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お初です。
「知られざる探検家」というサイトで見かけた記事。
この「本庄幽蘭」をネットで検索してもほとんどヒットしない。
当時はかなり有名な人だったらしいが、現代では忘却の彼方へ消えている。
何方か、この女性のことをご存知の方はいませんか。
■娼婦になりたかった本庄幽蘭
http://homepage2.nifty.com/tankenka/sub1-28.html
このシリーズに、なんとか女性を登場させたいと思っていたのですが、どうしても「これは!」という人が見つかりません。夫とともに秘境を歩いたような人物ならいて、それはそれで感動的なのですが、ちょっと私の考えるところの「知られざる探検家」という趣旨とは合わないように思います。
そこで隠し球的人物を紹介しておきましょう。本庄幽蘭こと久代という女性です。
彼女は、久留米藩の要人の娘で、明治維新後は女学校も出ています。均整な体に知的な美人顔と記録されている。知的で家柄もよいお嬢様というわけです。ところが尋常な人生はお嫌いだったらしい。卒業後は新聞記者になった(女性記者としては日本で1,2番目に当たる)ものの、その後小説を書き始め、さらに女優、活弁屋、落語家、汁粉屋、ミルクホールの女給……と職を転々とします。
男性もお好きで、大正9年に80人以上の寝た男の名前を新聞に発表したとか。なかには有名人もいたようです。さらに自ら吉原に身売りしようとする(こういうのを身売り、と言えるのだろうか)。ただし、怪しまれて断られたと言います。
さらに講談師、尼さんと職業を変えますが、その間にマレーに出奔します。この当たりの細かな経緯はわからないのだけど、南洋で何をしていたかというと、娼婦なんですねえ(^^;)。念願かなったというわけ。といっても講演会を開くほど有名なうえ、ゴム園に慰問?に出かけて女日照りの労働者相手にボランティアする(^^;^^;)。その頃には夫になった男は48人いたとかいないとか。こうなると、もう何を考えていたのかよくわからん。
まあ、男尊女卑の時代に、ここまで奔放に振舞った女性がいることは、ある種痛快ではあります。ただ、世界を股にかけた自由意志の娼婦は、彼女だけではないようです。ほかにも何人かいるらしい。意外や日本女性もトンデいたのでしょうか。
また、意味は違いますが、本人の意思とは別に世界を股にかけた娼婦は、かなりの数になります。どのような経路で「売られて行った」のかは判然としませんが、江戸時代には国後、択捉まで娼婦は進出していたし、明治初期にはインド、アフリカのザンジバル、南アフリカまでいた記録があります。さらにアメリカも相当な数渡っている。いわゆるからゆきさんですが、その行動半径は、下手な探検家、冒険家の上を行っています。だって、日本初のアフリカ探訪と称する人の紀行記録に日本人娼婦の話が出てくるんだから。
ただし、現在イメージするところの娼婦とは意識の面でかなり違っていた記録もあり、どのように解釈したらよいか困る部分もあります。
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