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選挙は非常に空しい結果でした。
明暗を左右したであろうメディアの使い方、言葉の選び方に思うことが多々ありました。
豊かだった日本の80年代はコピーライターという職がもてはやされ、
広告業界、TVCMもひねりの利いた芸術的側面のモノで素晴らしいモノが多数ございまた。
最近一部で問題にあがることの多い、独占仲介企業もこの頃はとてもよい仕事をしてい
と思います。
しかし90年代以降、世相、経済状況を反映し、消費者金融のTVCMが急増し、
下品化、動物化の一途、それらに支えられた番組も、あるコントロールからは逃れられなかっただろうとおもいます。
さらに今回の法案に無縁でないとされるアメリカの広告の世界。
米国のTVCMの大半が単純、呪文の様なCMが多いことに見るものは驚かされます。
お経のように、この商品はいい!の連続で、始めあまりに単純明快過ぎてこんなものに釣られる消費者はいないだろうと笑ってしまいますが、何度何度もそれを浴びていますと、不思議に一種の催眠効果に似た感覚を覚えるようになります。
ウィルソン・ブライアン・キイの著書は、広告のサブミリナル効果として、
人間の最も普遍的な要素を挿入することが頻繁にあると指摘しています。
ウィスキーの広告に人の切断首のイメージがこっそり混入されたり、
死のシンボルと結びつけるとその商品は実質の味とは不相応に、飛躍的な数が売れる。
そしてその効果がもっとも表れるのは若者であると。
アルコールと死を結びつける因果関係立証は難しいでしょうが、
フロイトのリビドーに関する考えを持ち込むと繋がらなくないような気もします。
こういう事情報告からも、一見単純に見えるモノでも、実際無意識への強引な刷り込み、
心理的操作の研究は北米ではかなり進んでいるのではないしょうか。
今回の選挙でのTVの役割について、マーシャル・マクルーハンの言うように、
映像メディアそのものの伝えるものは「内容(中身)」でなく、「それそのもの」であると考えると選挙結果は解散時にすでに予想がついていたのです。
つまり、いくら政策に関しての深い討論をやったとしても、
小泉総理のナルシストな役者振り、大げさな身振り、メリハリをつけた大声の演技の前では、質問に正面から答えず、問題そらし、はぐらかしをされたとして、
大衆は何だかわからないが、感情一杯に抑揚つけた論調で、同じ呪文を延々語られまと、
無根拠な説得力というものが次第に生じ、見事に丸め込まれてしまします。
後に撤回されたとしても、刺客という呼び名からして、死のシンボルというか、性衝動のような動物の根源的なモノをあえて見せたいといってその言葉を使ったと私は
予想しますし、実質効力は絶大で、圧勝はエンターテイメントとして数週間「映像そのもの」を浴びせられ続けた結果な気がしています。
それまでの広告PR効果分析、庶民のレベル分析が緻密に練り上げられたものでしょう。
(B層の文書は問題になりましたが、広告代理店はあれこそが通常の仕事であり、
それを商品販売促進でなく、選挙に適用するのは問題だとは思います。)
「ことばの危うさについて」
ソシュールのラング、パロールではありませんが、
「同じ言葉」でも人によって「全然違うモノ」を指している可能性を私達は
日頃から忘れてはならないとおもいます。
「窓の外を見るとクモが見えた。」という単純な誰も誤解しようがない文にしろ、
対象が「雲」か「蜘蛛」かの識別、特定情報はそこに含まれておりません。
与党の公約は、そこを巧妙に利用する意志を感じとれます。
だらだら細かい説明が延々続き、例えそれが非の打ち所の無い完璧に正確な内容だとしても、その情報の内容を受け取り、解析する素養がない庶民にはまるで無効であり、
すり替えや間違いだらけであっても、短いキャッチフレーズの方が効力があり、
実際中身の検証なく、簡単に大衆は動いてしまいます。TV視聴者、ネット議論の読者もそのレベルなのです。
金銭でなく、「意識配分の経済学」、と申しましょうか、どんな超人的知性の持ち主であっても、一度に複数の人に喋りかけられたり、短時間で長文を読まされると、
それを解析する時間(心のスペース)がおのずと制約を受け、結果「雑な解釈」にならざるを得ません。ですから情報伝達ではそれが正しいという中身、内容よりも、
意識をひき付けたモノ勝ちという側面がございます。(TVというのは音と映像でそれを巧みに行います。)
今回の選挙は、そこまで研究計算の上、勝算あっての解散だったと思います。
情報への無防備さ、リテラシー教育の欠如が結果を招いたのは明らかです。
これを辿ると日本の歴史、風土にそぐわない文化文明が押し付けられてきた経緯。
敗戦後、GHQ主導の法律や、強制ギブスのような無個性偏差値教育に
突き当たらざるをえないでしょう。加えてこの島国日本は、
村八分のなごりというか、何にでも適応してしまう連体、集団意識を重んじる風習がまだ根付いています。それらを形成した地盤は仏教の存在にあるのでしょう、
他宗教にくらべて、争いを好まず、容易に敵に服従します。
それを「熱しやすく冷めやすい」とされるのは、経済回転、広告代理店やり放題を肯定させる為のご都合レッテルであり、実質はトレンド情報押し売り状態に庶民を置いて、
無理やり年中「加熱冷却」を繰り返させられています。
そこに疑問を向けないのは、伝統の記憶ゆえの奥ゆかしさ、協調性が、縛り、強迫観念すら生んでしまうのでしょう。ですので仏教的背景から、
世界を見渡しても日本人ほど情報操作で操りやすい国民は居ないのではと思います。
今回、政治郵政民営化板における皆さんの民主への厳しいご意見は、
小泉総理側の宣伝部隊も、ここ阿修羅を必ずチェックしているでしょうから
逆利用されないかと懸念しておりました。
今さら遅いのですが、実質民主の内容が駄目でも、
「自民のバランスをとるために、ある程度民主にも議席をとらせる」という多くの方の
意見に私も賛成しておりました。
であればこそ、数少ない信頼できるジャーナリズムである阿修羅であるからこそ、
世論調査を背景、バランス考慮の上で慎重な発言形態をとるべきだったと私は思います。
世相を後押しする形での民主否定、それも本文なし投稿でさらい読みできる状態の投稿には今も疑問ですし、それでは某巨大掲示板にある罵り合い、
下品さと変わらないのではないかと。
そしてその程度のやりあいの方がむしろが若者を本能的、
動物的に動かしてしまう力を持ちえるのだと.....。そこまで考える必要があるのではと。
私は政治経済には何の関係もない立場でうとい者ですが、
広告業界に接点がございます。ですからテキスト、映像、音が恐ろしい力になりえることを日頃肌で感じ、効果を真近でよく見ています。
そういう観点から情報処理のレベルの違い、
情報伝達の研究の怖さを軽視していただきたくないと思い、
そうすればもう少し、慎重に投稿される方も増えるのではないかと生意気な
投稿をさせていただいた次第です。
あっしらさんへの反論ではありません、
前回は丁寧なレスをいただき真にありがとうございました。
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