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道警銃器対策課と函館税関が二○○○年四月ごろ、「泳がせ捜査」に失敗、香港から石狩湾新港に密輸された覚せい剤約百三十キロと大麻約二トンを押収できなかった疑いがあることが、複数の当時の捜査関係者らの証言で十二日、分かった。覚せい剤と大麻は道内に流入し、密売された可能性が強いという。流入した覚せい剤と大麻の末端価格の総額は、相場から約百五十億円以上と推定される。また約百三十キロという覚せい剤の量は、道内の年間押収量のおよそ五百倍に相当する。
こうした実態は、この捜査を担当し、その後覚せい剤取締法違反(使用)などの罪で逮捕され服役中の稲葉圭昭・元道警警部(51)が、自身の公判中に裁判所に提出した「上申書」の中でも明らかにしており、当時の捜査関係者の話も上申書の内容とほぼ一致している。
「泳がせ捜査」は覚せい剤などの発見時に容疑者を逮捕せず、薬物をそのまま流通させ、密売グループ全体を摘発していく手法。麻薬特例法と銃刀法で認められている。
複数の捜査員や、稲葉元警部が収監後に関係者に明かした話などによると、問題の捜査は二○○○年四月ごろ、道警銃器対策課と税関との合同で行われた。稲葉元警部は捜査協力者との接触などを担う、中心的な存在だった。
覚せい剤と大麻は香港から石狩湾新港へ密輸入されたが、犯行グループから拳銃を摘発することに捜査の重点を置き、計二回の密輸入は見逃した。
三回目に摘発する手はずだったが、失敗。覚せい剤約百三十キロと大麻約二トンは押収できず、道内に流入し、売りさばかれた疑いがあるという。
一方、稲葉元警部は公判中だった○三年三月三日付で、札幌地裁に上申書を提出。自身の逮捕容疑だった覚せい剤所持について「(泳がせ捜査で見逃した)一回目の密輸の際、(この捜査にかかわった民間人から)入手した」としている。
そのうえで、捜査自体も「税関との合同捜査だった。失敗で、関係者全員が秘密にすることにより闇に葬られた」などと記し、道警組織が承認した上での捜査だったと強調。泳がせ捜査の際、薬物を受け取る架空の「受け皿会社」をつくり、その名称には上司だった道警幹部の頭文字を使ったことも明らかにしている。
覚せい剤などがこの架空の会社に実際に入ったかどうかは明らかになっていない。
稲葉元警部はまた、こうした内容を収監先の刑務所から関係者に伝えていた。
(北海道新聞 2005/03/13 08:11)