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2006.8.7(その1)
森田実の言わねばならぬ[262]
長野県知事選挙の結果に思う――田中康夫氏敗北の原因
「約を以て之を失う者は鮮し」(論語)
[言動の上でも、物質の上でも、つづまやかに慎みをもととしてやっていけば、人生において失敗することは少ないものだ――という意味。諸橋轍次著『中国古典名言事典』より]
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8月6日夜、いくつかの新聞社、週刊誌から電話取材を受けた。かなり早い段階で田中康夫氏の勝利が困難になったと報道機関はみていたようである。私は事前に予想を聞かれると、「投票率が高ければ田中有利、低ければ村井有利」と答えていたが、投票率は前回の73.78%から、7.80%も落ちて、65.98%になった。投票率66%では村井氏のほうが有利である。ただ、私の予想より、田中氏の力は弱まっていた。前回の田中表のうち約30万が田中側から村井側に移ったとの分析もある。本当だとすれば、田中側に勝ち目はなかったことになる。
「どんな英雄でも最後には鼻につく」(エマーソン)。この世の中はおそろしい。
私は産経新聞の取材に答えてこう語った。
《抜群のパフォーマンスと主婦層の支持で成り立っていた田中県政だが、現実には県の経済は悪化し、若者の就職先はなく、倒産も多いなど、長野の産業界からは非常に強い不満が出ていた。また、テレビなどのメディアを通じて人気を取ってきたが、県知事では、年がら年中テレビに出ているわけにはいかない。結果、希望は与えたけど、成果はほとんどないという口先だけのパフォーマンス政治に、県民が拒否反応を示したということではないか》
「改革」を叫ぶ政治家は、テレビを通して「改革」への幻想を振りまく。いつもテレビを見ている主婦層はこの影響を受ける。この点、小泉首相も田中康夫氏も安倍晋三氏もよく似ている。テレビ依存のパフォーマンス政治である。
テレビは幻想をつくり出す。この幻想で国民が動かされる。テレビ時代には独裁政 治が生まれやすい。田中康夫氏はマスコミとくにテレビをうまく使って長野県知事に就任した。また、テレビをうまく使って田中劇場を演出し、長野県の反田中勢力をワルモノに仕立てることに成功した。だが、無理は長続きすることはない。
「巧言令色鮮し仁」である。
田中氏は有能な人物である。政治の分野でもう一働きしてほしい人材である。同氏が今回の敗戦を反省し、国政の場で反小泉の立場に立って再起されることを望みたい。
村井新知事には、長野県内の恵まれざる層に注目し、長野県経済の劣悪化をストップさせ、県民生活の向上と雇用の増大を図り、多くの人々とくに若い人々に夢を与える政策をとることを要請する。
http://www.pluto.dti.ne.jp/~mor97512/C02813.HTML
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福祉を維持しながら無駄な公共事業のカットや職員のスリム化をして県の財政を改善し、競争入札で入札の透明化をし、治水対策でも専門家の間ではダム建設よりも田中氏のやろうとしていて植林の方が高い評価を受けているにもかかわらず、小泉内閣と同じレベルにしか見てないのには呆れます。
森田実の考える経済の劣悪化をストップさせ夢を与える政治というは、無駄な公共事業をどんどんやることなのでしょうか。
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