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片瀬テルミドール夏希さんの文章にコメント致します.
夏希さんは価値中立的な立場の実在を仮定して,「両者」あるいは「両論」を対峙させているから公平という見方のようですが,実は「対峙」のラインの引き方そのものに価値観が含まれる,含まれざるを得ないのです.そしてその「位置」を私は問題にしているのです.
たとえば,この事件の場合,
(1)本島氏に対して「致命傷を狙うべきだったか否か」という対峙ラインもあり得ます.これは右翼が好むところかも知れません.
逆に,当時の言論を思い出しますと,
(2)「言論の自由の擁護で論陣をもっと強く張るべきだった」か,それとも「私も天皇に戦争責任があると思うというように,むしろ内容にまで踏み込んだ言論こそが必要だった」という対峙ラインもあり得ます.
((2)の場合,前者は一応安全ですが,後者では自分も生命の危険を
覚悟しなければならなかったわけです.残念ながら後者の言説はほとん
ど見られませんでした.つまり多かれ少なかれ「テロの脅し」が効いた
と思われます.)
このように,どこに「対峙ライン」を引くかで登場人物も変われば,言説の範囲も変わるのです.ちょうど写真を撮るときの構図のように.
有限の,高価な新聞紙面をどう使うかは,このように価値観で大きく左右されます.この記事の場合,「言論の自由と暴力は両立しない」と「テロも言論の手段の一つ」との間に線を引いたわけですから,これは常軌を逸したものだと指摘したわけです.単純な殺人未遂犯とその被害者とを対等に議論させたりするでしょうか?そんなことはしませんね.それと同じ事です.少なくともこの記事は「正気塾」を堂々と露出させたという点で,この団体の宣伝になっていることは間違いありません.
一つの思考実験を提案しましょう.この記事を読む前と後で,この記事に関連するような話題に関して,あなた自身の今後の言動に全く変化がないでしょうか?「天皇の戦争責任について何か言うと狙われるかも知れないな」「この人をあまり強く批判すると厄介なことになるかも知れないな.」そんなふうな考えがわずかでも頭の隅をよぎったりしませんか?
必ずしも夏希さんの言いたいことと噛み合っていないかも知れませんが,取り急ぎキーを叩きました.
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