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憲法記念日に係る提言
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投稿者 松岡竹童 日時 2008 年 5 月 03 日 10:49:29: 6feYd/iNgrqtw

憲法記念日に係る提言

憲法は国家の最高規範である。国家における統治作用並びに国民の行動は、憲法に準拠して行なわれなければならない。法体系をピラミッドに例えてみると、その頂点に位置付けられているのが憲法である。憲法9条の条文は、中学生が読んでも充分に理解できる内容である。 従来国際法においては、「国際紛争を解決する手段として」の文言が自衛戦争を留保して用いられてきたことから、自衛戦争は9条1項では放棄されていないが、9条2項により、自衛戦争まで放棄されたものである。そして、国家の自衛権は平和を愛する諸国民の公正と信義によって担保されるものである、とするのが通説である。更に、戦力とは、戦争を遂行する目的と機能を持つ組織的な武力又は軍事力を指す、とするのが通説である。

哲学を持たない法学者が、「自衛隊は戦力なき軍隊である」「自衛の為の戦力は憲法の禁ずる戦力ではない」等屁理屈を並べて、黒を白と権力に諂ったとぼけた解釈をやっておると、日本国民の深層心理に、本人は全く気付かないうちに、法軽視の心が構築されることになる。

何故なれば、国家の最高規範・最高法規である憲法であっても、必要とあれば無視しても良いのであれば、憲法の下に位置付けられている法律など必要とあれば無視しても一向に構わない、況んや法律の下に位置付けられている条例規則に於てをや、と言う理屈になる。つまり、憲法を無視すると言う事は、遵法精神の欠如した且つモラルが低下した箍(たが)の緩んだ社会が醸成される事を意味する。この事は、とりもなおさず、法治国家の崩壊を意味する。吾人はこの点について、覚醒しなくてはならない。

ところで、現人神(あらひとがみ・living god)である天皇を頂点に戴く選民である日本民族は、他の民族に優越した民族であり、地球(世界)を支配すべき使命を持つという、八紘一宇を夢見る狂信的な神国主義(国家神道・天皇教)が日本を戦争に駆り立て、近隣諸国に大いなる迷惑を掛けた過去を深く反省した結果、憲法が制定された当時は、憲法9条は絶対的な戦争の放棄及び戦力の不所持を意味するとの解釈について、政府をはじめ国民の見解は一致していた。戦争の悲惨さと愚かさを骨の髄まで味わった当時の日本国民にとって、憲法9条は珠玉の条文として受け入れられた。

ここに、八紘一宇とは、日本書紀にある「八紘をおほいて宇となさん」の語を明治新政府が「全世界を一軒の家のような状態にする」と解釈した政教一致に基づく国家主義的標語である。第2次近衛内閣が基本国策要綱として決定したもので、第2次世界大戦中は大東亜共栄圏の理念となった。

ところが、朝鮮戦争(1950〜1953)の勃発により、軍産複合体に係る国益のみを最優先させる米国の覇権主義は、理不尽にも自ら押し付けた憲法9条を侵蝕するに至った。即ち、朝鮮戦争の勃発は米国の対日占領政策の転換をもたらし、日本に再軍備を強要するに至った。朝鮮戦争における米軍の被害の増加は、新しい日本軍を創って、防共の砦の主力とする必要性を生んだ。因みに、沖縄戦での米軍の死傷者数は約8.5万人であり、朝鮮戦争では約14万人であった。

日本政府は憲法9条2項を改正して再軍備をなすべきであったが、当時の国情では硬性憲法を改正出来ないことが明白であったため、「自衛隊は戦力なき軍隊である」等詭弁を弄して米国の要求に応えざるを得なかった。

連合国軍最高司令官ダグラス・マッカーサー(1880〜1964)の書簡により、1950年(昭和25年)に警察予備隊が誕生し、大量の旧軍人の公職追放解除が実現した。続いて1952年保安隊に、1954年に自衛隊へと発展していった。警察予備隊、保安隊、自衛隊が設けられるにつれて、政府の憲法解釈は変更されるに至り、「戦力なき軍隊」から今日では「自衛のための戦力は憲法の禁ずる戦力ではない」と変更された。如かしながらこの考え方は、日本が過去における一切の侵略戦争を、自衛権の発動として正当化した理論を踏襲することに他ならない。

自衛隊が合憲か違憲かについて論争することは、今日までタブーとされ、裁判所も、札幌地裁が1973年(昭和48年)9月7日「長沼事件」で、自衛隊は憲法9条2項によってその保持を禁ぜられている戦力に該当するものであり違憲であるから、防衛庁設置法、自衛隊法その他これに関連する法規は、憲法9条2項に違反し、憲法98条によりその効力を有しないものである旨の判決をした以外は、統治行為の法理その他様々な手法を用いて、その判断を回避してきたところであるが、終戦後既に50年余を経過しており、日米防衛協力のための新指針(ガイドライン)関連法が成立し、集団的自衛権の行使や海外派兵の問題が議論され、更に戦争を円滑に遂行する為の法律である有事関連三法が成立した今日、法治国家として決着をつけるべき時であると考えざるを得ない。

ブッシュ米政権が同盟国・日本に求めてきた「ブーツ・オン・ザ・グラウンド」に呼応して、小泉純一郎首相は自衛隊のイラク派遣を決意し、2004年1月26日、自衛隊の本格的なイラク派遣が開始された。ここに、小泉首相は日本国憲法9条を根拠に世界に自衛隊の海外派兵拒否を宣言しても、国際社会のコンセンサスが充分に得られる状況下であるにも拘らず、伝家の宝刀を使う術を知らず、いたずらに米国に媚びて追従する姿勢に終始した。

なお、自衛隊のイラク派遣について、「危険な地域へ派遣出来ない軍隊」という奇妙な意味の文言が使われて、世界の識者の失笑を買っているが、本来は危険な地域へ真っ先に出動するのが軍隊である。これも憲法9条を無視し且つ誤魔化し続けた結果招来した矛盾に他ならない。

この基本的な問題を放置したまま、枝葉末節の論議をするのはナンセンスである。外国人から見た場合、自国の憲法さえも平気で無視する日本人は信用出来ない、との評価を受けることになり、日本人蔑視の心証を与えることになる。

ここに、日米間の軍事同盟である日米安全保障条約について付言する。日米安全保障条約を締結しているということは、米国の覇権主義を是認する事に他ならない。米国が今日に至るまで日本国内に多数の基地を設け、経済面その他で押し付けを強要する等、間違った政策・行動を執る事で、世界の支配者風に振舞う覇権主義は、今日の国際社会においては、非難されるべきものである。世界ではじめて民主主義(国民主権主義)を根付かせた米国国民の勇気と努力は賞賛されるべきであるが、覇権主義は国際社会から排除されなくてはならない。

日米安全保障条約は、条約第10条後段で、日本から米国への、条約を終了させる旨の一方的な通告だけで、1年後には終了させる事が出来る旨規定されている。よって、日米安全保障条約が終了すれば、日本国内から全ての米軍基地が撤去される。その後新たに、日米友好条約を締結する事で、はじめて、米国の覇権主義の桎梏から脱して、真の独立国家として対等・平等の立場で日米間の友好関係が築かれる事になる。

そこで以上述べたことを踏まえた上で、採るべき方策としては、日本の有識者のエネルギーを結集して、先ずは政府をして、例えば、憲法9条の改正無くしては、今後の自衛隊の運用は不可能である旨の、問題提起を国民に為さざるを得ないように仕向けることにより、日本国民の政治的自覚を高め、憲法9条その他の憲法改正に係る、充分な熟慮期間つまり論憲の期間を設ける必要がある。次には政府が国際連合に強力に働きかけて、安全保障理事会の常任理事国になる事が必要不可欠である。そして、日本が国際的に孤立する事は絶対に避けなければならないので、憲法改正に係る国際政治的な根回しを充分に実施したのち、国会が憲法改正の発議をなし、その結果、例えば憲法9条に関して、下記3つの選択肢が採択されたと仮定した場合。

1.国民の輿論が、「憲法9条は理想論であり、現実の国際情勢にはなじまない、核武装した米国との日米安全保障条約は、現時点ではやはり国防上必要であり、自衛のための戦力の保持も必要である。」とするのであれば、よろしく憲法を改正して、自衛のため必要とする軍備を整えるとともに、必要とあらば、日米安全条約に基づく後方支援も行なう。若かしながら、この選択肢を採ることは、国際政治の現実は戦争の歴史であったという過去の事実を、再び踏襲することにほかならない。今後の戦争は水素爆弾等の核兵器使用にエスカレーションする事必す、であるからこの選択は、つまるところ最悪の場合、人類の滅亡と地球の壊滅につながることを覚悟する必要がある。戦争の狂気によって、核兵器使用抑止の良識など、瞬く間に払拭されることは、原子爆弾の被爆者を抱える日本国民が、充分に了知しておるところである。よって、この選択をした場合であっても、吾人は絶対的な地球(世界)の平和を希求する心を失ってはいけない。つまり、事後の具体的な方策としては、核兵器廃絶を地球規模の全面的な軍備縮小運動の一環として位置付けて、日本が主体となって国際連合等に積極的に働きかけて、国際的な軍備縮小運動を展開する。そして、「核兵器も含めて地球上の一切の軍備の廃絶」を究極の目的とした、国際的な軍備廃絶運動に発展させる努力を怠ってはいけない。

2.国民の輿論が、「日本は主権国家であるから、自衛権があるのは当然であるが、自衛権の行使は、あくまで憲法前文で述べられているように、これを平和を愛する諸国民の公正と信義に委ねたものである。具体的には国際連合の安全保障理事会の活動に委ねるものであり、自衛のための戦力は保持しない。」とするのであれば、軍事同盟である日米安保条約を終了して、代わりに日米友好条約を締結する。如かして、平和憲法を戴く日本国民は、座して平和を求めるものでは断じてない。世界平和の先達として、政府国民一丸となって、国際連合を主導的に牽引して、主権を侵害せんとする国に対する、強力な予防措置及び制裁措置を完璧なものにする必要がある事は言うまでもない。以上の措置を執った後に、自衛隊を解散する。解散後の自衛隊員の処遇については、政府が「自衛隊を救助隊に改める」等、格別の配慮をする。事後の具体的な方策としては、核兵器廃絶を地球規模の全面的な軍備縮小運動の一環として位置付けて、日本が主体となって国際連合等に積極的に働きかけて、国際的な軍備縮小運動を展開する。そして、「核兵器も含めて地球上の一切の軍備の廃絶」を究極の目的とした、国際的な軍備廃絶運動に発展させるべく、最大の努力をする。

3.国民の輿論が、「現実の国際情勢を踏まえた上で、国家有事の際の自国の防衛を他国に頼ってはいけない、自分の国は自分達で守る覚悟が必要であり、自衛の為の戦力の保持は必要である。」とするのであれば、自衛隊の戦力の解釈を、合理性・必要性・妥当性が認められる範囲内での戦力に限定する旨の付帯決議を付けて、憲法を改正する。因みに、自衛の為の戦力としての核武装は、今日の国際情勢下においては必要不可欠のものであることは論を俟たない。その後は、軍事同盟である日米安保条約を終了して、日米友好条約を締結する。そして、国際連合憲章が想定した、集団安全保障のための、「本来の国連軍」の創設に努力する。然しながらこの選択は上述の如く、最悪の場合、人類の滅亡と地球の壊滅につながることを覚悟する必要がある。この選択をした場合であっても、吾人は絶対的な地球(世界)の平和を希求する心を失ってはいけない。つまり、事後の具体的な方策としては、核兵器廃絶を地球規模の全面的な軍備縮小運動の一環として位置付けて、日本が主体となって国際連合等に積極的に働きかけて、国際的な軍備縮小運動を展開する。そして、「核兵器も含めて地球上の一切の軍備の廃絶」を究極の目的とした、国際的な軍備廃絶運動に発展させる努力を怠ってはいけない。

以上何れかの方策を実施することなく、いたずらに手を拱いていると、日本国民の遵法精神そのものが、知らず識らずのうちに失われてしまう事になる。例えば、戦前及び昭和20年代位迄は、最高速度時速40キロメートルの規制が掛けられている道路を時速40キロメートルで走るドライバーは他のドライバーから尊敬の目で見られていたのが、今日では交通を妨害する非常識なドライバーとして認識されているのが実状である。未成年者の喫煙に例をとってみても、昔の学生は隠れてこっそり吸っていたのが、今日の高校生は、公衆の前で堂々と吸っており、だれ一人注意する者も居ない。

これは、今日の日本国民が、いかに遵法精神を失って仕舞っているかを示す顕著な証左とも見る事ができる。この事は、即ち法治国家の崩壊を意味することに、吾人は覚醒するべきである。ここに、実定法は道徳の理念によって規定され且つ道徳と結合したものであるから、実定法の頂点に位置づけられている憲法を無視するという事は、取りも直さず、法治国家の崩壊のみならず、日本国民が精神的な心の支柱の一つを失うことを意味する。芯の無い箍の緩んだ社会が醸成される事になる。更に、法の空白は無秩序を招来することになる。

今日の諸悪の根元の一つは、まさにこの点にあると言っても過言ではない。公務員の綱紀の腐敗、贈収賄、学校教育の荒廃、凶悪少年犯罪の増加、各界における巨額脱税問題、若年者の政治離れ、皆然り。特に国際協調を国是とする日本の発展の核となるべき重大な使命を持つ外務省官僚の腐敗堕落は目に余るものがある。更にバブル崩壊の結果招来した金融破綻も、心に歯止が効かない、法を無視しての、倫理観の無い拝金主義の結果に他ならない。吾人はこの点に覚醒しないと、日本国家は崩壊する事になる。

因みに、現在の日本国憲法は米国から押し付けられた憲法であるから改憲すべきであるとの声があるが、日本からファシズム・軍国主義を廃絶する為に押し付けられた憲法であることは事実であるが、問題はその中身に在る。本来、日本国憲法は国連憲章を更に発展理想化したものであり、恒久の平和を希求する人類の悲願が込められた、地球(世界)に誇るべき平和憲法である。ここに吾人は、「他国に押し付けられたものであるから価値が無い」と言った短絡的な思考を持ってはいけない。今日の日本の文化は、何れも古来、中国や朝鮮半島等から渡来したものを、日本人の手で同化発展させたものである事を想起すれば回答は明白である。更に、明治維新以降の急速な西洋文化の吸収同化も亦然り。欧化政策の選択は、欧米列強の東洋侵略から日本を守る為には必要不可欠な唯一の選択肢であり、実質的には、欧米列強から押し付けられたものと見る事が出来る。

ここで吾人は、ワイマール憲法を想起する必要がある。第一次世界大戦の敗北を契機とするドイツ革命によってドイツ帝政は崩壊した。1919年、平等・普通・比例代表選挙によって選出された国民議会がワイマールで開かれ、ドイツ共和国憲法が議決公布された。ワイマール憲法とはその俗称である。この憲法はビスマルク憲法とは異なり、民主主義的基礎の上にたつ全ドイツ国民の強い統一をその指導理念とし、さらに社会国家的色彩をも併せ持つことによって、20世紀型憲法の典型とされ、地球(世界)の憲法学者や有識者から賞賛の拍手を受けた。如かしながら、施行わずか14年後の1933年には、ヒトラー政権による「授権法」をはじめとする一連の立法は、ワイマール憲法を形骸化し、民主主義とは正反対のナチス独裁体制を成立させ、第二次世界大戦を招来するに至った。

フューラー(ナチス・ドイツ総統ヒトラー)の掲げる全体主義の道を突き進んだナチスに、多くのドイツ人は付和雷同し、ユダヤ人大量虐殺(ホロコースト)や対外侵略などの蛮行に異を唱えようとはしなかった。

以上の歴史的な事実は、当時のドイツに未だ近代憲法を受け入れるだけの土壌が醸成されていなかったのもその理由の一つではあるが、最大の理由はドイツ国民の遵法精神の欠如がもたらした結果である。「如何に立派な憲法であっても、国民の心に守ろうという気持ちが無かったら、絵に描いた餅に過ぎない。」という事を、過去の歴史は明確に立証している。

絶対平和主義、国民主権主義、人権尊重主義、など近代民主主義のあらゆる理想を盛り込んだ日本国憲法は、天皇に係る規定以外は、地球(世界)各国の有識者の夢をかなえた、正に21世紀型の憲法とも見るべきものである。我々日本国民は、国民の輿論が前記3つの選択肢の中で、何れを選択した場合であっても、平和憲法の精神を絶対に忘れてはいけないし、これを地球(世界)に敷延すべきである。

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