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ありーの見解
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投稿者 ありー 日時 2005 年 10 月 22 日 22:22:09: jXf0.L0SL2lJU

現行の経済システムと、生産性向上の結果
現行の経済システムの結果について
現行のシステムは基本的にひとつの方向にしか向かうことはできない。
大量消費を念頭においたシステムは崩壊する。
マネーのフローを集約させることを望めば、その結果は必ず大量生産自体の崩壊である。
何故なら、そこには流通が存在する余地がなくなるからである。
マネーのフローは効率化によって、労働者に対する優位と、生産の集約と、それによるマネーのフローの集中、それによるマネーのフローに対する裁量権の増加を狙ったアイディアではないかと思う。
つまりは、裁量権の増加、つまりは独占を狙ったものといえる。
 つまりは、経済に還元しないことを目的としたシステムであり、現実を見ている限りでは、それは上手く機能しているようである。
テクノロジーはアウトソーシング、もしくは実際に人間から労働力として存在する価値を奪うことによって、労働者のアドヴァンテージや、その実際の生産に対する価値を奪っている。
その後、彼らにとってできる貢献は消費することだけであるが、生産手段からの分配に預かれないので彼らは単に経済構造から抹殺されてしまうだろう。
しかし、大量生産は、大衆から吸い上げそれを還元できなければ、そのフローを失ってしまう。
つまりこの時点で、企業側が「需要がない」という状況が起こるはずである。

もし私が企業の舵取りを担う機能なら、私は次に追うべきフローがどこにあるのか探すだろう。
そしてそれは、恐らく同じくフローを吸い上げきった同業他社の金持ちに、今までは数人分からのフローに相当したような額でサービスや商品を売る方向を模索するだろう、といいうことだ。
ただし、これで重要なのは経済圏を縮小させる機能以外にもたらされる機能は人間の数を減らして環境に貢献するぐらいのものだということである。
実際のところ、コストが上昇しているため、相対的なアドヴァンテージというものは下がっており、言ってみれば富と呼ばれるマネーの偏りは自らその価値を下げているのだ。
ここで起きたのは、人間の多くが経済圏から締め出されるという結果でしかない。
更に、その後は生産手段と流通は限りなく同じ意味になるだろう。

大量生産はその威力によってマネーを吸い上げ、還元されないことによって、完全に自らの首をも絞めている。
彼らがターゲットにしているのはあくまで大衆であり、大きな経済圏を想定してその構造を創造しているのである。
彼らの製品の多くは、ひとつ売れればいいという類のものではない。
大量生産のメリットは、大量に地下水や灌漑用水を消費して、通常では日射量が多すぎて植物等育たないようなところで大量に作物を作る農業と同じである。
それは言ってみれば未来の先取りであり、市場の集約こそが彼らの富を約束しているが、そのメリットは、どこかにツケを押し付けなければ成立しないのである。
何故なら、等分にする気がないからこそ、大量生産が発達したからである。
集約は、労働を減らし人類に貢献するために生まれたのではなく、労働者の裁量権を減らし、手段の所有者により多く集約するために発展してきたのである。
集約はアドヴァンテージのギャップを生み、それこそがそれを望む人間にとっての望む報酬であったのだろう。
だからこそ、現在の還元されない集約化された産業がここまで先鋭化しているのである。
しかし、このシステムに一方的な批判を押し付けるのはフェアではないだろう。
どの道彼らは監督されなければ、自ら自分たちを食い尽くすまで競争をやめることはない。

これは単なる論理上の帰結である。

消費者があくまで選択基準を変えないというのなら、彼らは消費者の見えない手に導かれるまま、彼らの選択基準にはまるために消費者さえ食らい尽くすだろう。
消費者が、企業や従業員などどうでもよく、ただ、自分たちの気分をよりエキサイトさせてくれる選択肢を提供してくれる企業の製品、いや、製品やサービスにしか興味がないというのなら、企業はその限定的な選択肢を所有するために、勢力同士で必死に争い、お互いを出し抜き、潰しあい、市場を席巻してその全てを手に入れ、同時にスポイルしようとするだろう。
消費者も企業も、消費者が従業員としても存在することに気付いていないからである。

他人はどうでもいいのなら、他人を食いつくし、自らの首をも絞めるというのが、論理的な帰結である。
消費者や企業が、自分たちで自分たちを食い潰したくないというなら、金を使う際の選択基準にそれを盛り込むべきであろう。
相対的なコストや、サービスの品質で消費と生産をつかざどるシステムは、現在の生産と消費のもたらす様々な、そして強力な影響力を考慮すれば、考慮され、選択基準となるのは、現実に対する影響に対応できるものであるべきではないだろうか。

現行のシステムのまま、更に時が進めば、恐らく論理上は、他人に対して価値を提供できる人間だけが残り、彼らを含む、しかし殆どの人間を除いた経済の円環が出現し、残されたものたちは、単に消滅するか、中世並みのテクノロジーを介さない自給自足の道をたどるか、もしくは、集中した裁量権の影響力によって大きなダメージを被ることになるかもしれない。

そしてもし、ある時点に置いて需要と供給が全く同じものになることができれば、その時点で人間はようやく等価交換の呪縛から開放される。

http://www.fitweb.or.jp/~gasanto/にて。

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