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日本が明治維新後、天皇制を軸として世界に勇躍し、個々の場面においては時に暴走し、日本人、アジアの同胞、白人等人種を問わず殺戮し、白人たちに「おまえ、それ(暴力)は良くないんじゃないか?」と思わせ、言わせしめたことで当の本人、暴力者たちの支配の解除、つまり結果として世界の植民地の解放を促した事は有識者であれば知っていることだと思います。
私は戦後の東京裁判の影響を受けているものではないが、天皇制については特に今後の日本において必要性を感じません、もちろん今までの天皇制度の効果と機能を否定するものではありませんが、これからは自然な方法で縮小する方向へ向かえば良いと思っています。これは否定でも批判でもなく、ありのままを観察し、感じ取り、考えた結果による結論です。
自分の所属する組織や国の権威に屈服、追従することで発生する自らの矮小性、無価値感を埋めるために、その組織や権威と自分を重ね合わせ、時には利用し、他者を支配することでかろうじて自らの存在の価値を保っている、あるいは高揚感に浸っている人達に言いたい。
天皇制は人間の、日本人の欺瞞と誤謬の象徴である。なぜなら天皇が「神の直系」(笑)の子孫かどうかということは誰にも証明することはできないし、もし仮に神の子であると仮定したとして、それでは皇族でないその他のほとんどの人たちは神の子孫ではないと言えるのか?
私たちが手掛けるべきことは弱いものいじめや自分に害を及ぼす危険性のない人たちに対しての誹謗中傷ではなく、日米安保条約の撤廃と駐留米軍の撤退、警察と司法体制の縮小と、そして何よりも日常生活のその時々の場面において不当な抑圧、必要以上の支配管理に対して毅然とした態度で真理を追究し、処することではないのか?
憲法9条はもちろん大切ではあると思うが、それを守るため、あるいは武力、戦争
放棄を促す時においても、天皇制を掲げて働きかけても欧米はおろか、アジアの諸国もそれには反応しないでしょう。なぜなら天皇制を掲げた働きかけに応ずるということは、日本と日本の皇族が「正当」で、「自分たちよりも特別」であるということを認めてしまうことになると思うからです。事実、真実として日本が正当で、特別であるかどうかは別として。
是非はともかくとして、日本に天皇制があること自体、「自分たちは神と直接つながっているんだ」「自分たちは神の子孫なんだ」という思いと生活態度を保持し続けてきたという証拠にはなると思います。基本的な姿勢として、そういう思いは特に有意で、有用でしょう。だからこそ今のアメリカの属国としての日本ではなく、戦前の日本人には世界を基準にしても群を抜いた人格と能力を持った人達がたくさんいたのだと思います。
そして度が過ぎると暴力支配となり適切だと規律と調和となるのでしょう。
これからは権威権力を通じて神とつながるのではなく、個々でそういうつもりで日々生活をしていけばよいのではないですか。
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