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日本人は 「愛国心」という単語の意味,判っているのかな?
この際だから、考えてみても良いでしょう。
愛国心は、人類の進むべき新しい方向性とは一切、関係がなく
本来の日本の良さにも一切、関わりをもたない言葉なのです。
愛・国・心。一つ一つの「字」は、それぞれの意味をもっている。
しかし愛国心という単語になると、これは大変にまずい意味となる。
愛, 人(他)を広く愛するこころ。他への愛。自己犠牲の愛。
対象は人であり、回りの人々であり、人類である。
国, それぞれに、世界の中で囲いを作り、同一民族系が
ルールを設けて、他国と区別した規準の制度で存在する。
心, ここでは、前者二つの字の意味を関連付けた、心の形。
愛には、自己の存在への思いが, 一切 含まれていない。
人を思いやる愛、人類愛、博愛、人類生命全体にたいする愛にも通じている。
国は、人類社会が自然に区分けされてしまう各々の価値観による制度や
宗教的宗派的要素も導入され、介入の影響も受けていたりしている。
国を愛する。これは国際社会の中で、政治として成立しない矛盾語です。
垣根のある制度を、主体のない心が愛するでは、何も前に進まないでしょう。
愛国心という言葉には魂が宿りようがないのです。
個・命・存在、という主体としての人類生命が含まれていない。
実態のない形容詞では、価値あるものは生まれないと思う。
愛国心という、実態の伴わない魂(ロマン)は
現状の国際社会という どうにもならない悲惨な現実を産み出している。
国民を守る意識が欠落している。
権力のよこしまな優越感が漂っている。
この言葉には、日本を含めて 東洋的な精神の美しさが欠けている。
肉体と精神という「基本理念から生まれる尊敬の心」が欠けている。
国=天皇との思いが、この言葉(愛国心)には込められていると推進派は
錯覚しているようだが、その意味があるなら、それはそれで良いのだ。
しかし、その意味は含まれていないのであり、変な誤解が生じるだけで、
矛盾した単語は大きな弊害を未来にもたらすだけであろう。
天皇の残骸的制度が重要なのではなく、国民を思う人と成りと暖かさ強さが、
尊敬の心を育む貴重な「宝」なのであるから、愛・人・心、である。
しかし日本では「愛人心」とは、国の方向として使えない言葉でしょう。
愛国心という単語を使えるように修正すれば、
「愛自心」、他を愛し、自身の命も大切に扱う(確かな生命帯の)心となるが
愛は生命そのものの質、真理だが、使い方を誤まると社会が纏まらなくなる。
愛国心は単語として矛盾した言葉であるから、愛自身・愛自心となるが、
これは、単に愛国心の矛盾を訂正しただけの単語に過ぎない。
「国を愛する心」という言葉は
国際政治学上では場を停滞させる矛盾した言葉となっています。
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