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産経新聞6月6日朝刊より引用
沖縄・渡嘉敷島の集団自決「軍命令」なかった 年金受給へ村長ら依頼 関係者証言
本文
沖縄戦で起きた住民の集団自決をめぐり、戦後、渡嘉敷島(沖縄県渡嘉敷村)の村長らが守備隊長だった元軍人を訪ね「集団自決は
旧日本軍の命令だったことにしてほしい」と頼んでいたことが四日、都内で開かれた自由主義史観研究会(代表、藤岡信勝拓殖大学教授)
の現地調査報告会で明らかにされた。
沖縄戦の集団自決は、米軍が慶良間諸島に上陸した後の昭和二十年三月下旬、渡嘉敷島や座間味島で起きた。
多くの教科書では、これらの島を守備していた旧日本軍の命令によって強制された、と書かれている。
教科書の記述に疑問を持つ藤岡教授らは集団自決の真相を調べるため、先月二十日から二十二日にかけて沖縄入りし、関係者の証言を
集めた。その結果、沖縄出身関係者が匿名を条件に真相を語った。
それによると、昭和三十年代初頭、集団自決の犠牲者が準軍属とみなされれば、その遺族に援護法に基づく年金が旧厚生省から支給される
ことになったが、そのためには旧日本軍の自決命令が必要だった。
当時の村長らが渡嘉敷島守備隊長だった赤松嘉次元大尉(海上挺身隊第三戦隊長)の自宅(兵庫県加古川市)を訪ね、事情を説明したところ、
赤松氏は最終的に、自決命令を出したことにすることを承諾したという。
もう一つの座間味島の集団自決をめぐっては、当時の同島女子青年団員だった女性らが戦後、軍命令がなかったことを告白している。
(引用終わり)
「軍命令」の有無が問題なのではないだろう。あのときの状況はどんなだったのか!
またぞろ、「つくる会」今度は沖縄戦の悲惨を教科書から消し去り、あわよくば犠牲者を美化することで侮辱する「新しい教科書」をつくるのか!
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