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<疑問>
「疎ましくなり殺害」であるならば、
・事故だろうが事件だろうが基本的にはどちらでもよいが
容疑者はなぜか事件にこだわった。
・殺したいくらい疎ましいのなら、虐待が行われていても
不思議ではない。しかし体のキズはないという。
・見つかるような場所に遺棄する必要はそもそもない
・橋で人に目撃されてなおかつ、犯行・遺棄を決行する意味は無い
「不憫になり男児殺害」であるならば、
・下校途中を狙うのは極めてリスクが高い。犯行の時間と場所を
特定しているようなものだ。休日や夕方など狙いやすい時間帯、場所は
あったはず。
・遺棄途中で人に道を尋ねるのは犯行に関わっていない証拠、
または自暴自棄。
・簡単に見つかる場所に遺棄する必要は無い
「自暴自棄的」であるならば
・否認を続けたり、供述をころころ変える理由は無い
<推理>
実に簡単な推理が成立します。何者かにより男児殺害が行われ、それが
容疑者宅の玄関に遺棄された、つまり当初の容疑者の
供述がそのまま真相を語っていた場合のみ、この事件を
理解できます。
犯人は被害者宅に上がり、見つけた腰紐で男児を殺害。
そのまま遺棄して逃走。
容疑者は帰宅して男児を発見しますが、警察への不信感
(この不信感の程度を犯人は熟知していた可能性があります)
から自分で遺棄。途中、道を人に尋ねているのは、死体遺棄を
重大犯罪とは思っていないからです。すぐに捜査が始まることを
願い、わかりやすい場所に男児を遺棄します。
そして任意同行により死体遺棄を自供。
ところが追求はそれで終わらなかった。
「勝手に死体がころがっていることがあるのか?」
「恐怖で思い出せないだけだ」と長時間追求され、ついに
覚えの無い殺害を供述。ウサギの毛が付いていないからと
供述内容を変えたのは、記憶に無いことを供述していた
証拠でしょう。
既に、作られた記憶はもはや自分の体験のように思っている
でしょうから、男児殺害容疑で罰せられる可能性は高いです。
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