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昭和天皇の人物と、敗戦後象徴天皇制を理解する上で欠かすことのできないホイットニー・ノートについて、ここの戦争板でも知らない人が多く、今一度確認しておきたいと思い投稿します。なお、文責は全て松浦に帰すものです。
【1】
ここに言及するホイットニー・ノートとは、
昭和天皇が占領軍司令部(SCAP)に対し表明した見解の要約が記された、「極秘」扱いの英文三頁以上にわたるメモランダムのことで、1946年4月から6月の間に東京駐在の国務省員によって作成され、マッカーサー元帥の腹心であったコートニー・ホイットニー将軍の私物として保管された後、1970年代前半にヴァージニア州ノーフォークのマッカーサー記念館に寄贈され、1978年に機密解除され公開されている。
以下にこの文書における天皇見解の全訳を記す。
「二、三週間前に占領が長く続くべきであるとの希望を述べた根拠を説明したい。
日本人の心には未だ封建制の残滓が多く残っており、それを眼こそぎにするには長い時間がかかるだろうと感じている。
日本人は全体として、自己の民主化に必要な教育に欠けており、さらに真の宗教心にも欠けており、そのため一方の極端から他方の極端へと揺れやすい。
日本人の封建的特徴の一つは、進んで人に従おうとする性格にあり、
日本人はアメリカ人のように自分で考える訓練を受けていない。
徳川政権は、民は指導者に従うべきであり、そのため忠誠心以外はいかなる道理も与えられてはならない、という論理のうえに築かれていた。
かくして、平均的な日本人は、自分で考えることにおいて昔からの障害に直面している。
かなり闇雲に従うという本能によって、現在、日本人はアメリカ的な考えを受け容れようと熱心に努力しているが、例えば労働者の状況を見れば、彼らは自分本位に権利ばかりに注意を集中し、本分と義務について考えていない。
この理由は、ある程度、長年の日本人の思考と態度における氏族性に求められる。
日本人が藩に分割されていた時代は、完全には終っていない。
平均的日本人は、自分の親戚はその利益を追求すべき友人とみなし、他の人間はその利益を考慮するに値しない敵と考えている。
日本人の間には宗教心が欠如している。
私は神道を宗教とは考えていない。それは儀式に過ぎず、合衆国では甚だ過大評価されてきたと考えている。
しかし、たいていの神道信者は超保守的で、彼らと神道と超国家主義を同一視していた復員兵とその他の者は、しっかりと結びつく傾向を持っているので依然として危険な面がある。
政府は、信教の自由に関する命令を厳守する立場にあり、現在彼らを取り締まる手段を持っていないために、こうした状況は危険だ。
神道を奉じる分子とその同調者は反米的なので警戒を要すると考えている。
以上のようなことから、私は今は日本人のもつ美点を述べている場合ではなく、むしろその欠点を考える時だと感じている。
私は、マッカーサー元帥と元帥の行っていることにたいへん大きな感銘を受けている。
また、対日理事会におけるアメリカの態度にとても感謝し、それが安定効果を持つと感じている。
しかし、私は今、この国の労働状況をかなり憂慮している。
日本の労働者は、物事を真似る事において、義務を疎かにして自分の権利を利己的に追求しやすく、米国のストライキから有害な影響を受けるので、米国の炭坑ストが速やかに解決するよう希望している。
自分の治世に与えられた名前 ―昭和、啓発された平和― も今となっては皮肉なように思えるが、自分はその名称を保持することを望み、真に「煌く平和」の治世となるのを確実にするまでは、生き長らえたいと切に願っている。
私は鈴木(貫太郎)提督の被った損失に心を痛めている。
鈴木は、降伏準備のための内閣を率いるよう私が命じたのであり、海軍の恩給ばかりでなく、それは理解できるにしても、文官としての恩給までも失った。
彼は侍従長を長く勤め、そして降伏準備の任務をよくこなした。
彼の提督という階級と戦時の首相という地位が追放に該当するのは当然としても、彼は、皇室に仕えていた地位の恩給の受け取りも現在停止されている。
私は、鈴木提督個人のためだけでなく、このような価値剥奪が日本人に理解されず、占領軍の利益にも日本自身の利益にもならない反米感情をつくり出すという理由から、不安を募らせている。」
以上がホイットニー・ノートにおける昭和天皇が占領軍司令部に伝えた見解である。
【2】
上記の通りホイットニー文書の内容は、昭和天皇裕仁がSCAPに対して、占領を長引かせるようにと要請したことの根拠を、自身の見解として 説明したものである。
内容が余りに占領軍寄りなために、一見してGHQの対日占領指針のようだが、事実、この文書に触れた米国の対日研究者の多くが一様に驚きを表明する。あまりの機会主義、自己省察の欠如に不快感を表す米国人研究者も少なくない。
裕仁の倫理性を別にすれば、内容自体は洞察を感じさせる 実相を衝いたものだとも判断できるが、むしろ米国人の方が、日本国民が不当に歪められて表現されていると感じることが多いようだ。
ここには天皇の日本人全般に対する強い不信感が表明されている。
国家神道を儀式に過ぎないと断じた上で、その超国家主義的性格の危険性までを言及する。
(確認すれば、これは、マッカーシー反動による軍国主義勢力の公職復帰以前に述べられたものであり、当時は戦中戦後を通しての天皇制利権のまさに例外的な空白期に当たり、右派勢力からも天皇の退位を要求する声が一般的であった。)
その上で、労働者の権利要求を自分本位、利己的で義務を疎かにするものと断じ、米国の炭坑ストの波及まで憂慮してみせる。
問題は事の当否ではない。
そもそも日本人の闇雲に従う性質の上に君臨してきたのは誰であったのか。
敗戦一年後の国民の状況は、まさに闇市で糊口をしのぐが精一杯で、住居も衣服もろくになく、街路には戦災孤児と飢えが満ち溢れている有様であった。
国体護持のために降伏を徒に長引かせ、甚大な犠牲を強いた直後に、労働者が義務と本分を考えていないと断じる。
その上で、元侍従長の年金については腐心する。
それが国民の反米感情にまで繋がるとの名分を示しながら。
身内以外は敵だと考えていると日本人の体質について触れるが、それがそのまま自身の鏡であることに気付くことはなかった。
寺崎英成によって記録されたマッカーサーと裕仁との第三回会談(1946年10月15日)の公式要録の完全版とも整合する内容ということもあり、意外性はないのだが、それは専門家や研究者の常識であって、必ずしも一般国民の認識とは一致しない。
いずれにしても、責任を等閑にした形振り構わぬ保身主義と従米が、戦後象徴天皇制の出発点であったことは疑い得ない。
前述のようにホイットニー文書は合衆国の公文書で、既に全文が公開されており、90年代以降米人研究者の論考も多く、近年注目を集めてきた日米史関係資料のひとつである。
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