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運転士は脱線までの2分間問いかけに応答がなかったというし(心身に医学的な──”心理的な”ではなく──トラブルが起こっていたという可能性をどこも問わないのは何故なんだろう)、車掌は直線部分においても車体の激しい揺れに動揺したコンメントを社に送信している。
そもそもJR西日本は普段から「遅れ」が数十秒から1分少々あったということであり、遅れを取り戻す行動として全てを語るのも無理があるように思う。
この事故はまだまだ謎の部分が多いというのが感想です。
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神戸新聞
http://www.kobe-np.co.jp/kobenews/sougou05/0427ke91280.html
「信じられない」「無謀」 JR宝塚線 運転士の証言
2005/04/27
「その速度でカーブに入るにはかなりの緊張を強いられる」「カーブで制限速度を守らなければどうなるか分からない」。JR宝塚線で脱線した快速電車が、カーブに進入した際の速度が制限速度を大きく上回る時速百八キロだったことについて、同線の運転経験がある運転士らは「信じられない」と首をかしげた。
四十代の運転士によると、今回の事故現場付近を快速電車で運行する場合、カーブ入り口の手前約一キロから減速を始めるという。それまでの時速百二十キロから、カーブに入るときには七十キロまで落としていた。五十代の元運転士も同様で、カーブの約百メートル手前で八十五―七十五キロ程度に減速、カーブに入る時点で七十キロ以下になるよう調整していたという。
二人の経験に照らせば、カーブ進入時のスピードが百八キロというのは無謀な運転といえる。
元運転士は「ちょっと考えられない速度。ただちに脱線するとは思わないが、その速度でカーブに入るにはかなりの緊張を強いられる」と話す。現場付近の線路から工場やマンションが目と鼻の先にあるだけに、「直線でもスピードを上げるのがこわい場所だった」と振り返った。
事故の背景の一つとして、運転士が現場手前の停車駅である伊丹駅でオーバーランした遅れを取り戻そうとし、普段よりスピードを上げていたことが指摘されている。
こうした事情について運転士は「伊丹駅で遅れがある場合、減速するタイミングを遅らせて挽回(ばんかい)することはある」とし、「(神戸線などと交わる次の停車駅の)尼崎駅で乗り換えに間に合わせよう―と時間短縮するのは運転士なら当然のこと」と話す。ただし、「カーブは避ける。制限速度を守らなければどうなるか分からないから」と強調した。
「三十八キロの速度超過は、業務停止など非常に重い処分を受ける事案。遅れを取り戻すために加速したとすれば、あまりにも無謀だ」。元運転士は困惑気味に話した。
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