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ネオコン人脈も蝟集する世界最強の秘密結社「ビルダーバーグ」の真実
http://plaza.rakuten.co.jp/HEAT666/diary/200412090000/
在米ジャーナリスト/ジェームズ・コール
2004年6月3日、厳重な警備体制のなか、イタリア北部のストレーザの高級ホテルを丸ごと借り切ってある会議が行なわれていた。参加したメンバーはアメリカのヘンリー・キッシンジャー元国務長官、マイクロソフト社のビル・ゲイツ夫人、世界銀行総裁のウォルフェンソン氏、……総勢150人。それだけではない。この近年、アメリカのジョン・ボルトン国務次官、ポール・ウォルフォウィッツ国防副長官、ロバート・ぜーリック通商代表、リチャード・パール元国防政策諮問委員長らネオコンのメンバーも毎年参加しているという。現在もっとも注目を集める「ビルダーバーグ」の正体に迫る。
G8や世界経済フォーラムをしのぐ影響力
欧米の政財界の指導者たちが一堂に会し、世界の主要議題を討議するエリートクラブ「ビルダーバーグ」は、その秘密主義的な性格から「究極の陰謀団体」「黒幕たちの同人会」などと呼ばれている。
ビルダーバーグは第2次大戦後、「大西洋同盟」の名の下に、欧米の有力者同士が相互理解を深め、紛争予防に貢献するという趣旨の下、オランダ女王の夫君ベルンハルト公らによって創設された。1954年にオランダで第1回会合が開かれ、この時の会場が同国の「ビルダーバーグ・ホテル」だったことからこの会議の名称が付いた。以来毎年1回、欧米の各都市で総勢100人から150人規模の政財界の大物が集まり非公開の討議を実施している。会員にはイギリスのマーガレット・サッチャー元首相やフランスのジスカールデスタン元大統領、アメリカのキッシンジャー元国務長官の名前が挙がる。
50周年を迎える今年は6月3日から6日まで、イタリア北部のストレーザにある高級ホテルで会合が開かれた。出席者リストによると、世界銀行のウォルフェンソン総裁やアメリカ大統領選でケリー陣営の副大統領候補としてデッドヒートの一翼を担ったエドワーズ上院議員、イギリス石油大手BPのブラウン社長、アメリカマイクロソフト社のビル・ゲイツ夫人メリンダ・ゲイツ氏といった面々が招かれた。
これらメンバーの顔ぶれから「世界で最も強力かつ影響力のある団体」(英BBC放送)と目されるビルダーバーグ。メンバーに加え、大物ゲストも参加することからもG8(主要国首脳会議)や毎年スイスのダボスで開かれる世界経済フォーラムと比較されることもあるが、最大の違いは徹底した秘密主義にある。その活動状況は一切公にされておらず、実態は長年にわたり秘密のベールに覆われ続けてきた。
ビルダーバーグはオランダ南西部のライデンに事務局を持つ。しかし、事務局に電話をしても機械的な留守録メッセージが流れるだけで、機能しているのかどうかはっきりしない。公式ホームページもないためインターネットでのアクセスも不可能だ。
また各年の出席者は「運営委員会」によって招待される形で決まるが、委員会の仕組みや出席者の選出方法も不明な点が多い。さらに、メンバーは北大西洋条約機構(NATO)加盟国出身者に限られ、それ以外の国の国籍を持つ者(日本を含む)は対象から完全に除外されている。
会合での討議内容は「討論の自由の確保」を理由に一切公表されていない。一般のメディアは会場内や周辺の敷地にさえも立ち入りを許されず、大物ジャーナリストが招待された場合でも「見聞きしたことを記事にしない」よう厳命が下される。最近は批判をかわすためか議題の一部や出席者リストを公表するようになったが、議事録は機密扱いで、何が話し合われたかを部外者が確認する術はない。
イギリス在住のジャーナリストのトニー・ゴズリング氏は、自らが運営する反ビルダーバーグのウェブサイトで、「ビルダーバーグは大西洋両岸のパワーエリート(政界有力者、軍部首脳、高級官僚)たちの秘密会議だ」と糾弾。またBBCなどとのインタビューでも、「あれだけ多くの有力者が集まる会合ならば、そこで何が起きているか市民に説明する義務がある」「人類の未来に影響を及ぼす立場にある人々が、われわれの将来について内密で議論していることに対し、疑問を抱かずにはいられない」などと問題点を指摘している。
過去に会合に招かれたことのあるイギリス日曜紙「オブザーバー」の元編集長ウィル・ハットン氏は、ビルダーバーグを「グローバリゼーションの主唱者らの集まり」と表現。「政策決定は行なわれないものの、ここで成立した総意は全世界の政策の『背景』となる」と述べている。
ゴズリング氏がビルダーバーグにまつわる疑惑として挙げる情報の中には、アメリカによるイラク開戦(2003年3月)の方針が、前年の春に開かれたビルダーバーグ会議で既に決定されていたというものがある。また裏付けはないものの、1990年代の旧ユーゴスラビア内戦はミロシェビッチ政権打倒を狙うビルダーバーグのメンバーによって画策されたとか、フォークランド紛争(82年)で対アルゼンチン経済制裁を求めるイギリス政府の働き掛けが失敗しそうになっていたころ、ビルダーバーグでの根回しが奏功してイギリスが各国の支持を獲得、結果的に制裁が科されたとのウワサも存在する。
一連の指摘に対し、ビルダーバーグ創設者の1人であるイギリスのデ二ス・ヒーリー元財務相(労働党)はBBCなどとのインタビューで、「ビルダーバーグが重要な政治課題について方針を決めるようなことはあり得ない。(会合は)単に議論を深める場だ」と反論。また「ビルダーバーグは秘密団体ではなく、私的グループだ。内容を明らかにしないことで、出席者は反発を恐れることなくオープンに討論ができる」とその有用性を強調している。
出席者が個人の資格で参加する「私的グループ」ではあるものの、その顔ぶれから判断するだけでも多大な影響力を持つ組織であることは明白だ。非公開の方針に固執する限り、「有力者たちが私的な利益のために根回しする場」とか「閉ざされたドアの向こうで陰謀を企んでいる」といった疑惑が払拭されることは難しい。
今年のイタリアでの会合が始まった6月4日、英紙ガーディアンはビルダーバーグに関する分析記事を掲載するとともに、会合での一場面を「陰謀説に基づく想像」と断った上で次のように紹介した。
〈ラムズフェルドとマンデルソン(イギリス労働党の有力政治家)がシャンパンを飲みながら会話している。
マンデルソン「そういえばドナルド、いつ北朝鮮に攻撃を仕掛けるんだい?」
ラムズフェルド「もうすぐだよ、ピーター。オサマ・ビンラディンを捕まえて、大統領執務室の中で身動きできないようにしていることを公表できるようになった後でかな」──〉
ビルダーバーグが世界を動かす秘密結社として知らしめたきっかけは1991年のドイツ会議と、1993年のギリシア会議だ。
91年6月にドイツのバーデンバーデンで開かれた会議では、当時、アーカンソー州知事だったビル・クリントンが、そして93年のギリシアのアテネ会議ではイギリス労働党のトニー・ブレアが招待された。クリントンは会議に参加した1年半後の93年1月、ブレアは4年後の97年にそれぞれの国のトップとなった。つまりビルダーバーグは、2人がアメリカ大統領とイギリス首相に就任することを見越した上で、彼らが国際舞台でほとんど無名であった時期から接触を続けていたわけだ。「ビルダーバーグの魔法の杖」──。このニックネームは、クリントン政権とブレア政権が誕生したころから用いられるようになった。
魔法の杖は今年の会議でも効力を発揮したといえる。というのもアメリカ民主党のエドワーズ上院議員が一般会員として参加していたからだ。出席した同上院議員は、民主党の副大統領候補に有力視されていたところだったが、実はビルダーバーグから招待状を受け取った時点では、大統領選の民主党候補者争いに出馬することさえも表明していなかったのだ。ビルダーバーグがエドワーズ上院議員を招待したという事実だけでも、将来の「エドワーズ大統領誕生」のうわさが広がった。
出席者リストにはないものの、今年の会合にはイラク戦争の理解を求めるためにブッシュ米大統領が参加していたとの一部報道もある。まさにビルダーバーグ会議が開かれている期間にヨーロッパを歴訪し、イタリアを訪れていたからだ。またちょうど数ヵ月後の米大統領選(11月)でのブッシュ再選に向け、ビルダーバーグの影響力が行使されなかったと誰が言い切れよう。
イラク攻撃1年前に何が話し合われたか
ビルダーバーグは、近年ますます、全世界が注目する存在になった。理由は、ブッシュ大統領登場以後、全世界の軍事外交構図を変える主役、すなわちネオコンがビルダーバーグ会議に頻繁に参加しているからだ。筆頭はラムズフェルド国防長官。彼は、ビルダーバーグ会議に何回も参加している。ネオコンの理念的背景を作ったポール・ウォルフォウィッツ国防副長官や、場外のネオコンの代弁人と呼ばれるリチャード・パール元国防政策諮問委員長、国務省の強硬派の代表格であるジョン・ボルトン国務次官なども同様である。
ビルダーバーグの会議に一般のゲストが毎年のように参加することは例外中の例外といってよい。2002年3月のビルダーバーグ会議は、ワシントン郊外で開かれた。ちょうどイラク攻撃の1年前にあたる。厳重に警備された当時の会議では、マスコミの接近を阻んだことは勿論、具体的な参加者と会議内容も全て秘密にされている。
しかし当時、ワシントンの軍事外交専門家は、ラムズフェルド国防長官をはじめ国防総省やホワイトハウスのネオコンが大挙して参加した会議では、ビルダーバーグ会議がイラクに関するロードマップを作る場所として活用されたと見ている。軍事外交的な面でドイツとフランスがアメリカのイラク政策に反対するものの、イラク戦争後の石油等をめぐる経済的な次元では、当初の理念通り「大西洋同盟」として世界を牽引することを確かめ合ったのではないか。
ドイツやフランスがいくらイラク戦争の失敗を指摘しても、その後2003年、2004年とやはりネオコンのメンバーたちが引き続き参加を許されているところをみると、ビルダーバーグ会議がヨーロッパとアメリカをつなぐ橋として、重要な役割を果たしているとみるべきだ。
政財界を牛耳る有力者たちが、メディアの監視もない閉ざされた場所で、「自由闊達な」意見を交わすことによって世界の運命を決めている──。これが事実だったとしたら、民主主義に対する人類史上最大かつ最悪の裏切りと言えよう。2004年に50周年を迎えたビルダーバーグ会議の動向は、今後も注視し続ける必要がある。
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