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議論は面白い。が、議論は難しい。だから、議論上手になりたいと思うが、なかなか叶わない。
議論に限らず、何かに関して自分自身を向上させたいと思うならば、その本人が努力すべきなのは当然のことだと思うが、加えて周りの引き上げというのも、多いに有効なものだと思う。厳しい引き上げもあれば、優しい引き上げもあろうけれど、拒否が起点になっていないなら、その方法を狭く限定する必要はないだろう。
わたしは、知においても、所得税などと同様、累進的対応がなされ欲しいと思っている。つまり、多く持つものは、持っているということに責任を負わなければならないのではないかと思っている。そういう意味では、議論に巧みな人は、議論に不器用な人を、簡単に切り捨てるべきではないと思っている。
ということは、議論の場に置いて、常に二つのことが同時進行することになる。一つは、当然のことながら議論されているテーマに関する対話、そしてもう一つは、議論をする為の技術習得のレッスンだ。知識レベルや文章表現力が、まったく同じ者同士が議論に参加するという状況は、まず多くはないと思われるので、どうしても後者の要素が入り込む。そして、わたしは、自分がどちらの立場になるにしても、そのことを好ましいことだと考える。できれば、一つの議論の場で、両方の立場を体験できるのが一番嬉しいことだが。
けれど、残念なことに、情報量や分析能力、加えて文章表現力といった能力に関しては、群を抜いて優秀である者が、人格において優れているとは限らない場合が、少なくなくある。また、非常に多忙な中、時間を捻出して議論に参加している人の場合には、物理的に余裕がない場合もある。求めているのはテーマに関する純粋な議論のみで、そこに参加する人たちの議論技術の向上など知ったことかと思われても、仕方ないところもある。
が、それでもあえて、わたしは望みたい。議論の魅力は、また議論の利点は、取り上げられたテーマの理解を深めることだけではなく、議論というもの自体から得られる「関わり」の中から各自が学んでいく事柄にあるのだから。テーマへの理解を深めたいだけなら、文献等に当たるほうが、よほど濃密であろうし、近道だろう。
とにかく、わたしを含め、日本人の多くが議論下手だ。どうしても、相手の意見に対立する意見を述べることを失礼だと思ってしまうし、自分の意見に反対されれば人格まで否定されたように感じてしまう。が、議論のもたらすものを、このまま諦めてしまうのは愚か過ぎる。
というわけで、わたしは、この『阿修羅♪』に参加させていただきたいと思った。「バカな私だけど、冷たくしないでね」を、遠まわしに言っただけの投稿になってしまったが、つまりはそういうことである。
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