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オウム早川被告手記刊行…地下鉄サリン事件から10年
「凶悪」に至る経路をつづる
20日で10年を迎える地下鉄サリン事件。オウム真理教で「麻原側近」といわれた早川紀代秀被告(左)が出版物で教団の核心に迫る
オウム真理教による地下鉄サリン事件から、20日で10年を迎える。昨年2月に出された麻原彰晃被告(50)への死刑判決で、ようやく1審が出そろった。長期裁判を物語るように関連書も100冊を超える。そんななか、「麻原の側近」だった早川紀代秀被告(55)=1、2審死刑、上告中=と、川村邦光・大阪大大学院教授(宗教学)が、『私にとってオウムとは何だったのか』(ポプラ社)を刊行した。2人が教団の核心に迫る。
「あれほど世間を騒がせたオウムの事件も、今やニュースなどの報道で、一部しか知ることができない。教団の中心にいた当事者の肉声を通して、どんなことを考えていたのか知ってもらいたかった」
川村教授は出版の意義を語る。早川被告は、坂本堤弁護士一家殺人事件など教団の凶悪さを象徴する事件に手を染めた。
早川被告の1歳年下にあたる川村教授は、早川被告の控訴審に証人として出廷したことが、同書をつくるきっかけとなったという。「どのような経路をたどって、殺人事件にまで及んでしまったのか。(中略)同時代を生きてきた者として、探っていきたいと思う」(同書より)
川村教授が書いたオウム論に、早川被告が「返事」のかたちで書き綴った文章は、徐々に「オウムとは何だったのか、自分が信じていたものは何だったのかをきちんと伝えたい」という“決意”に変わっていった。
「久々に原稿用紙に手書きの原稿を見ました」と川村教授が笑う早川被告との“文通”でのやりとりは、原稿用紙300枚近くに及んだ。
早川被告は「消えない足跡」と題し、自らの生い立ちからオウムとの出会い、教団で生きることを選ぶまでを、克明に自身の言葉で語った。
川村教授も、早川被告の“告白”を受ける形で、宗教学者としての立場から、「宗教テロリズムと早川紀代秀」という主題で教団の特異性などを検証している。
川村教授は「オウム事件も、世界的な“テロリズム”という流れでとらえつつあるが、もう一度、当時の日本国内の状況の中で考え直してほしい」と問題を提起。
「なかなか現在の日本の状況では考えづらいが、早川被告の文章からは、当時の教団の中には、ハルマゲドンに対する危機感、緊迫感があったことを感じ取ってほしい」と話す。
「まだまだですね。これからも、つきあっていくしかないですよ」。川村教授も、オウム事件に対する答えは明確には出ていないというが、教団の中心メンバーの肉声からは、その一端を読み取ることができるのは間違いないだろう。
ZAKZAK 2005/03/19
http://www.zakzak.co.jp/top/2005_03/t2005031902.html