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広瀬隆氏の著書「パンドラの箱の悪魔」より引用しました
軍人にとって、禁止されている兵器ほど魅力的な存在はなくそれを製造する誘惑に駆られるのだ。
しかし誰もが核兵器の製造に誘惑されるわけではない。地球上のほとんどの人間は、金もうけやらセックスやらで忙しくて、ややこしい核兵器のようなものの必要性を日常まったく感じていない。そこで軍人が核兵器の誘惑に駆られると、予算と人材を確保するために動機ずけをしなければならない。
たとえば、北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)の核疑惑の真相はどこにあるのか。
軍人たちはかつて米ソが、資本主義と共産主義で対立した当時のように、「君たちの幸せな人生が、あした吹き飛ぶかも知れないぞ!」と隣国との敵対感情や、戦争の危機感を、国民に押しつける。テレビで「有事になったらどうするのか!」と叫ぶおっさんがいる。実際には背後に軍需産業の巨大な利権があり、核兵器や原子力プラントのためにこそ、幸せな人生があした吹き飛ぶかもしれないというのに、おっちょこちょいの人たちがそのプロパガンダを信じこんで、金を出し、製造に従事するようになる。
北朝鮮の核兵器開発疑惑に対する危機が、日本でもアメリカでも、かなり喧伝されてきた。北朝鮮が核兵器を本当に開発している現在、核戦争の開戦そのものが、あってはならない悲劇である。核戦争の開戦があり得ると考えるなら、北朝鮮に蔓延する「日本人やアメリカ人に対する嫌悪感」の動機ずけと、日本で喧伝されている「北朝鮮に対する不安」の動機ずけは、どこにあるのかと、われわれは考えなければならない。
日本のマスコミが、「おそろしや北朝鮮」というニュースを氾濫させることによって、日本と北朝鮮の国民が反目しあうように感情の動機ずけを加速し、軍人たちの術中にはまる手助けを必死でおこなっていることは間違いない。米ソ冷戦時代に、大部分の日本人は、愚かな両大国の暴走を批判するだけの冷静な判断力を持っていた。ところが現在、自分の国の話になると、人間というものはまったくその判断力を失ってしまうものらしい。互いに憎悪し合わなければならないほど明確な”論理的根拠”があるかどうかを議論したこともなく、ミニチュア東西冷戦の日朝感情対立に踏み込んでいるのである。対立するべき”論理的根拠”はどこにあるのだろうか。
いまや資本主義も共産主義もない。世界中の誰もが自身を喪失しているし、地球上の資源は買い手市場だから、日本にとっても北朝鮮にとっても、侵略などには何の意味もない。動機ずけに根拠があるとすれば、ただ子供のような好き嫌いだけである。日本と北朝鮮が反目する感情を煽っている人間は、精神状態が幼稚なのである。ライオンが縞馬を襲うときには、その日の餌を獲得しなければ飢え死にするという理由があるが、チマチョゴリを着た在日朝鮮人女生徒たちが襲われる事件には理由がなく、教室で進行するいじめとかわらない。
ところがこの状態を無視することはできない。実際の兵器といえば、両国ともに、おそろしい本物が続々と配備されているからである。九九年三月二十三日にはとうとう、日本海で発見された国籍不明の船が不審だという理由から、日本の海上保安庁の巡視船艇が威嚇射撃し、翌二十四日には海上自衛隊の護衛艦がわざわざ追いかけて警告射撃するという事件まで起こった。問題はそのあとだ。すでに海上自衛隊の護衛艦による追跡が終わった直後、北朝鮮からミグ21と見られる戦闘機四機が発進し、それを受けて航空自衛隊もF15戦闘機二機を石川県の小松基地から離陸させた。この二機には、ミサイルも搭載されていたのだ。相手機が引き返したので何もおこらなかったが、これでは、交戦状態ではないか。そして兵器そのものを口実に、「相手は危ない国だぞ」と主張し合っている。反目する感情の動機ずけとなっている根拠は、兵器のほかにはないのである。
兵器があるから、兵器が戦争を起こす、これはおかしな話の展開である。
もしそれが戦争の絶対原則であるなら、兵器を持っているすべての国は、絶えず交戦状態になければならない。
一八六三年にリンカーン大統領がゲティスバーグの演説会場に向かって馬車で行こうとしたとき彼の話を聞こうとして大勢の群衆がつめかけた。そのため、リンカーンの馬車がまったく前に進めなくなった。すると彼は馬車から首を出して、「あわてないで大丈夫です。この私が行かなければ私の話がはじまりませんから」と人びとに言って、道をあけてもらったのである。その演説会場で語られたのが「人民の、人民による、人民のための政治が、この世から失われることがあってはならない」という名文句であった。
お分かりであろう。リンカーンに倣って言えば、「あわてないで大丈夫です。その兵器がなければ兵器による戦争がはじまりませんから」 これは事実である。
それでも日本と北朝鮮の歴史的な対立を持ち出して説明する漫画のような学者や、学者のような漫画家がいるが、彼らは話を複雑にしているだけだ。ここで筆者は「その兵器を実戦に使うだけの根拠が、双方の軍人と国民にあるかどうか」を尋ねているのである。
とても長いので今回はここまでにします。
自分なりの考えを述べさせてもらえば、結局戦争をなくすには武器の製造をやめるしかないのだと思います。
軍人ならば武器を目の前にすれば、使いたくなるのは当然のことなのではないでしょうか。
そのためには、我々に対して武器の使用を正当化するための謀略を仕組んでもおかしくはないのでしょうか。
最終的には、デービッドロックフェラーを筆頭に、武器を製造し戦争を引きおこし平和に対する罪を犯している凶悪な犯罪者を法廷に引きずりだすしかないと思います。
それと有事になったらどうするのかと叫ぶおっさんのことですが、一部実名をあげれば、志方俊之 浜田幸一などがあげられるのではないでしょうか。ほかには中曽根とか小泉あたりもそうでしょうか。有事になったらどうするのかとえらそうに叫ぶくらいなら、他人に聞かないで自分たちが率先して戦えばいいんじゃないのですか。自分の言ったことには責任をとってほしいと思います。
ちなみに田原総一郎が福島瑞穂に同じことを言っていました。福島瑞穂はまともに答えることができませんでした。
社民党もいいかげんですね。
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