では、このような地元住民の生活に密着した真剣な議論もすべて無駄なバカらしいものになってしまうのでしょうか。
論ずべき事は、経営の効率化の観点のみからの赤字地方路線の取り扱いではなく、その路線が地元にとってどれだけ必要とされているかの議論と、必要と判断された路線をどう救済していくか、そしてその救済は誰が行うべきかの議論です。仮に廃止やむなしとされた場合であっても、その有効な代替策の議論でしょう。
「鉄道の基盤施設は、道路と同じように社会資本としての役割を果たしており、安全で便利な鉄道を整備・維持していくことは社会全体の責任であると考えるべきである。(京都大学 中川大助教授)」(京都新聞6月3日付)
今回の事故を機に、公共交通機関としての鉄道への公費投入による安全性向上の是非などの議論も出てきています。従来の公共事業のあり方議論とあわせ、本当に必要とされる社会資本整備とは何か、議論の活性化が望まれます。
「公共の企業化が何をもたらすか。『公共』と『企業性』の間にすさまじいきしみが生まれている。(評論家 内橋克人氏)」(日刊ゲンダイ5月11日付け)また、JR民営化自体が正しかったのかどうかといった議論さえ出てきています。これらの議論は今後の道路公団民営化・郵政民営化などの議論にも生かされることでしょう。
多くの犠牲を出した今回の事故の教訓を決して無駄にしないように、皆が様々な分野で真剣に考えるべきときに、このような日経記事は水をさすものと言えるのではないでしょうか。
(ぶんごしほ)
http://www.janjan.jp/media/0506/0506098108/1.php?PHPSESSID=149ef58f3d3b57fd8f1efc8910f522c6