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当会は、「人類の思想の進化なくしては世界平和は招来し得ない」とのテーゼに基づいた活動を展開中でありますが、本日、小泉総理が靖国神社を参拝して、国内外から大きな反響を呼び起こしている件について、つぎのとおりコメントいたします。
小泉総理の心情は日本国民として十二分に理解出来る当然の理であります。然しながら日本国総理としては、下記の二つの理由により靖国参拝を断念するべきであったと考えます。
第一に、国が特定宗教に肩入れしてはならないと定めた日本国憲法の政教分離の原則に反することになり、日本国民の遵法精神の更なる低下をもたらす。
第二に、中国をはじめ近隣諸国との間の長年にわたる精神的な摩擦を増幅して、友好的な外交関係の維持に悪影響を及ぼすことになり、世界平和を国是とする日本国の国益に反する。
ここに、政教分離の原則(憲法20条・89条)とは近代憲法が打ち立てた重要な原則の一つであり、要約すると、宗教の問題は、国家的事項ではなく、個人の私事であり、政治的次元を超える人間の魂の救済の問題であるから、これを世俗的権力である国家(地方公共団体を含む)の関心外の事項とするということであります。
我々は、「千丈の堤も蟻の穴から崩れる」の例えのとおり、政教分離に対する軽微な侵害が、やがては思想・良心・信仰といった精神的自由に対する重大な侵害になる事を怖れなければなりません。法治国家における遵法の師表たるべき総理は「李下に冠を正さず」の姿勢を堅持するべきであります。少なくとも、裁判所が違憲判決を下した行為を実行するべきではありません。
祖国のために命を捧げた数多の靖国の英霊の犠牲のおかげで、今日の日本があるのですから、日本人たる者は上京その他の機会をとらえて、靖国神社への参拝は大いになすべきであることは条理上言う迄もないことであります。日本国民が「私人」として参拝して、護国の英霊に感謝の気持ちを捧げる事は当然の行為であり、何人たりと言えども、何等の制約をも受けるものでは無い事は当然であります。
なお、靖国神社の遊就館は日本国民が後世に残すべき大事な歴史的な遺産であります。遊就館公開の関連文書は戦時中の日本国民の総意・心情を如実に表現したものであります。靖国神社の「太平洋戦争は自衛戦争であった」との主張も正論であります。然しながら、日清戦争・日露戦争・満州事変・日中戦争は事実上の侵略戦争であったと見なさざるを得ません。
ここに、勝てば官軍負ければ賊軍であることは、歴史の示すところであります。勝敗に関係なく、戦争そのものが人類の犯した大きな過ちでありますから、茶番劇である極東国際軍事裁判(東京裁判)に基づく、「戦犯」「戦争犯罪者」等の用語は21世紀には使用されるべきではありません。敢えて言えば「戦争責任者」の用語を用いるべきであります。
今日の日本の平和と繁栄は、戦争の被害者である戦没者の犠牲の上にあるのですから、終戦記念日に政府主催の全国戦没者追悼式に、総理・閣僚が公式参拝をして、戦争廃絶を誓い且つ祈念する事は当然の行為であり、悦ばしい限りでありますが、更に一歩進めて、「特定宗教と関係のない、戦没者慰霊の為の国営墓地」を建設して、国家挙げて世界の恒久平和を祈念することは、正に戦没者の霊に報いることになるし、神道と結びついた軍国主義日本の復活を懸念する近隣諸国の心配を払拭することにもなります。よって、早急な国営墓地建設が望まれる所以であります。
なお、国営墓地における慰霊の対象は、軍人・軍属のみならず、広く民間人・外国人にまで範囲を拡大するべきであります。かくすることが、世界の恒久平和を祈念する21世紀の日本の姿勢を世界に顕示することになり、世界平和への途に繋がるものであります。我々は「慰霊の原点は敵味方を区別しない寛容さに在る」ことを忘れてはなりません。
因みに、太平洋戦争の最高戦争責任者は、日本では昭和天皇(1901〜1989)であり、米国ではフランクリン・D・ルーズベルト米国大統領(1882〜1945)並びに、広島・長崎に原子爆弾を投下した、トルーマン大統領(1884〜1972)であることは自明の理であります。敢えて昭和天皇とルーズベルト大統領との責任を比較すれば、太平洋戦争開始前に、澎湃として興った国家主義・軍国主義・ファシズムは、政府・軍部をはじめとして、何人たりとも押さえる事ができないエネルギーに迄高まってしまった当時の状況下における昭和天皇の立場と、米国民の大半が当時は参戦反対の立場を執っていたにも拘わらず、多数の米国民を犠牲にしてまで、日本の真珠湾奇襲を事前に了知していながら秘匿且つ受忍して、米国民を参戦に奮い立たせた、ルーズベルト大統領の立場との違いであります。
更に、太平洋戦争における米英中ソ蘭などの戦勝国(連合国)側から見た場合の、東京裁判のA級戦争責任者は、日本側から見た場合は、日本が勝っておれば英雄に他なりません。日本が勝っておれば、ルーズベルト大統領並びにトルーマン大統領が米国の最高戦争責任者であり、ダグラス・マッカーサー元帥(1880〜1964)もA級戦争責任者であったわけです。例えば、幼少時から陸軍士官学校在校中にかけて軍国主義を叩きこまれた、戦時中の東条英機首相(1884〜1948)は、彼なりに日本を心から愛し、天皇のため即ち日本国民のために、全身全霊を尽くして努力した人物であります。そして、結果的には、祖国日本を防衛するためには、開戦を決意せざるを得なかったものと評価出来ます。然しながら、戦勝国である中国側から見れば、侵略の元凶の一人に他なりません。つまり、いつまでも偏狭な祖国愛だけで21世紀の政治問題に対処するならば、世界平和への途は開けないということであります。
付言しますと、戦時中の殆んどの日本国民と同じく天皇崇拝の天皇病に洗脳されていた東条は、東京裁判では昭和天皇に戦争責任が及ばないように昭和天皇を庇護するため、全責任を一身に受けて従容として刑場の露と消えたわけですが、今般昭和天皇はA級戦争責任者の靖国合祀に強い不快感を持っていたとの報道がなされております。戦前の2.26事件の際にも昭和天皇は、天皇を崇拝する皇道派の純真無垢な陸軍青年将校等の昭和維新を目指した決起行動に対して、青年将校等の心情を全く理解できず、重臣を暗殺した暴徒とのみ決めつけて激怒した事実があります。これ等は昭和天皇の資質の証左でもあります。
世界に誇るべき平和憲法である日本国憲法を戴く日本国民は、国際政治の現実は戦争の歴史であったという、過去に犯した人類の大きな過ちを深く反省して、21世紀の世界平和の先達として、戦争の無い平和な世界を築くべく、最大限の積極的な外交上の努力をなすべき使命を自覚して、今こそ奮起すべきときであります。かくすることが、真に戦没者の霊に報いる事になるという真理に、日本国民は目覚める可きであります。
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