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朝日新聞2005年12月10日
ビラ配り有罪 表現の自由が心配だ
自衛隊のイラク派遣に反対するビラを東京・立川の防衛庁官舎に配って住居侵入罪に問われ、一審で無罪となった市民団体の3人に対し、東京高裁が逆転有罪の判決を言い渡した。
有罪とはいえ、懲役6カ月の求刑だったのに対し、量刑は罰金10万〜20万円だった。勾留(こうりゅう)日数の一部を金に換算して差し引くと、1人は払う罰金がゼロとなる。いったい何のための捜査、裁判だったのか。裁判官も有罪としながら、ためらいがあったのだろう。ビラ配りを「犯罪」に問うた無理が浮かび上がる。
3人は「自衛官・ご家族の皆さんへ 自衛隊のイラク派兵反対!いっしょに考え、反対の声をあげよう!」などと書いたビラを各室のドアの新聞受けに入れた。逮捕され、75日間も留置場などに入れられた。
3人が官舎に入ったのは、門扉のない出入り口からで、他の配達員も立ち入る共用部分だった。一審判決はそう認定して、「刑事罰に処するほどの違法性は認められない」と判断した。常識的な見方だろう。
一方の二審判決は、官舎を管理する自衛隊幹部らが居住者に「反自衛隊的なビラの配布を見かけたらすぐ110番通報を」という文書を配ったりしていたことを詳しく述べた。これらから、問題のビラ配りがいかに官舎の管理者らの意思に反していたかを強調している。
だが、処罰するほどの違法性があったか、という肝心の点では、「表現の自由が尊重されるべきものとしても、そのために他人の権利を侵害してよいことにはならない」などと、あっさり述べただけだ。形式論という印象がぬぐえない。
最近はインターネットによる情報発信もふえたが、普通の市民にとってビラ配りは身近な表現手段として大きな意味を持つ。息子の交通事故の目撃者を探すビラ、NPOや地域活動の案内ビラ。それらも、目くじらをたてれば、自由に配ることはむずかしくなるだろう。
イラク派兵反対などを訴えるビラについては、一審判決が「政治的表現活動の一態様で、民主主義社会の根幹を成す」と、高い価値を認めた。ビラ配りによって一部の住民が不快感を感じるにしても、社会的な表現手段を認め合うことの大切さは否定できない。二審判決では、こうした考慮が感じられない。
立川の事件後、ビラ配りでの逮捕が相次いだ。神奈川県横須賀市や愛知県小牧市では、市民団体が防衛庁官舎にビラを配るのをやめた。市民の萎縮(いしゅく)が広がっている。
一方で、そうした流れに抗するようにビラ配りの自由を求める市民集会や、ビラ配りでの勾留請求を裁判所が却下する例も相次いでいる。
今回の有罪判決が表現の自由を閉ざす方向に働かないか、心配だ。
被告側は上告した。市民の表現の自由に十分に配慮した判断を示すことを最高裁に期待したい。
http://www.asahi.com/paper/editorial20051210.html
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