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2008/06/11(Wed)
秋葉原事件と現政権の演繹的な関係
四国から帰ってきて忙殺されていた7月に出る単行本がやっと手を離れつつある。
現在は2年前に出版された「渋谷」(東京書籍)の映画がちょうど撮影されている最中だが、低予算、短期間の製作とは言え、よくこんなテーマのものに予算が下りたものだと思う。
それにしても「渋谷」のテーマは親の過干渉によって自己を失った少女の物語だが、今回の秋葉原通り魔殺人を犯した加藤智大容疑者もまた中学生になるまで親の考えられないほどの過干渉の中に置かれていたようだ。小学校時代には絵や作文を親が描いたり手を入れたりして成績優秀に無理やり仕立てていたというからこれは過干渉を通り過ぎて、変わった種類のネグレクトと言える。
中学になると親の介在ではおっつかなくなり、智大の成績も愕然と落ち、親は智大を見捨て、成績のよい弟の勉学に全力を尽くすことになる。
こんな状況の中、智大という名づけも彼にはプレッシャーであっただろう。
おそらく加藤家では大学も出ず、派遣社員として末端の労働に携わっていた智大のことは家の恥でその存在すら外にあまり知られたくなかったのではないか。今回の事件はそんな両親への復讐という伏因が臭う。親を殺さず無関係の他者を殺すことによって遠回りに親に復讐する犯罪は案外多いのだ。そして智大の思い通り、両親は全国民の前で謝罪会見をするという針のむしろに置かれている。
また私は外国人労働者が日本に入って来はじめた二十年前、そ差別的環境からいつかこういった者の中から日本人を巻き込んだ犯罪が生まれるのではないか(当時は犯罪があっても彼ら同士の中だけだった)とエッセイに書いたことがあるが、それから7,8年後にそのことが現実のものとなり、今では当たり前のことになっている。
その延長線上で、今日本の社会を覆っている、というより若者の生活を覆っている派遣社員、契約社員という人間をモノ化したピンはね使い捨てシステムの中からなんらかの犯罪が生じるのではないかと考えたことがあったが、今回の秋葉原の事件はまさにそれを絵に描いたような出来事である。
そういうことで加藤容疑者の犯した罪はエクスキューズ出来るものでは到底ないが、こういう若者の使い捨てシステムを容認して来た、というより作り上げた現政権の罪は重い。
無残な形で殺された7人の殺害に演繹的に現政権が加担していることになるからである。
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