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尼崎の脱線事故の拙文をメールマガジンで呼んだ読者の谷本健吉さんから次のようなメールを頂いた。
「今回、尼崎市でのJR福知山線の事故当日は、朝から夕方にかけて一日中、約8機ほどのヘリコプターが上空を旋回し、まさに、テレビ、新聞、共同通信各社による凄まじい限りの「劇場型報道」の取材合戦を目前にしました。
『我に正義アリ』ですか・・。ちなみに我が家は、事故現場から5キロほどの距離です」
読者の中にはご記憶にある方もおられようが、「阪神・淡路大震災」や「新潟中越大震災」の救出活動が行なわれている時に同様の取材合戦があり、私はマスコミ各社に即刻中止するよう求めていた。電話口に出た編集部の人間は、“当然のことながら”報道の自由を口にしてヘリ取材の正当性を主張したが、私は「生きる権利」の前には、「報道の自由」などクソ食らえ(失礼!)という考え方だ。マスコミで生きてきた人間が何を言いだすかと思われようが、この考え方を変えることはない。
私の言いたいことは、つまりこういうことだ。
人命救助で大切なのは「音」である。「助けを求める声」「誰かいるかと呼びかける声」、それに物陰からかすかに聞こえる人の気配…こういった音を頼りに救助が行なわれる。その「命の手がかり」を低空で旋回してかき消す取材ヘリは、人命救助を妨害する邪魔者だ。そして、ヘリが巻き起こす旋風が地上で救助活動を行なう人たちの苛立ちを誘うことも知っておくべきだ。神戸であれほど多くの被災者や消防関係者が取材ヘリに対して怒りの声を上げたことをもう忘れたのか、と今再び問いたい。阪神大震災直後、一部の新聞はそれを受けて検証記事の中で反省していたが、あれは読者に対しての怒りを和らげさせる一種のポーズだったのか、と。
もちろん私もマスコミの現場を知る人間だから「空撮」の必要性が分かっていないわけではない。だから何度も言っているように、代表取材で済ますべきなのだ。何でこんな命に関わる取材で「良い絵」を欲しがるのか、自社の映像にこだわるのか、それは私にはマスコミの「ゴーマニズム」としか見えない。